「モスクワ攻防戦」という本の書評から。
本書は、近年公開されたソ連時代の公記録保管所の資料、
生存者・ソ連軍上層部・政府高官の子弟などの証言、
西洋諸国の外交官や特派員の報告書などの膨大な新資料によって、
初めてその全容と真相を明らかにしたものである。
ヒトラー、スターリンという二人の独裁者の野望と孤独と愚かさ……。
それに振り回されるチャーチル、ルーズベルト。そして、
勝敗を左右するスパイ・ゾルゲの日本情報……。本書は、
20世紀を決した“歴史と人間のドラマ”を初めて描ききった叙事詩である。
ルーズベルトはまだ理解できる。だが、チャーチルはどうだろうか?
労働運動を弾圧し、イギリスの植民地支配を恒久化しようと
画策したこの男は、どう考えたってヒトラー並みの悪党だろう。
こいつが戦後にギリシャに対して行ったことを考えれば、少なくとも
第3諸国にとってチャーチルはスターリンやヒトラー以上に
恐ろしい男だったはずだ。イギリスはソ連をけん制する盾として
ナチス・ドイツの侵略を途中まで容認したために、手ひどい目にあった
という歴史的事実もここでは完全に忘れ去られている。
そもそも、第二次世界大戦におけるファシズム国家は
日本とイタリアとドイツであるはずなのに、
どういうわけか日本ではヒロヒトとムッソリーニが空気化している。
ヒロヒトは後年、ヨーロッパへ赴いた際、向こうの市民団体に
「ヒロヒトラー」とまで罵倒されたのだが、そういう部分は
まったく頭にないようである。
こうしてみると、いかに「独裁者」という言葉がいい加減なものかよくわかる。
レーガンやサッチャーのような第3諸国にとっては鬼のように映るだろう
人間も、「人気者の政治家」で済まされてしまう。言いたくはないが、
ヒトラーやスターリンも死去するまで、人によっては死んだ後ですら
尊敬の念を集めているのだ。この種の言葉の無意識な洗脳作用に
たいして、私たちはもっと注意を向けなければならないのではないか?
(特に、プロフェッショナルであるはずの政治学者の先生様は)
著者がアメリカの「シンクタンク」である東西研究所の副所長という時点で
どういう本なのか想像がつくのだが、これを絶賛しているのも
我が国でソ連・ロシア問題の「権威」と言われている学者なので、
この方々が普段、ロシアを始めとした東側に対してどのような政策を
提言しているかを考えれば、もはや多くを語る必要もあるまい。
私はこの書評および紹介文を読んで、ネルーダの懲罰の歌を思い出した。
(以下のページで読むことができる。eocitiesの前にgを打って欲しい)
http://www.eocities.jp/oshimahakkou/neruda/chobatsu.html
ネルーダはチリの詩人で、ちょうどチリで民主的に選挙で共産国家が
誕生した直後、CIAと結託した軍部のクーデターが起こり全てが
台無しになってしまった頃に亡くなった。
チリやベトナムといった第3諸国の人間を平然と殺しまわる
ニクソン政権に対しての恨みつらみの詩で、これからの世界を
考える上で大変重いメッセージを投げかけていると私は思う。
昔から西洋中心の考え方はやめようと言われ続けているのに
どうして私達(国家に与する学者と彼に追従する連中)は
こうもたやすく向こう側の視覚を無視して話を続けてしまうのだろう。
このような「世界的ベストセラー」(出版社談)よりも
ネルーダの反抗の詩を読んだほうが数倍賢くなれる気がする。
追記・
ついでだが、選挙でアジェンデという共産主義者が選ばれかけた
その時、CIAは軍部の反共派に武器を渡して穏健派の軍人を暗殺
までしているのだが、南米や中東、アフリカにおいてここまで
露骨に工作をしかけるあの国家は一体なんなのとロシア研究者
(特に政治学者様方)に問いたい。
本書は、近年公開されたソ連時代の公記録保管所の資料、
生存者・ソ連軍上層部・政府高官の子弟などの証言、
西洋諸国の外交官や特派員の報告書などの膨大な新資料によって、
初めてその全容と真相を明らかにしたものである。
ヒトラー、スターリンという二人の独裁者の野望と孤独と愚かさ……。
それに振り回されるチャーチル、ルーズベルト。そして、
勝敗を左右するスパイ・ゾルゲの日本情報……。本書は、
20世紀を決した“歴史と人間のドラマ”を初めて描ききった叙事詩である。
ルーズベルトはまだ理解できる。だが、チャーチルはどうだろうか?
労働運動を弾圧し、イギリスの植民地支配を恒久化しようと
画策したこの男は、どう考えたってヒトラー並みの悪党だろう。
こいつが戦後にギリシャに対して行ったことを考えれば、少なくとも
第3諸国にとってチャーチルはスターリンやヒトラー以上に
恐ろしい男だったはずだ。イギリスはソ連をけん制する盾として
ナチス・ドイツの侵略を途中まで容認したために、手ひどい目にあった
という歴史的事実もここでは完全に忘れ去られている。
そもそも、第二次世界大戦におけるファシズム国家は
日本とイタリアとドイツであるはずなのに、
どういうわけか日本ではヒロヒトとムッソリーニが空気化している。
ヒロヒトは後年、ヨーロッパへ赴いた際、向こうの市民団体に
「ヒロヒトラー」とまで罵倒されたのだが、そういう部分は
まったく頭にないようである。
こうしてみると、いかに「独裁者」という言葉がいい加減なものかよくわかる。
レーガンやサッチャーのような第3諸国にとっては鬼のように映るだろう
人間も、「人気者の政治家」で済まされてしまう。言いたくはないが、
ヒトラーやスターリンも死去するまで、人によっては死んだ後ですら
尊敬の念を集めているのだ。この種の言葉の無意識な洗脳作用に
たいして、私たちはもっと注意を向けなければならないのではないか?
(特に、プロフェッショナルであるはずの政治学者の先生様は)
著者がアメリカの「シンクタンク」である東西研究所の副所長という時点で
どういう本なのか想像がつくのだが、これを絶賛しているのも
我が国でソ連・ロシア問題の「権威」と言われている学者なので、
この方々が普段、ロシアを始めとした東側に対してどのような政策を
提言しているかを考えれば、もはや多くを語る必要もあるまい。
私はこの書評および紹介文を読んで、ネルーダの懲罰の歌を思い出した。
(以下のページで読むことができる。eocitiesの前にgを打って欲しい)
http://www.eocities.jp/oshimahakkou/neruda/chobatsu.html
ネルーダはチリの詩人で、ちょうどチリで民主的に選挙で共産国家が
誕生した直後、CIAと結託した軍部のクーデターが起こり全てが
台無しになってしまった頃に亡くなった。
チリやベトナムといった第3諸国の人間を平然と殺しまわる
ニクソン政権に対しての恨みつらみの詩で、これからの世界を
考える上で大変重いメッセージを投げかけていると私は思う。
昔から西洋中心の考え方はやめようと言われ続けているのに
どうして私達(国家に与する学者と彼に追従する連中)は
こうもたやすく向こう側の視覚を無視して話を続けてしまうのだろう。
このような「世界的ベストセラー」(出版社談)よりも
ネルーダの反抗の詩を読んだほうが数倍賢くなれる気がする。
追記・
ついでだが、選挙でアジェンデという共産主義者が選ばれかけた
その時、CIAは軍部の反共派に武器を渡して穏健派の軍人を暗殺
までしているのだが、南米や中東、アフリカにおいてここまで
露骨に工作をしかけるあの国家は一体なんなのとロシア研究者
(特に政治学者様方)に問いたい。