アンデルセン 2008年12月10日 | Weblog 師走空「何処に行きましょ」アンデルセン 倉敷チボリ公園の中に座す立派なアンデルセン像。 ミコちゃんが子供の頃よく親しんだ童話に、有名な「人魚姫、マッチ売りの 少女、みにくいあひるの子、裸の王様」などのアンデルセン童話があります。 チボリ公園が今月末で閉園し、本当に残念です。 寄り添へばアンデルセンの膝枕 数年前に友人と写した懐かしい写真です。 アップするには多少ピントが合っていないほうが(顔がぼやけて) 返って良いかなと思いました。(笑) « 漱石忌 | トップ | 月冴へる »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 大愚のすすめ (緑風) 2008-12-13 08:12:01 月冴へて俳楽詠むや摩天楼 緑風平成の大愚良寛年の暮れ 緑風大愚良寛さま 2007/2/28カテゴリー » ホリスティック関係 日がな一日、子供たちと鞠つきをして遊んだという良寛さまは、たくさんのエピソードを残している曹洞宗の禅僧でした。そのうちのひとつ 悪党の船頭権三は、良寛さまが決して怒らないという評判を聞き、それならおれが怒らしてやろうとたくらみました。良寛さまが舟に乗ると、わざとよろめいて水しぶきをかぶせましたが、それでも一向に怒らない良寛さまを見ると、今度はおもいきりひどく舟を揺らしました。すると、良寛さまは川に落っこちてしまったのです。泳ぎを知らない良寛さまは溺れて死にそうになってしまいました。まさか殺すつもりもなかった権三は、川に飛び込んで良寛さまを舟の中に救い上げたところ、良寛さまは大きな息をして権三に言いました。『ありがとう。お前がいなければ、わしは死ぬところだったよ。ほんとうにありがとう』と。舟が岸につくと、また権三にお礼を言って、深く感謝してその場を去って行きました。良寛さまに感服した権三は、その後、五合庵を訪ねて、真面目な人間になることを良寛さまに誓ったそうです。良寛さまはそのバカ正直を一生かけて磨き上げた、類い稀なる大人物でしょう。 そして、『大愚』に徹する生き方を一途に歩き、煩悩が真実を見えなくさせていることを身をもって示し続けた『大愚良寛』だったのでしょう。いつも、「いま・ここ・自分」で生きていた大愚良寛さまの句を2つ 盗人に 取り残されし 窓の月あまりに何もない良寛さまの寺に入った泥棒が、寝ている夜具を盗もうとしているのを知り、良寛さまはわざと寝返りをうつふりをして、泥棒がとりやすいようにしてあげたという。その時の句です。 でも、私にはそれだけとは感じられません。人間が作ったものは壊すことも、盗むこともできますが、そこに自然にあるものは、何があってもあり続ける・・・そんな感じを持っています。裏も見せ 表も見せて 散るもみじ 裏も表もなく、すべてありのまま、それ以上でもそれ以下でもなく、自分を生きた大愚良寛さまらしい辞世の句はないでしょうか。良いお話でしたので抜粋しました。 返信する 良寛さま♪ (ミコちゃん) 2008-12-13 18:56:49 こんばんは、緑風様 良寛さまの句やエピソードは本当にほのぼのしますね。ありがとうございます。世の中は、計算の上手な狡猾な生き方をする方が財をなすには早いですし、名声も欲しいということで、他人を蹴落としてでも上に上りたいのが常のようです。『大愚』に徹する生き方のお手本を見せてくださり、とことんお人好しの良寛様は、誰もが心を開いて愛しくなるお方ですね。例えば、そのころお野菜でも収穫できたら、それを持って、良寛様の教えを聴きに行きたくなりますよね。ひっそりと清貧の庵に住まれて、本当に尊敬の師だと思います。盗人が取り残した「窓の月」は誰も盗ろうとは考えつかないものではありますが、そこを詠まれた良寛様はやはり非凡な才能ですね。辞世の句も詠めそうで詠めない素晴しい句で、何時までも讃えられる名句ですね。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
カテゴリー » ホリスティック関係
日がな一日、子供たちと鞠つきをして遊んだという良寛さまは、たくさんのエピソードを残している曹洞宗の禅僧でした。
そのうちのひとつ
悪党の船頭権三は、良寛さまが決して怒らないという評判を聞き、それならおれが怒らしてやろうとたくらみました。良寛さまが舟に乗ると、わざとよろめいて水しぶきをかぶせましたが、それでも一向に怒らない良寛さまを見ると、今度はおもいきりひどく舟を揺らしました。すると、良寛さまは川に落っこちてしまったのです。泳ぎを知らない良寛さまは溺れて死にそうになってしまいました。まさか殺すつもりもなかった権三は、川に飛び込んで良寛さまを舟の中に救い上げたところ、良寛さまは大きな息をして権三に言いました。『ありがとう。お前がいなければ、わしは死ぬところだったよ。ほんとうにありがとう』と。舟が岸につくと、また権三にお礼を言って、深く感謝してその場を去って行きました。良寛さまに感服した権三は、その後、五合庵を訪ねて、真面目な人間になることを良寛さまに誓ったそうです。
良寛さまはそのバカ正直を一生かけて磨き上げた、類い稀なる大人物でしょう。
そして、『大愚』に徹する生き方を一途に歩き、煩悩が真実を見えなくさせていることを身をもって示し続けた『大愚良寛』だったのでしょう。
いつも、「いま・ここ・自分」で生きていた大愚良寛さまの句を2つ
盗人に 取り残されし 窓の月
あまりに何もない良寛さまの寺に入った泥棒が、寝ている夜具を盗もうとしているのを知り、良寛さまはわざと寝返りをうつふりをして、泥棒がとりやすいようにしてあげたという。その時の句です。
でも、私にはそれだけとは感じられません。人間が作ったものは壊すことも、盗むこともできますが、そこに自然にあるものは、何があってもあり続ける・・・そんな感じを持っています。
裏も見せ 表も見せて 散るもみじ
裏も表もなく、すべてありのまま、それ以上でもそれ以下でもなく、自分を生きた大愚良寛さまらしい辞世の句はないでしょうか。
良いお話でしたので抜粋しました。
世の中は、計算の上手な狡猾な生き方をする方が
財をなすには早いですし、名声も欲しいということで、
他人を蹴落としてでも上に上りたいのが常のようです。
『大愚』に徹する生き方のお手本を見せてくださり、
とことんお人好しの良寛様は、誰もが心を開いて愛しくなるお方ですね。
例えば、そのころお野菜でも収穫できたら、それを持って、
良寛様の教えを聴きに行きたくなりますよね。
ひっそりと清貧の庵に住まれて、本当に尊敬の師だと思います。
盗人が取り残した「窓の月」は誰も盗ろうとは考えつかないものではありますが、
そこを詠まれた良寛様はやはり非凡な才能ですね。
辞世の句も詠めそうで詠めない素晴しい句で、何時までも讃えられる名句ですね。