時事解説「ディストピア」

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絞首台のレポートについて

2013-04-22 00:45:46 | 文学
「絞首台のレポート」とは、チェコ共産党の党員であるフチークが
煙草の巻紙に密かに書いた記録文学で、ナチスの拷問と尋問が
これでもかと告発された現在でも一読の価値ある名著である。

小林多喜二がわずか一日で惨殺されたのに対して、
こちらは死ぬまで時間がある程度あったのは、不運か幸運か悩むところ。

同じく権力側に殺された幸徳秋水の「キリスト抹殺論」と
比較して読むと面白いかも(幸徳秋水は無実の罪で死刑に処された)



http://barefoot.oops.jp/product/koushudai.html

こちらの方の感想では、本書が80ヶ国語に訳された
大ベストセラーだと解説されている。

私自身、岩波文庫の赤帯(小説もの)に分類されていたため、
つい創作ものだと思い今まで敬遠していたが、この度読んでみて
こういう記録はもっと多くの人に読み継がれるべきだと思った。

ところで、ウィキペディアを読むと、ずいぶんひどい解説がされている。
まー、ウィキなんてヒマ人の書くものだから仕方ないっちゃ仕方ない。

さるサイトを運営している御仁が、ウィキの解説文と
ほぼ同じ内容の感想を書いているので、こちらを引用しよう。

多くの国で共産主義は、反国、反体制活動と重なります。

しかし、1940年代のチェコスロバキアでは、
奇跡的に、愛国と反ナチと民族解放運動と共産主義とが重なったのです。
この情熱は本物です。

フチークは、スターリンによる解放を信じて亡くなりました。
スターリンは恐怖政治で、ロシアにおいても否定されています。

それでもフチークの美しさは変わりません。
拷問や監禁に耐える姿が皮肉にも
スターリン体制を批判するものとなっているのです。

日本は敗戦国=悪者ですが、ヒロシマの被爆者、ナガサキの
被爆者については、世界中の誰もが悪くは言いません。

平和な日常を破壊された戦争の犠牲者として、誰もが同情を寄せてくれます。
フチークもそうです。戦争と政治闘争の犠牲者として
永遠に哀悼を捧げられるべきです。


私はこういう感想というか姿勢をとってしまうところに
日本の反共左翼あるいは中道右派、リベラルの脆さを感じてしまう。

まず、なぜ多くの国家で共産主義が反体制となるかについてだが、
これはベトナムやキューバ、ベネズエラ、チリの歴史を知れば
自明の通り、その多くが植民地であり、政治的にも経済的にも
搾取と圧制を受けてきたからだ。

反体制=民族解放運動なのである。

次に、スターリン体制は日本では悪そのもので通っているが、
ロシアにおいては未だに中国における毛沢東同様、シンパがおり、
必ずしも否定されているとは限らない。むしろ否定していたのは
スターリン死去以降の各国共産党だろう。

ちなみに、私はスターリンの否定という現象は、フルシチョフに
よる宣伝に対する反応だったと考えている。フルシチョフにとっては
如何に自身の権威を正当化するかを考えた上でのパフォーマンス
にすぎなかったが、各国共産党にとってみては、如何に自身が
スターリンと違うかを説明しなければならない状態に陥ったのだと思う。

その影響に引きずられたままスターリンの評価は下げられている
ような気がして、あまり素直に喜べない。

これは何もスターリンを評価せよということではなくて、
政治的イデオロギーで歴史を語ることに対して否定的なだけである。

現に、冷戦終結以降に新たに発見された新資料からは、
それ以前の陰湿なスターリン像を覆す内容が含まれていた。

確かにスターリンは、状況に応じて残忍な決断を下したが、
それをナチスと安易に同列視していいものかとも思う。

故ダニエル・ベンサイドが主張しているように、
ナチスは自身の敵を殺したのに対して、ソ連は
自身の味方(共産的な表現をすれば同志)を殺したからだ。

綿密な比較の上で同質性を語るなら結構だが、
実際は、悪の代名詞として区分したがっているだけにすぎず、
その辺に抵抗を覚えるのである。

上の引用文でも、如何にスターリンと同じか、あるいは
違うかで作者を裁こうとしているかがおわかりだろう。

だが、スターリン主義者とバッシングしながらテロリズムに走り、
その後、何ら本格的な反省もしないまま今に至る全共闘世代の
連中を見ればよくわかるように、スターリンという言葉を
取り出して非難したところで、必ずしもそいつが正しいとは
限らないし、多くの場合は間違ってさえもいるのだ。

この評者の言葉も「共産党は悪だけど、たまに良い奴もいるから
その辺は評価しようね」という偽善めいた主張に留まっていて、
これは「日本人は糞だが、たまに良い奴もいる」という言葉と
同じものだ。

だいたい、この評者は
「南京大虐殺は無かった等というのは、国家に対する反逆行為。」
と言いながら、櫻井よし子を「硬派の女性ジャーナリスト、
櫻井よしこ様の論戦シリーズ。もっと活躍して貰いたい方です。」
と絶賛していて、かなり矛盾した思想を持っている。

南京事件を否定しているのは、他ならぬ櫻井女史なのだが?
硬派の女性ジャーナリストは国家に対して反逆しているらしい。

他にもチリやベトナムに対して侵略、テロを行ったニクソンを
絶賛していたりと、全くもって意味不明な部分があり、
ソ連は駄目だけどアメリカはOKなのかと憤ってしまう。

そして、何故かこういう連中ほど、ソ連や共産党の情報を
かき集めていて(もちろん肯定的な内容は意図的に省く)、
勝手な解釈をして正義の味方を気取っているわけだ。

つい先日、ゴーゴリにおける文学者による洗浄行為について
触れたが、これは第二次大戦中の共産党の運動についても同様
なのかもしれない。共産党と結びつけないでその内容を評価
しようとし、結果的にその作品の本質的な部分を汚している
ような、そんなお粗末な解釈が今後もドシドシ行われるのかもしれない。