時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

コマネチについて

2013-04-06 23:24:11 | マスコミ批判
コマネチというと、私はビートたけしが昔やっていた一発芸らしい
という認識しかなかったのですが、数年前にルーマニアの体操選手で
亡命者だったということをTVで知り大変驚いた記憶があります。

ところで、この番組は池上彰氏が解説していたのですが、
その際に、コマネチをチャウシェスク大統領の二男が愛人に
欲したので亡命したという説明がされていました。

その時は、「へぇ~すごい国だったんだなー」と思いましたが、
その後、チャウシェスク大統領は核廃絶に熱心で、東欧崩壊以前には
完全雇用と強力な福祉システムを構築していたという事実を知り、
かつ現在のルーマニアの4割はかつての社会主義体制を望んでいる
という結果から、どうもこの国は悪魔が支配していたわけではないと
最近、感じるようになってきたわけです。

そして今日、そういえばコマネチの亡命って本当のところ
どうなんだろうなーと調べてみたら、なんと……なんと…

愛人を強要されて亡命したという説は
本人が否定していました。


出所がどこかわかりませんが、どうも当時の
週刊誌が報道した内容だったんじゃないでしょうか?
東欧の有名な体操選手が亡命したという事実は美味しい飯のタネですし。

私は震災が起きる前から池上さんの解説って肝心の部分を
話さないなー(原発や小選挙区制など)と感じていたけれど、
まさか、こんなデマをVTRで再現したうえに独裁者の国家が
どーたらこーたらと説明していたとは思っていませんでした。

この事実を池上さんが知らないはずがない。
意図的に無視したのでしょう。

こういう内容をゴールデンで流す国って
本当に人間が自由に生きていると言えるのでしょうか?


正直、今日までルーマニアのイメージに疑問を抱いていた
私ですら何も知らずに生きていたわけで、
ましてや一般人ならなおさらでしょう。

社会的には著名なジャーナリストがご飯の時間に
流す「共産主義=悪」という論調に誰も疑問を抱かず
そのイメージを受け入れてこれからも生きるのが
日本の現実であって、大変恐ろしい事態だと思います。

私は前々から、反共バッシングの決まり文句の
「民主化」とか「自由」には非常に懐疑的だったけれど、
この現状を前にして、むしろ自由を知らず知らずに
失っているのは我々じゃないかと感じずにはいられません。

反原発本について

2013-04-06 23:15:47 | 反共左翼
原発反対というのは、2011年までは左翼と呼ばれる連中によって
行われていまして、出版社として熱心にこれに携わってきたのは
緑風出版と7つ森書館の2社だったと思います。

新日本出版社も定期的に反原発本を出版してきた。
同社は共産党系の出版社であり、前の2社と比較して
より実践的な政策の本としての色合いが濃い。

逆を言えば如何に共産党が
昔っから原発に反対してきたのかという話です。

私は共産党と対立している原水禁や解放同盟(解同)の
戦後における貢献も評価しています。特に解同は役所との癒着や
暴力事件を起こしたりと問題ある行為も行っていますが、
それは彼らがそこまで追い詰められる差別の現状に本質的な問題
があるのであり、癒着などの黒い行為も、社会的に差別されているために
歪んだ同胞意識が生まれ、真っ向から反対できなかったのではと思います。

他方で、解同は解放出版社という出版社を立ち上げ、だけでなく
アイヌ人や女性、在日コリアンなど、現代社会のマイノリティへの
差別を告発する本も多々出版しており、彼らの社会貢献を卑下すべき
ではないと思います。

このように私は相手のできること、できないことを
整理していくことが問題解決の第一歩だと思いますが、
どうもこれができていない論者が多いような気がします。


例えば共産党の原発に対する立場のユニークな点は、
原子力の研究自体は止めはしないし、研究の発展により
放射能の無効化が技術として実用化されれば、
その時は建設しても良いのではないかという点にあります。

これは、かつては推進派だった原子力安全委員会の武田邦彦が
震災直後に手のひら返しをしたときに発した言葉、

「自分は安全な原発ならOK。今は安全じゃないとわかったからNO」

という保身のための詭弁ではないことは、すでに事故が起きる前から
何度も国会の場で現在の原発が安全なんかじゃないということを
告発している事実からも明らかです。
(ちなみに武田は震災後に反原発本を出版しています)

しかし、この点が原発デストロイヤー
(原発に関連するすべてをぶち壊そうとする連中)にとっては
気に入らないらしく、加藤哲郎のように何故か原発推進派に
されてしまっているわけです。

デストロイヤーはこの点ばかり集中攻撃していますが、
共産党の反原発論はこういう研究支持の姿勢よりも
原発問題を人道主義や環境問題としてだけでなく、
地方自治体と経産省との癒着、ずさんな安全監視体制などの
政治問題として、地方自治体の財源などの経済問題として
科学的に解析している点にあります。

さすがに政党と言うべきか、単に原発を止めればいいという
話ではなくて、腐敗を生む政治や経済システムを変えなくては
いけないんだ
という巨視的な意見なわけです。

私も原発推進は財源に困る地方自治体が中央に飼われる内に
独立性を失い忠犬と化していく一例だと考えているので、
このような原発を壊せばオールOKだと思ったら大間違いだぞ
という意見には同意しています。

この点を全く理解しないまま、ただひたすらに
「原発は危ないんだ!止めなくてはいけないんだ!」と
喧伝する連中は北朝鮮が攻めてくるから武装せよと叫ぶ
極右と大して変わらないんじゃないかと思います。

ようやく本題ですが、震災直後に右派も左派も
こぞって反原発本を出版しましたが、この中には
「原発はだめだが核はOK」という意見をはじめとして
原発さえ何とかすれば後はどうでもいいという考えや
原発の危険性だけ強調するものが大半で、正直、
流行にのってドカドカ出しているだけにすぎないような気がします。

あんまり言いたくないけど、岩波書店も全然反原発本を
出版していなかったのに、震災直後の大量セールをしましたし、
平凡社などの他と比べると良心的な出版社も同じ姿勢でした。

こういう左派系出版社の在り方こそ、もっとも猛省しなければ
ならないと私は思う。何かが起きてからの告発ではなく、
起きる前に意見をしなければなりません。

「自分たちは真っ白なんだ」という傲慢さこそ、どうも筋違いと
言うか、まったくの嘘八百ではないが、肝心な部分を
語っていない反原発本を出版してしまう原因ではないでしょうか?

さて、恒例の加藤哲郎批判ですが、以前述べたように
筆者はこの男が他の週刊誌的なヒステリックなバッシングと違い、
学問的な立場から攻撃してくるから最も脅威だと話しました。

とはいえ、前々回の記事のように原発推進は経産省や東電じゃなくて
共産党や社会党などが中心に主導したという無茶苦茶な主張を
述べているので、こいつのペテンっぷりはそのへんのネトウヨと
同じで、全然警戒すべき人物じゃないと今は思っています。

その加藤が最近、朝鮮人強制連行などの本で有名な花伝社から
反原発を出したそうです。目次を読む限りでは、まともな内容の
本だと思いますし、加藤は編者で執筆者は多数ですから大丈夫
だとは思うのですが、なにせ戦後の原発推進は共産党のせいだ
と本気で主張している加藤が編集しているわけで。

こやつの悪魔的な才能は、学問の本として
大いに論争の余地ある書物を執筆するところにあると思います。
実際、加藤の学術書は普段の言葉とは違い、
あくまでも学問的に通用する内容に留めている。

さすがに嘘八百の出鱈目はやらないわけです。
とはいえ、上の本の編者は加藤が教授を勤めた大学出身
という部分から推察できるように、あくまでお友達同士の
学習発表会にすぎないレベルですが、一般人には
さして違和感なく受け入れられるでしょう。
そこが怖く感じるのです。


花伝社は昔は良心的な本を売っていたけれど、
最近は読み物を中心の出版社になっていて、近年発刊した
「民衆の北朝鮮」という北朝鮮本も、よりによって
極右の古田博司に絶賛されていて、正直、左翼系出版社
として、どうよと言いたくなる本ばかり出してる気がします。

私のような若造には、花伝社にはさして思い入れが
ないのですが、全共闘世代のご老人には思い出があるらしく、
この花伝社が出したからには、どんなに受け入れがたい事実でも
認めなければといった主張をする人もいますが、私はこの会社が
定期的に反共本を売っていることも知ったときに、加藤と同じ
反共左翼の呪縛を感じました。

つまり、基本的には左だから市民団体にも評価されているのだが、
本質的には反共イデオロギーに基づいた革新思想であるために
状況次第では簡単に極右と結託してしまうような気がする。
(基本的と本質的は言葉は似ていますが大きな違いがあります)

花伝社は、大体の部分は左だからという理由で左翼やリベラルを
肯定するのは要注意だという好例となるでしょう。

私は戦前の日本を大いに非難する戦後左翼が自ら行った
テロリズム(学生運動と美化されている)や共産党バッシング、
東欧・ソ連崩壊の礼賛(実際には福祉システムが崩壊し、貧困と
犯罪が激増した)、リビアや北朝鮮への執拗な攻撃、デモの過大評価
(=議会主義への不信)など、相当問題ある行為に対して
一言も反省しないばかりか美談として懐古している様子を見ると、
戦後史を彼らのような反共の形ではなく、真の意味で反省する
時が彼らが老害になっている今こそ行わなければならないでしょう。

※追記
治安維持法成立以前から、反共イデオロギーは
大日本帝国の国是の一つとなっていました。彼らが戦後史、
あるいは20世紀の総括(死語だと思うが好んで彼らは使うよね)
を反共の形で行うのは、戦後の反省ではなくて戦前の継承なんだ
という意識をもっと持っていてほしいですね。少なくとも私は
反共イデオロギーを克服しない限り、真の革新は起きないと思う。