追憶をたぐれば軽ろきつくしんぼ 山本博子
3月17日の朝、思いもかけない義姉の知らせが
実家の方から入りました。
兄が他界して9年が近いのですが、その妻である
義姉がずっと一人住まいでした。
家の中で倒れそのまま2日間ほど、見付けられることなく、
ご近所さんが電気が点いたままを不審に思われて、
やっと発見されて、救急車で病院のICUへ。
意識は戻らぬまま、19日の未明に息を引き取られ
帰らぬ人となられました。
17日からずっとお祈りをして、聖心ならばどうか
義姉が回復できますように...と願いましたが...
意識が戻られたら、沢山のありがとうを伝えたかったです。
4歳年上の義姉とは、昨年の11月と12月に
電話でお話をする機会があって、今思うと
せめてもの慰めであり、心の交流を感謝しています。
ご大家の一人娘さんとして、何一つ不自由なく
大切に育てられ、若くして何故かクリスチャンに。
カトリック系の女子大を出られた影響もあったのでしょう。
「ミコちゃんはオレンジ色の服をよく着てるから、
このスカーフがお似合いかも」と言って、
綺麗な色彩のミックスした素敵なシルクの
スカーフをプレゼントして下さったことがあり、
50年近く経た今も愛用しています。
娘が幼い頃、気持ちがいい^^と言っては
すりすりしていたそのスカーフは
これからも愛用し続けます。
まだ、お互いが新婚に近かったころ、
我が家に遊びに来られた時、「キャロットケーキ」を
手土産に下さいました。それは
新品の綺麗な箱に入り、お手製の人参色のパウンドケーキで
とっても美味しく、プロのお味に負けないものでした。
私にとって、何でも識って何でも出来られる義姉は、
羨望の的で、神戸の教会では婦人会会長を長年され、
私のように月一の信徒とは、真面目さが月と鼈ほどの
差があるなぁと本当に思います。
足腰が弱ったころ、2年前くらいからは背中がぐっと
曲ったそうで、電話の向こうからか細い声で話されて
心配していました...
月日は流れ流れて、お別れの日が来てしまいました。。
看護師をしながら、兄を支え二人の子供を立派に育てた
義姉に心から感謝を捧げたいと思います。
22日が前夜式、23日が葬儀告別式ですが
寂しさと哀しみは大きなショックとなり、
思いめぐらす追憶が刻々と迫ってくる毎日です。
仕事に追われる息子達はどうも無理なのですが、
23日が会社の休日という娘が運転して
神戸まで連れて行ってくれますので
本当に助かります。T姉さんを慕う方々が各地から
集まり、荘厳なパイプオルガンが流れる中、祈りと
讃美歌と涙のお別れになることでしょう。
ご覧頂きありがとうございました。