少し前から必要に迫られて、沖縄戦のことを勉強していました。約20万人もの死者を出し「あらゆり地獄を集めた」とされる戦い。なぜこれほどまでに兵士が、また住民が犠牲になったのか。集団自決は軍が強制したかや、米軍が住民を無差別殺戮したや、種々の議論がなされていますが、「ひとたび戦争が起これば、ひとりの命がいかに軽いものか、20万人の死者たちは、戦争の冷厳な現実を今に突きつけている」ということに尽きるように思います。あれやこれやの原因を議論するよりも、すべては戦争が起こったことが問題なんだと思うべきだと痛感した次第です。
そんなわけで、今回はシューマン。シューマンの弦楽四重奏曲第1番作品41-1であります。シューマンは、室内楽曲としては、弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲などがありますが、どれも室内楽の年と言われる1842年に作曲されました。クララとの結婚から2年目の33才。しかし、1844年ごろから精神的に不安定になるようですが、このころが幸せの絶頂だったのかもしれませんねえ。この年、弦楽四重奏曲は3曲。ともに作品41-1.2.3がそれにあたります。
この曲、あまり有名とは言い難いのです。私もこれまでCDは持っておりませんでした。ですので、どんくさい話しとして、最初この曲をメンデルズゾーンの弦楽四重奏曲と思っていたのです。うーん、はやりメンデルズゾーンの雰囲気よなあ、とか分かったようなことを言いながらね。それで、違う演奏で聴いてみようと思ってみたら、まったく違った曲。よくよく見てみると、レーベルにはシューマンと記載され、まったくの間違いに気づいたのでありました。とほほのほでありました。
しかし、弦楽四重奏曲というジャンルは、ベートーヴェンの存在が大きいんですねえ。彼のあとこのジャンルの曲としては、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスなどの曲がありますが、やはりベートーヴェンに優る曲はないんでしょうね。まあそうは言っても、交響曲やピアノソナタなどでも、同様のことが言えるんですが…。
ということで、シューマンの弦楽四重奏曲第1番イ短調作品41-1。演奏は、イタリア四重奏団。録音は1967年8月です。この曲は、けっこう聴きやすい。短調といってもそれほどの深刻さでもないし、またこのイタリアSQの音色は明るく、暖かみがあるところからも,であります。そして、響きがまろやかで、優しいのも、耳には心地よいです。ただ、こんな演奏もいいな、と思うのですが、多少の苦悩があったら、一層よくかな、と思いますねえ…。第2楽章にスケルツオ、第3楽章にアダージョという構成で、これもベートーヴェンの影響でしょうか。第3楽章の主題は第九の第3楽章のアダージョに似て無くもないです。
第1楽章、ベートーヴェンの後期四重奏の雰囲気があるが、それほど晦渋ではない。弦がうまく重なり合ってマイルドにブレンドされています。序奏の重苦しさとは一転して主部になるとそれからは解放される。第2楽章。スケルツォ。これもベートーヴェンぽいですねえ。とは言え、シューマンらしい憂鬱さも感じられる。穏やかな弦で、とげとげしさもないところで躍動感も押さえられているか。第3楽章アダージョ。美しく、思索がいっぱいの援徐楽章。弦で切々と客観的に語られる。そこには余分なものを削ぎ落としたような演奏があり、それがまたシューマンらしさでもあるんでしょうか。そして第四楽章。第三楽章の憂いのようなものを一気の振り払うような展開。しかし、すべてはそうならないところもあって、心残りはあるが、終楽章にふさわしいく爽快に幕を閉じています。
でも、あっという間に12月も中旬ですね。早いものです。正月を迎える準備をしないといけませんが、それどころではない毎日であります。
(Decca 4788824 2016年 輸入盤)
そんなわけで、今回はシューマン。シューマンの弦楽四重奏曲第1番作品41-1であります。シューマンは、室内楽曲としては、弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲などがありますが、どれも室内楽の年と言われる1842年に作曲されました。クララとの結婚から2年目の33才。しかし、1844年ごろから精神的に不安定になるようですが、このころが幸せの絶頂だったのかもしれませんねえ。この年、弦楽四重奏曲は3曲。ともに作品41-1.2.3がそれにあたります。
この曲、あまり有名とは言い難いのです。私もこれまでCDは持っておりませんでした。ですので、どんくさい話しとして、最初この曲をメンデルズゾーンの弦楽四重奏曲と思っていたのです。うーん、はやりメンデルズゾーンの雰囲気よなあ、とか分かったようなことを言いながらね。それで、違う演奏で聴いてみようと思ってみたら、まったく違った曲。よくよく見てみると、レーベルにはシューマンと記載され、まったくの間違いに気づいたのでありました。とほほのほでありました。
しかし、弦楽四重奏曲というジャンルは、ベートーヴェンの存在が大きいんですねえ。彼のあとこのジャンルの曲としては、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスなどの曲がありますが、やはりベートーヴェンに優る曲はないんでしょうね。まあそうは言っても、交響曲やピアノソナタなどでも、同様のことが言えるんですが…。
ということで、シューマンの弦楽四重奏曲第1番イ短調作品41-1。演奏は、イタリア四重奏団。録音は1967年8月です。この曲は、けっこう聴きやすい。短調といってもそれほどの深刻さでもないし、またこのイタリアSQの音色は明るく、暖かみがあるところからも,であります。そして、響きがまろやかで、優しいのも、耳には心地よいです。ただ、こんな演奏もいいな、と思うのですが、多少の苦悩があったら、一層よくかな、と思いますねえ…。第2楽章にスケルツオ、第3楽章にアダージョという構成で、これもベートーヴェンの影響でしょうか。第3楽章の主題は第九の第3楽章のアダージョに似て無くもないです。
第1楽章、ベートーヴェンの後期四重奏の雰囲気があるが、それほど晦渋ではない。弦がうまく重なり合ってマイルドにブレンドされています。序奏の重苦しさとは一転して主部になるとそれからは解放される。第2楽章。スケルツォ。これもベートーヴェンぽいですねえ。とは言え、シューマンらしい憂鬱さも感じられる。穏やかな弦で、とげとげしさもないところで躍動感も押さえられているか。第3楽章アダージョ。美しく、思索がいっぱいの援徐楽章。弦で切々と客観的に語られる。そこには余分なものを削ぎ落としたような演奏があり、それがまたシューマンらしさでもあるんでしょうか。そして第四楽章。第三楽章の憂いのようなものを一気の振り払うような展開。しかし、すべてはそうならないところもあって、心残りはあるが、終楽章にふさわしいく爽快に幕を閉じています。
でも、あっという間に12月も中旬ですね。早いものです。正月を迎える準備をしないといけませんが、それどころではない毎日であります。
(Decca 4788824 2016年 輸入盤)
12月に入って音楽を聴くこともままならない毎日です。
シューマン、私もこのイタリアSQ.盤だけしか持っていないのですが、シューマンの室内楽も悪くないわいと思い、ピアノ四重奏なども聴くようになりました。ま、それほど真剣には聴いてないですが・・・。