時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

中野重治と加藤哲郎

2013-04-12 22:07:08 | 反共左翼
中野重治というと、私の頭の中では
共産党の中央委員にまでなっておきながら、喧嘩をして除名された
とたんに反共に一転した凄い人というイメージがある。

この男は戦前に1回、戦後に2回転向している。
そんなにヤバイ党ならどうして二度も復党したのか理由が聞きたいものだ。

私はこういう党内の権力争いに敗れたとたんに、
かつての仲間を売るような人間が嫌いだ。

思えば、私がプロレタリア文学を一旦読まなくなったのも、
彼の代表作である『五尺の酒』を読んだのが原因だった。

私が初めて読んだプロ文は『蟹工船』なのだが、
この作品は当時の日本の帝国主義政策、およびそれに
翻弄される群衆をかなり正確に描いており、小説というものは
決して作り話ではなく、現実に訴えるパワーを持っているのだと
感動したものである。

その後、葉山芳樹の『セメント樽の手紙』を読み、当時の
民衆の生活を活写するというスタイルが、むしろ現実と
隔離した空間内で筆者の幻想を魅せられる通常の文学と
一味もふた味も違うと考え、代表作家である中野の作品を読んだ。
それが『五尺の酒』である。

ところがこの作品は、要するに当時の共産党の天皇制の態度に反して
天皇を擁護する意見で埋め尽くされたもので、特に天皇を弱者として
描くという、史実とは大きくかけ離れた描写が私に不快感を抱かせた。

天皇は決して軍部のお飾りではなく、積極的に采配を振るったことは
現在、かなり確証されているが、当時においてもその事実は知られていた。


中野がどう考えたかは知らないが、北海で実際に起きた蟹工船での
虐待事件を入念に調べた上で、これは一部の悪党の仕業ではなく
日本の明治以降の近代化の中で必然的に起きた事件であると訴えた
『蟹工船』に対して、この当人の感覚に頼って暖かな天皇陛下を
演出した『五尺の酒』に私は幻滅したのである。なお、この作品は
後に江藤淳をはじめとした保守系の人間に利用され、天皇制を補強する役割を果たした。


そういうこともあり、戦後初期の時点で既に中野の思想に
かなり問題があると思っていたのだが、最近読んだ文学評論にも

中野の作品は戦後直後において、
過去の日本の朝鮮への侵略に対して
批判的な態度を取っているように見せながら、
その実、感傷的な回想に終始している

という意見があった。

私もそうだと思う。つまり、中野の回想には、
天皇制の下、拷問をかけられたり長期間監禁された
共産党を始めとした仲間たちへの配慮が全く欠如しているのだ。
『五尺の酒』の中には、小林多喜二の死を連想させるものが
何一つ見当たらない。

この曖昧な思いでに留め、本質を探そうとしない態度こそ、
後の反共バッシングへと走る一つの契機だったのではないかと
筆者は思えてならないのである。

そして、このような点は何を隠そう、
新左翼の人間にも通じるのではないかと思う。

学生時代の私は、どちらかといえば三浦氏タイプだった。
だからこそ本書では、むしろ増子氏の軌跡からより多くを学んだ。
私なりの「中間総括」は、両氏の師でもある川上武氏と共著で
『人間 国崎定洞』に客観化した。

東大医学部助教授から革命運動に飛びこみ粛清された国崎定洞の悲劇
のみならず、ベルリンで青春を共にすごした有沢広巳・千田是也・
勝本清一郎らのその後の軌跡を追いかけ、なお進行中である。

要するに、何が「志」で何が「総括」かも、
日本社会と私たちのこれからが定まらない以上、
さまざまな可能性と開かれた選択に委ねてよいのではないか。

私は本書を宮田親平『だれが風を見たでしょう』
(文藝春秋、1995年)と一緒に読んだ。

「志の持続」という一人の人間内部での思想的完結性よりも、
それぞれに個性的な「志」の挫折・苦悩・再生のプロセスと、
それらのリンケージによる社会的・歴史的な継承・断絶のあり方に、
より心を魅かれた。


上の文章は、加藤哲郎が書いた書評から抜粋したものだ。
加藤は安田講堂事件の当事者であるのだが、ここから
感じるのは、一見、反省をしているように見えながら、
どこか他人事めいた態度である。

そもそも、この書評だって共産党ガーという
いつもの共産党諸悪の根源論に基づいたもので、
どうやら加藤によると安田講堂事件も共産党の仕業らしい。

「私なりの中間総括」が結局、共産党バッシングに終始して
安田講堂事件に対する自己の責任について熟慮しようとしない
加藤は、天皇制に対する共産党の姿勢に対して難癖をつけながら
自身の戦前の行動に対して一切反省しなかった中野と通じるよう
感じてならないのだ。

独裁者について

2013-04-09 19:44:18 | リビア・ウクライナ・南米・中東
「モスクワ攻防戦」という本の書評から。



本書は、近年公開されたソ連時代の公記録保管所の資料、
生存者・ソ連軍上層部・政府高官の子弟などの証言、
西洋諸国の外交官や特派員の報告書などの膨大な新資料によって、
初めてその全容と真相を明らかにしたものである。

 ヒトラー、スターリンという二人の独裁者の野望と孤独と愚かさ……。
それに振り回されるチャーチル、ルーズベルト。
そして、
勝敗を左右するスパイ・ゾルゲの日本情報……。本書は、
20世紀を決した“歴史と人間のドラマ”を初めて描ききった叙事詩である。


ルーズベルトはまだ理解できる。だが、チャーチルはどうだろうか?
労働運動を弾圧し、イギリスの植民地支配を恒久化しようと
画策したこの男は、どう考えたってヒトラー並みの悪党だろう。

こいつが戦後にギリシャに対して行ったことを考えれば、少なくとも
第3諸国にとってチャーチルはスターリンやヒトラー以上に
恐ろしい男だったはずだ。イギリスはソ連をけん制する盾として
ナチス・ドイツの侵略を途中まで容認したために、手ひどい目にあった
という歴史的事実もここでは完全に忘れ去られている。


そもそも、第二次世界大戦におけるファシズム国家は
日本とイタリアとドイツであるはずなのに、
どういうわけか日本ではヒロヒトとムッソリーニが空気化している。

ヒロヒトは後年、ヨーロッパへ赴いた際、向こうの市民団体に
「ヒロヒトラー」とまで罵倒された
のだが、そういう部分は
まったく頭にないようである。

こうしてみると、いかに「独裁者」という言葉がいい加減なものかよくわかる。
レーガンやサッチャーのような第3諸国にとっては鬼のように映るだろう
人間も、「人気者の政治家」で済まされてしまう。言いたくはないが、
ヒトラーやスターリンも死去するまで、人によっては死んだ後ですら
尊敬の念を集めているのだ。この種の言葉の無意識な洗脳作用に
たいして、私たちはもっと注意を向けなければならないのではないか?
(特に、プロフェッショナルであるはずの政治学者の先生様は)

著者がアメリカの「シンクタンク」である東西研究所の副所長という時点で
どういう本なのか想像がつくのだが、これを絶賛しているのも
我が国でソ連・ロシア問題の「権威」と言われている学者なので、
この方々が普段、ロシアを始めとした東側に対してどのような政策を
提言しているかを考えれば、もはや多くを語る必要もあるまい。

私はこの書評および紹介文を読んで、ネルーダの懲罰の歌を思い出した。
(以下のページで読むことができる。eocitiesの前にgを打って欲しい)
http://www.eocities.jp/oshimahakkou/neruda/chobatsu.html

ネルーダはチリの詩人で、ちょうどチリで民主的に選挙で共産国家が
誕生した直後、CIAと結託した軍部のクーデターが起こり全てが
台無しになってしまった頃に亡くなった。

チリやベトナムといった第3諸国の人間を平然と殺しまわる
ニクソン政権に対しての恨みつらみの詩で、これからの世界を
考える上で大変重いメッセージを投げかけていると私は思う。

昔から西洋中心の考え方はやめようと言われ続けているのに
どうして私達(国家に与する学者と彼に追従する連中)は
こうもたやすく向こう側の視覚を無視して話を続けてしまうのだろう。

このような「世界的ベストセラー」(出版社談)よりも
ネルーダの反抗の詩を読んだほうが数倍賢くなれる気がする。

追記・

ついでだが、選挙でアジェンデという共産主義者が選ばれかけた
その時、CIAは軍部の反共派に武器を渡して穏健派の軍人を暗殺
までしているのだが、南米や中東、アフリカにおいてここまで
露骨に工作をしかけるあの国家は一体なんなのとロシア研究者
(特に政治学者様方)に問いたい。

チャベス大統領について

2013-04-08 22:53:59 | リビア・ウクライナ・南米・中東
チャベス大統領の遺体が冷凍保存されるというニュースを見た。

見ていて吐き気を催した。

チャベスにではない。
マスコミの偏向報道にだ。



ベネズエラは中東と同じく世界最大級の産出国である。
にも関わらず、チャベス政権の前は、ほとんどの石油を外資企業に牛耳られ、
国民の半数は1日2ドル(大体200円)以下で暮らしていた。

そこに現れたのがチャベスであり、彼は選挙で大統領に選ばれた後、
IMFに借金を返済し、製鉄業や電信事業も買戻し国有化し、
石油利潤を貧民層に再分配、南米一の医療大国キューバからの人的援助で
貧民街には無料の診療所が多数もうけられ、無料の市民食堂や学校が作られた。
失業者のための職業教育や住民の自発的な起業や創業のサポートも行った。

政権前のベネズエラの識字率は40%だったが、
政権後は95.5%にまで上昇した(この数値は日本よりも上だ)。

2002年にはCIAと結託した富裕者層や軍部が
クーデターを起こしたが、数十万の市民がチャベスを
守ろうと蜂起し、失敗した。選挙による社会主義国家を
築いたという点では、かつてのソ連や中国とは全く異なる。
(ちなみにキューバも直接民主制や選挙制度を採用している)


これが社会主義国ベネズエラである。

ベネズエラに限らないが、社会主義国が
どうして共産化するかというと、国際経済の下で
犠牲を強いられているからに他ならない。

だから、共産主義が本当に嫌いならば、
第3諸国に犠牲を強いるシステムをぶっ壊さなくては
いけないのだけれど、なぜか反共主義者はそれを提唱しない。

代わりに打ち出すのが共産主義国は異常なんだーという
いつものイメージ大作戦で、前述のニュースでも、
レーニンや毛沢東や金成日の写真を画面に並べて、
「社会主義国は歴史的に個人崇拝をする!」と喧伝していた。

じゃー、大日本帝国時代の大ボスを無罪にしたあげく、
国家のシンボルに仕立て上げ、死んでからも崇拝し、
アジアの人間を大量虐殺した連中を神として
祭っているどこぞのアホ国家はどうなんだよ。

そもそもレーニンは個人崇拝を嫌っていたし、
これはカストロやホー・チ・ミンなど、ほとんどの「独裁者」もそうである。
そこに共産主義国だからとか資本主義国だからとかは関係ない。

それなのにどうして、毛沢東や金成日と同列にして扱うのか?

共産主義国家=独裁=恐怖政治=個人崇拝というレッテルを
貼り付ける日本のメディアのほうがよっぽど宗教くさいじゃないか。
(靖国は実際、宗教の建造物だし)


イラン、リビア、ベネズエラ。
これらの国家はどれも石油資源が豊富にあり、本来ならもっと
豊かな国になれるはずだったが、戦後の国際システム下で
苦渋を味わってきた。そこで革命を起こして自国の利益を
守り、社会を向上させてきたのだが、その代償として
悪の枢軸として侮蔑されることになった。

核にせよなんにせよ、今の世界のシステムは
国連(欧米・中国・ロシアなどの大国)によって構築され、
そこでは「強いられた平和」が展開される。

むろん、これは大国の都合によって行われているのであり、
ヒッグス湾事件やイラク戦争、ユーゴ紛争、リビア空爆、
そして現在進行形のシリア転覆へのテロ援助や北朝鮮制裁を
見れば一目瞭然のように、大国の都合で簡単に覆される平和だ。

こういう偽ものの平和から本物の平和へと変えていかなければ
第2第3のチャベスが生まれてくるだろう。

コマネチについて

2013-04-06 23:24:11 | マスコミ批判
コマネチというと、私はビートたけしが昔やっていた一発芸らしい
という認識しかなかったのですが、数年前にルーマニアの体操選手で
亡命者だったということをTVで知り大変驚いた記憶があります。

ところで、この番組は池上彰氏が解説していたのですが、
その際に、コマネチをチャウシェスク大統領の二男が愛人に
欲したので亡命したという説明がされていました。

その時は、「へぇ~すごい国だったんだなー」と思いましたが、
その後、チャウシェスク大統領は核廃絶に熱心で、東欧崩壊以前には
完全雇用と強力な福祉システムを構築していたという事実を知り、
かつ現在のルーマニアの4割はかつての社会主義体制を望んでいる
という結果から、どうもこの国は悪魔が支配していたわけではないと
最近、感じるようになってきたわけです。

そして今日、そういえばコマネチの亡命って本当のところ
どうなんだろうなーと調べてみたら、なんと……なんと…

愛人を強要されて亡命したという説は
本人が否定していました。


出所がどこかわかりませんが、どうも当時の
週刊誌が報道した内容だったんじゃないでしょうか?
東欧の有名な体操選手が亡命したという事実は美味しい飯のタネですし。

私は震災が起きる前から池上さんの解説って肝心の部分を
話さないなー(原発や小選挙区制など)と感じていたけれど、
まさか、こんなデマをVTRで再現したうえに独裁者の国家が
どーたらこーたらと説明していたとは思っていませんでした。

この事実を池上さんが知らないはずがない。
意図的に無視したのでしょう。

こういう内容をゴールデンで流す国って
本当に人間が自由に生きていると言えるのでしょうか?


正直、今日までルーマニアのイメージに疑問を抱いていた
私ですら何も知らずに生きていたわけで、
ましてや一般人ならなおさらでしょう。

社会的には著名なジャーナリストがご飯の時間に
流す「共産主義=悪」という論調に誰も疑問を抱かず
そのイメージを受け入れてこれからも生きるのが
日本の現実であって、大変恐ろしい事態だと思います。

私は前々から、反共バッシングの決まり文句の
「民主化」とか「自由」には非常に懐疑的だったけれど、
この現状を前にして、むしろ自由を知らず知らずに
失っているのは我々じゃないかと感じずにはいられません。

反原発本について

2013-04-06 23:15:47 | 反共左翼
原発反対というのは、2011年までは左翼と呼ばれる連中によって
行われていまして、出版社として熱心にこれに携わってきたのは
緑風出版と7つ森書館の2社だったと思います。

新日本出版社も定期的に反原発本を出版してきた。
同社は共産党系の出版社であり、前の2社と比較して
より実践的な政策の本としての色合いが濃い。

逆を言えば如何に共産党が
昔っから原発に反対してきたのかという話です。

私は共産党と対立している原水禁や解放同盟(解同)の
戦後における貢献も評価しています。特に解同は役所との癒着や
暴力事件を起こしたりと問題ある行為も行っていますが、
それは彼らがそこまで追い詰められる差別の現状に本質的な問題
があるのであり、癒着などの黒い行為も、社会的に差別されているために
歪んだ同胞意識が生まれ、真っ向から反対できなかったのではと思います。

他方で、解同は解放出版社という出版社を立ち上げ、だけでなく
アイヌ人や女性、在日コリアンなど、現代社会のマイノリティへの
差別を告発する本も多々出版しており、彼らの社会貢献を卑下すべき
ではないと思います。

このように私は相手のできること、できないことを
整理していくことが問題解決の第一歩だと思いますが、
どうもこれができていない論者が多いような気がします。


例えば共産党の原発に対する立場のユニークな点は、
原子力の研究自体は止めはしないし、研究の発展により
放射能の無効化が技術として実用化されれば、
その時は建設しても良いのではないかという点にあります。

これは、かつては推進派だった原子力安全委員会の武田邦彦が
震災直後に手のひら返しをしたときに発した言葉、

「自分は安全な原発ならOK。今は安全じゃないとわかったからNO」

という保身のための詭弁ではないことは、すでに事故が起きる前から
何度も国会の場で現在の原発が安全なんかじゃないということを
告発している事実からも明らかです。
(ちなみに武田は震災後に反原発本を出版しています)

しかし、この点が原発デストロイヤー
(原発に関連するすべてをぶち壊そうとする連中)にとっては
気に入らないらしく、加藤哲郎のように何故か原発推進派に
されてしまっているわけです。

デストロイヤーはこの点ばかり集中攻撃していますが、
共産党の反原発論はこういう研究支持の姿勢よりも
原発問題を人道主義や環境問題としてだけでなく、
地方自治体と経産省との癒着、ずさんな安全監視体制などの
政治問題として、地方自治体の財源などの経済問題として
科学的に解析している点にあります。

さすがに政党と言うべきか、単に原発を止めればいいという
話ではなくて、腐敗を生む政治や経済システムを変えなくては
いけないんだ
という巨視的な意見なわけです。

私も原発推進は財源に困る地方自治体が中央に飼われる内に
独立性を失い忠犬と化していく一例だと考えているので、
このような原発を壊せばオールOKだと思ったら大間違いだぞ
という意見には同意しています。

この点を全く理解しないまま、ただひたすらに
「原発は危ないんだ!止めなくてはいけないんだ!」と
喧伝する連中は北朝鮮が攻めてくるから武装せよと叫ぶ
極右と大して変わらないんじゃないかと思います。

ようやく本題ですが、震災直後に右派も左派も
こぞって反原発本を出版しましたが、この中には
「原発はだめだが核はOK」という意見をはじめとして
原発さえ何とかすれば後はどうでもいいという考えや
原発の危険性だけ強調するものが大半で、正直、
流行にのってドカドカ出しているだけにすぎないような気がします。

あんまり言いたくないけど、岩波書店も全然反原発本を
出版していなかったのに、震災直後の大量セールをしましたし、
平凡社などの他と比べると良心的な出版社も同じ姿勢でした。

こういう左派系出版社の在り方こそ、もっとも猛省しなければ
ならないと私は思う。何かが起きてからの告発ではなく、
起きる前に意見をしなければなりません。

「自分たちは真っ白なんだ」という傲慢さこそ、どうも筋違いと
言うか、まったくの嘘八百ではないが、肝心な部分を
語っていない反原発本を出版してしまう原因ではないでしょうか?

さて、恒例の加藤哲郎批判ですが、以前述べたように
筆者はこの男が他の週刊誌的なヒステリックなバッシングと違い、
学問的な立場から攻撃してくるから最も脅威だと話しました。

とはいえ、前々回の記事のように原発推進は経産省や東電じゃなくて
共産党や社会党などが中心に主導したという無茶苦茶な主張を
述べているので、こいつのペテンっぷりはそのへんのネトウヨと
同じで、全然警戒すべき人物じゃないと今は思っています。

その加藤が最近、朝鮮人強制連行などの本で有名な花伝社から
反原発を出したそうです。目次を読む限りでは、まともな内容の
本だと思いますし、加藤は編者で執筆者は多数ですから大丈夫
だとは思うのですが、なにせ戦後の原発推進は共産党のせいだ
と本気で主張している加藤が編集しているわけで。

こやつの悪魔的な才能は、学問の本として
大いに論争の余地ある書物を執筆するところにあると思います。
実際、加藤の学術書は普段の言葉とは違い、
あくまでも学問的に通用する内容に留めている。

さすがに嘘八百の出鱈目はやらないわけです。
とはいえ、上の本の編者は加藤が教授を勤めた大学出身
という部分から推察できるように、あくまでお友達同士の
学習発表会にすぎないレベルですが、一般人には
さして違和感なく受け入れられるでしょう。
そこが怖く感じるのです。


花伝社は昔は良心的な本を売っていたけれど、
最近は読み物を中心の出版社になっていて、近年発刊した
「民衆の北朝鮮」という北朝鮮本も、よりによって
極右の古田博司に絶賛されていて、正直、左翼系出版社
として、どうよと言いたくなる本ばかり出してる気がします。

私のような若造には、花伝社にはさして思い入れが
ないのですが、全共闘世代のご老人には思い出があるらしく、
この花伝社が出したからには、どんなに受け入れがたい事実でも
認めなければといった主張をする人もいますが、私はこの会社が
定期的に反共本を売っていることも知ったときに、加藤と同じ
反共左翼の呪縛を感じました。

つまり、基本的には左だから市民団体にも評価されているのだが、
本質的には反共イデオロギーに基づいた革新思想であるために
状況次第では簡単に極右と結託してしまうような気がする。
(基本的と本質的は言葉は似ていますが大きな違いがあります)

花伝社は、大体の部分は左だからという理由で左翼やリベラルを
肯定するのは要注意だという好例となるでしょう。

私は戦前の日本を大いに非難する戦後左翼が自ら行った
テロリズム(学生運動と美化されている)や共産党バッシング、
東欧・ソ連崩壊の礼賛(実際には福祉システムが崩壊し、貧困と
犯罪が激増した)、リビアや北朝鮮への執拗な攻撃、デモの過大評価
(=議会主義への不信)など、相当問題ある行為に対して
一言も反省しないばかりか美談として懐古している様子を見ると、
戦後史を彼らのような反共の形ではなく、真の意味で反省する
時が彼らが老害になっている今こそ行わなければならないでしょう。

※追記
治安維持法成立以前から、反共イデオロギーは
大日本帝国の国是の一つとなっていました。彼らが戦後史、
あるいは20世紀の総括(死語だと思うが好んで彼らは使うよね)
を反共の形で行うのは、戦後の反省ではなくて戦前の継承なんだ
という意識をもっと持っていてほしいですね。少なくとも私は
反共イデオロギーを克服しない限り、真の革新は起きないと思う。

話せばわかれば警察はいらない

2013-04-05 20:29:54 | 北朝鮮
人工衛星(NASAもあれは衛星だと認めています)ひとつ飛ばすだけで
大騒ぎした日本が、今の北朝鮮の態度を見て騒がないのはどうしてか?

冷静に考えれば、今のほうが韓国やアメリカといつ戦ってもおかしくない
状態なのです。朝鮮戦争以降の休戦状態を白紙に戻したのですから。

じゃー、なんでいつも金正恩がくしゃみしただけでも
「これはゆゆしきこと!」と騒ぎそうな評論家や活動家が沈黙してるのか?

これは簡単なことで、本気で戦争をしてもらうと困るからです。
日本はソ連が消えたから今まで、ソ連に代わる脅威が必要でした。

恐ろしい敵を相手に立ち向かうヒーローを演じることが
自分の票を稼ぎ、政界で権威を高めるのに効果的なのです。

その典型的な例が安倍首相で、彼は表側では北朝鮮を敵国扱いしているが
一方では、向こうの国と縁のある宗教団体と懇意の仲であるわけで、
要するに、単なるパフォーマンスなんですよ。

評論家もそうやって正義のジャーナリストとして
自分を売り込んでいるだけで、自衛隊もそうやって
軍事予算を増やそうと画策しています。

要するに、北朝鮮が本当に滅んでしまうと
困る連中なんですよ、奴らは。


彼らにしてみれば、なるべく飯のタネには悪役を
頑張って演じてもらいたいわけで、引退宣言をしようものならば
どうなるか?当然、必死になってフォローするでしょ。

「引退するにはまだ早い」ってね。

ここ連日の北朝鮮報道は、人工衛星発射直前の
火のようなバッシングの嵐と比べるとすごくおとなしい。

さすがにこれ以上煽ると向こうが本気でキレると思っているんでしょう。

加藤哲郎をはじめ、今までノリノリで正義の使者を気取っていた連中も
「日本が軍事化する恐れが!冷静に対話を!」とまぁ、今の日本人が
ここまで他国に対して敵意をむきだしになっているのは誰のせいだよと
ツッコミを入れずにはいられないセリフをほざいています。

で、この「暴力ではなく対話を!」という主張ですが、
一見、理知的な意見に聞こえますが、こちらにも非があるという
自覚をしない限り、「向こうは悪党だが俺たちは正義だから
大人になって相手をしてあげようぜ」という独善的な主張に陥る
危険性があります。今の北朝鮮報道を見ると、こちらの過剰な
反応にも問題がありはしないかという問題提起すらない状態です。

昨日の日本経済新聞の記事にこう書かれていました。

日本経済新聞 2013/04/04付朝刊]

このところ平壌から核攻撃の脅かしが聞こえてくる。
自分たちの要求を米国の優先的政治議題に取り上げさせようという
いつもの威嚇ではある。だが、今回は打ち鳴らす太鼓の音が大きく、
平壌、ソウル、あるいは同盟諸国がそれぞれ致命的な誤りを
おかしてしまう可能性が高まっている。

相互に無関係のいくつかの動きが緊張を高める要因になっている。
南北朝鮮で新しい世代の指導者が政権に就いた。
通常なら新たな対話の道が開かれるところだが、
2人がそれぞれ自国の観衆向けに強いところを見せようとして
意思疎通ができなくなる恐れがある。

米軍と韓国軍が半島周辺で年次の演習を実施したことで、
北朝鮮が声を一段と強めている。

こうした状況下では偶発的衝突が重大な地域紛争の引き金になりかねない。
演習は韓国の安全保障のために必要だ。
しかし、黄海の一部での演習が瀬戸際の危険な行動になるかもしれない。

今すぐ全員が緊張を和らげなくてはならない。
若き金正恩氏は米国の都市と軍事基地を攻撃すると脅している。
彼は伝統的なルールブックに従っていると思っているのかもしれない。
だが、彼の行動のテンポは危険だ。

平壌の主な同盟国である中国はついに制裁強化に賛成した。
北京は制裁を実施しなければならない。

一方、ワシントンは北京に対し、北京が北朝鮮への支持を取りやめ
金一家が崩壊した場合、半島が米軍の長期的基地にならないことを
改めて約束しなければならない。

緊張を解消するために最も重要なことは平壌との対話の推進だろう。
どのような攻撃にも断固として反撃することを
明確にしておく必要はあるが、話し合いは紛争の脅威を軽減する。

その場合、米国と韓国が平壌の非核化という前提条件を
取り下げなければならないかもしれない。

非核化を目標として掲げ続けるべきだが、
それが実現すると考える専門家はほとんどいない。

ならず者国家と関係を持つことが不快であっても、
平和への唯一の望みは意思疎通の場を維持することにある。(3日付、社説)


どうです、この全体から漂う日本正義のオーラ。
この社説のなかに北朝鮮の立場を慮る言葉が
一文字も見当たらない。

金政権をぶっつぶすのを前提にしておきながら
対話をー!だなんてよくも言えたものだなぁ……

この社説のなかにアメリカの軍事演習が言及されていたけれど
この演習の中でアメリカは、
核核兵器を搭載可能なB52戦略爆撃機を急きょ派遣し、
軍事境界線の南側付近を数回にわたり飛行させた
んですよ?

「年次の演習を実行した」なんて生易しいものじゃなくて
文字通りの脅しですよ。脅しには脅しですよ。

北朝鮮側の報道を読むと、この米軍の北朝鮮占領を
想定した軍事演習を領海近辺で行ったことが現在の
緊張状態のきっかけだと言っているわけです。

この言い分が正しいかどうかは別として
向こうのキレている理由までごまかして
「演習は韓国の安全保障のために必要だ」とうそぶくのはいかがなものでしょうか?


おわかりでしょうか?
今の新聞の報道なんてこの程度のレベルなんですよ。

そして、残念ながら日本の左派陣営もこのレベルを
脱していないと思います。浅井基文さんなど本当に少数の方は
向こうの言い分を理解した上で提言していますが、それは微々たるもの。

この件に関しては共産党も同じ意見です。
加藤哲郎の朋友である宮地なんかはいまだに
「共産党と北朝鮮はグルなんだぁああ!!!」と
叫んでいますが、60年代を通じて自立路線を進んだ
共産党は共産主義国に遠慮しなくなった一方で、
日本中心に外交を考えてしまうようになった気がします。

さんざん加藤哲郎のクソっぷりを書いているので
誤解しているかもしれませんが、私は党員じゃありませんし
そうだからこそ、彼らが出来ないこともきっちり指摘するつもりです。

戦前の共産党は国際主義の色が強くて
侵略された他国の民衆と一緒に行動することが出来ましたが、
はたして自国中心の外交に転じてしまった今、
アジアやアフリカ、南米における欧米中心の報道に
苦言を呈することができるのか?

まー、たぶん出来ないと思うんですけどね。
それは他国の共産党からの独立、議会主義を尊重した結果
ですから、もろ刃の剣のマイナス面だと思います。

そういう部分を、市民運動家が補わなければならないと
思うのですが、加藤をはじめ、先進国中心の思想は
むしろこいつらのほうが程度がひどいってのは、本当・・・
やばいなと思います。

加藤によると右より左が原子力を礼賛してたらしい

2013-04-04 01:58:19 | 反共左翼
加藤哲郎は一応、現代史の論文も発表しているのですが、
こんな奴の論文が載るってことは学会の権威に傷がつくから、
本当に勘弁してもらいたいです。まー、こいつに限らず、
思想や政治を担当する人文系の学者をみると、
ひょっとして人文系ってベリーイージーな学問なのかと
勘ぐってしまいますが(要するにものすごい象牙の塔なんですよね)

そんな加藤の原発に関する歴史観が露呈されているのが以下の文章。

http://members.jcom.home.ne.jp/katote/Living30.html

「原子力時代」「原子力の平和利用」の言説が
大新聞から論壇・共産党機関紙誌にまで溢れていました。
右派よりも左派が、それを主導していました。中略

もうひとつつけ加えれば、原発は核兵器と同じように、
旧ソ連中心の東側「社会主義世界体制」の接着剤でした。中略

日本の左翼勢力は、こうした構図のもとで「脱原発」に積極的になれず、
「原子力の平和利用」の神話に呪縛されていました。
ちょうど60年代まで、ソ連や中国の核兵器を
「社会主義の防衛的核」と容認していたように。中略

だから、高木仁三郎さん、広瀬隆さんらの「反原発」運動は、
東西冷戦を背景とした社会党・共産党・労働組合中心の社会運動の中では、
孤立を余儀なくされたのです。


この文章から加藤が右翼じゃないと想像できる者が何人いるだろうか?
ツッコミを入れるとキリがありませんが、一応コメントすると、
大新聞も報道していたと加藤本人が言っているように、
原子力の平和利用(つまり原発推進)って全国紙や電力会社、
御用学者、自民党議員、経産省の役人が主導してたでしょうに


これは経産省の役人から京大教授に天下りした中野剛志も
憎々しげに言っていますよ?左翼が邪魔するから原発が悪者にされたって。

そもそも、少なくとも日本の原発はアイゼンハワー政権にまでさかのぼる
アメリカの国益と世界戦略に基づいて展開されたのに、いつのまにか
社会主義陣営の接着剤にされています。本当に歴史勉強したのでしょうか?

歴史的事実を並べてみれば、「原発は安全だよー」と称して
次々と財政が苦しい地方自治体に売り込んでいったのは政府や電力会社の
人間であったし、安全神話が政府によりねつ造されたのは反原発運動に
携わる人間なら誰でも知っていることです。なんで意図的に隠すの?

60年代までソ連の核を容認していたというのも嘘です。60年代半ばまでです。
大体、部分的核実験禁止条約を、内容が限定されていて不十分であり、
大国同士(ソ連とアメリカ)のなれ合いの所産だと激しく非難したのは
共産党ですよ。反対した理由がアベコベになってるんですが。

ついでに言うならば、核が圧倒的に防衛力がない弱小国家にとって外交力
になっているのは事実であって、それは北朝鮮を見れば明らかでしょ?
そうでなきゃとっくの昔にイラクのように滅ぼされてますよ。

この時期の共産党は反帝国主義のためなら、ソ連や中国に対しても
多少は目をつぶってましたから(60年代後半からは違ったけど)、
やっぱりここでも加藤は現代世界でも通じる反米=共産主義に
応ずることができないんですよね。

また、ここで共産党が言う平和利用は原発推進ではなく、
放射能の無害化をはじめとする平和的研究の推奨であって、
共産党は最初っから反原発の立場で取り組んできましたし、
一度だって原発に手を貸した覚えもないのですけど、
この辺の事実、どうなっているんでしょうかね、加藤大先生!

そして、「東西冷戦を背景とした社会党・共産党・労働組合
中心の社会運動の中では、孤立を余儀なくされた」って言ってますが、
社会党や非共産系の労組は別にソ連や中国に遠慮してませんし、
彼らが建てた原水禁は平和利用も含めた反核運動に設立当初から
従事してますよ。共産党が憎いばかりに社会党にまで被害が!

どう考えたって加藤のコメントって
自民党や東電が泣いて喜びそうな
文章じゃないですか?


全ての責任が左派陣営のせいに
されているんですからね。


こいつが褒めたたえる広瀬隆だって、保守派と一緒に
地球温暖化なんて嘘なんだーとバッシングしていたり、
リーマン・ショックはロスチャイルド財閥の陰謀と言ったりと
相当胡散臭いヤツですよ。私は原発には反対だけれど、
広瀬と一緒に行動はしたくないなー。

そういえば週刊金曜日や社民党に売り込んで
悲劇の俳優の座を勝ち取った山本太郎だって
広瀬とつるんで、わざわざ反原発大会の場で
共産党のがれき処理の姿勢にケチつけて何人か退場させてたなぁ。

がれきを危険物扱いして受け入れに反対する連中に、
じゃー、おまえはそのまま福島においとけってこと?って言いたい。

結局、こいつらの反対なんて我が身可愛さで生じたことで、
絶対、故郷ががれきに埋もれた市民を思ってやってることじゃない。

さて、このように加藤は共産党悪玉論に則って、
何でもかんでも共産党のせいにしているもんですから、
自民党を代表とする保守派に対する評価がすげー甘いです。

自民党河野太郎さんばかりでなく、
長く「反原発」に対立してきた日本共産党がようやく
「脱原発」を明確にし、保守の論客西尾幹二さんが
「脱原発こそ国家永続の道」を発表しています。
財界でも、ソフトバンク孫正義さんの
「メガソーラー」計画や楽天三木谷社長の
「経団連脱退」発言が話題になっています。


自民党は震災直後から推進の立場を変えていません。
共産党は吉井議員を筆頭にずっと反原発を訴えてきました。
経団連の圧倒的多数は原発推進です。孫さんは唯一の反対者です。
西尾幹二は原発には反対しても核武装は推しています。


あんた仮にも平和運動家なんでしょ?
なんで非核三原則を撤廃しようとする男を敬称で呼ぶの?


このような珍論の果てに続くのが次の結論。

つまり、「脱原発」は日本の国家と社会のあり方の全般的転換、
「戦後との訣別」を意味します。核兵器・核エネルギーを一体の
ものととらえて考え、「原子力村」の談合による微調整に終わらせることなく、
「自主・民主・公開」の広い国民的討論の中で、「脱原発」を選択すべきです。


私にはどうしても改憲と核武装、被差別をはじめとした
マイノリティへの差別発言、歴史の改ざんを行う西尾幹二のような人間が
反原発になったからって戦後とは決別できないと思うのですが……
まーこういう奴を褒めちぎる加藤だからこそ言えるのだろうな。

そもそも、加藤ってマルクス主義を自称しときながら(!)
国際主義くささが全然ないですよね。

そこは世界の在り方の転換とか、20世紀の決別とか書くべきでしょ。
我が国がどーたらこーたらとか、おまえは国家主義者か。

自分が日本中心に考えていることを図らずとも露呈してますぞ?

結局、こいつにとっては核・原発=共産主義、
核からの脱却=脱共産=戦後との決別ってことなんだろうな。

いくらなんでも歴史の勉強がお粗末すぎるぜ!
っと言いたいが、この男、それなりに資料は押さえていて
自分のサイトのリンクで紹介してますから、意図的に書いているのでしょう。

加藤のこういう態度をみると、どれだけ権威のある政治学者でも
御用学者ってのは見苦しいことこの上ないんだなと教えられる。

正直、私は西尾や藤岡のような極右や、藤井や中野のような雑魚学者より
加藤のように市民団体にも支持されており、左派系学会でも排除されず、
かつ自分が編者となって岩波をはじめとした正統派出版社に数々の本を
書いている加藤のほうが脅威だと思っていました。

少なくとも加藤は出鱈目ではなく正攻法で攻撃してると考えてましたから。
でも、実のところ極右と大したことない奴だとよくわかった気がします。

逆を言えば今の日本って左翼まで反共化してるってことですよね。
私は右傾化よりもそっちのほうがヤバいと思います。

そもそも戦前の遺産の一つに反共主義というのがあり、
そのせいで多くの人間が治安維持法の犠牲者になりました。

戦後も冷戦体制の中その主義は残りレッド・パージをはじめ、
数々の排除政策が採られたわけですが、冷戦の終結後、
反共主義はソ連から中国や北朝鮮に視点が移って激しさを増しています。

加藤が戦後と決別したいならまず自身の反共主義から
足を洗うべきでしょう。っていうか、そうしないと結局、
反米地域の住民とは協力できずに、シュバイツァーよろしく、
野蛮な国家の善良なる市民のために有難いお説教をして下さる
欧米市民運動家としか仲良くできないと思いますが・・・・・

まー、それで満足してそうだよね。この65歳の爺さんは。

もう一つの世界は可能か?

2013-04-03 23:58:52 | 反共左翼
http://members.jcom.home.ne.jp/072286711/Living15.html

加藤哲郎はアントニオ・ネグリが大好きなようで、サイトでも
「もう一つの世界は可能だ!」を紹介しているのですが、
加藤のような男がシンパになってるようじゃ無理でしょう。

というわけで、いつもの加藤語録。

重村智計さん、高世仁さん、萩原遼さんら
言葉の正しい意味でのジャーナリストたちの努力で、
北朝鮮「政治犯収容所」の内実が次々に明るみに出てきました。


言うまでもなく、萩原は朝鮮学校への無償教育の除外という名目で
それによる在日朝鮮人家庭への経済負担による生徒数の減少、
そして朝鮮学校の経営破たんをもくろむ物凄い糞ジジィです。

※無償教育除外は国際人権規約、子どもの権利条約、ならびに
憲法にも抵触するあからさまな人権侵害です。
北朝鮮の人権侵害には文句を言うくせに
自分たちが今堂々とやっている行為には平然としている加藤って一体……

重村は金正日死亡説を堂々と語った恥ずかしい経歴の方だし、
高世だって北朝鮮にルーツを持つ在日朝鮮人の中では、
日本政府に媚びた御用ジャーナリストで有名なのに、
天才政治学者様の加藤哲郎はなぜこうも絶賛できるのでしょう。

北朝鮮に対して中立的な立場で語っている吉田康彦先生の
「北朝鮮」再考のための60章や高文研の編集者である梅田正巳さんの
「北朝鮮の脅威と集団的自衛権」等を読むと、

如何に私たちが普段接する北朝鮮の情報が
民主的に制限されているかがよくわかります。


森達也さんが「臨終メディア」で、
国家による言論統制がされない社会は自由のある社会というわけでは
なく、権力が監視する必要がないほど反対意見を言わないだけにすぎない

と語っていたが、北朝鮮バッシングで賑わっているこの国を
見ると、まさしくその通りだなと実感してしまう。

重村にせよ萩原にせよ、北朝鮮を悪の枢軸に仕立て上げるお手伝いを
した連中であって、決して経済制裁をくらって憤っている国民のために
頑張っているわけではありません。

戦前の日本がそうであったように、独裁者が治める国の国民というのは
案外、忠誠心が高いもので、これはスターリン政権時のソ連もそうでした。

朝鮮戦争以来、ただの一度もよその国に侵略軍を送ったことがない
北朝鮮より、あれやこれやと悪の国家を演出してリビアやシリアの
内部にいるテロ組織を支援し、場合によっては自ら空爆を行うアメリカや
イギリス、韓国のほうがよっぽど野蛮だと思うのは気のせいだろうか。

こういう国家を相手にすれば、こんな奴らに屈してたまるかと思う
人が相当数いるのは容易に想像できるんじゃないでしょうか・・・

そもそも脱北者にしたって経済的理由で逃れる人が大半で、
政治的理由で逃げる人の割合は小さいです。

しかも、中国との国境はわりと楽なようで、中国に出稼ぎに行って
戻ってくるというのは黙認されているわけです。
鉄のカーテンを連想させる報道のどこが正しいジャーナリズムなの?

本当のジャーナリストって、そういう地獄絵図を演出せずとも
北朝鮮の問題を指摘できる人をいうんじゃないでしょうか?
(この件では前述の吉田さんを強く推します)

一般的に見れば極右にあたるだろう報道者を正しいジャーナリストと
称し、バッシングに興じる様は、Willや正論の信者と変わりありません。

っていうか、筆者はてっきり加藤は極右だと勘違いしてましたしね。

自衛隊の海外派遣・有事立法・イラク派兵の流れは、
日本国憲法の枠組みを大きく踏み出し、「帝国」アメリカの同盟軍として、
世界のマルチチュードに対峙する方向に向かっています。


わざわざネグリの用語を使うあたり、かぶれてんなぁと思いますが、
帝国アメリカの片棒を担いでいたのは他ならぬ加藤です。
えー、そりゃーもう、桜井よし子をはじめとする極右と一緒に
北朝鮮を悪の枢軸に仕立てるのに一生懸命じゃないですか。

慰安婦をはじめとした戦前日本の被害者からしてみれば、
それも在日北朝鮮人の被害者からしてみれば、加藤のような男を、
歴史問題に真摯な態度を見せる共産党を悪党よばわりして
櫻井をはじめとする捏造史観の人間を「さん」付けで
仲良くしている男に対して、連帯しようと思うでしょうかねぇ?

まー、歴史問題に対する姿勢から察するにこいつも佐藤優のように、
相手に応じてコロコロ自分の意見や態度を変えて接するようですけど。


要するに加藤は既存の共産主義勢力にアレルギー反応を示して
暴れているだけなんですよね。そこが世界の左派団体と決定的に違う点。

「ソ連の崩壊は資本主義から離脱して社会主義へという
 流れそのものがなくなったということではありません。
 
 ソ連の失敗からも教訓をくみとって、新しい形で社会主義をめざそうという
 流れが、一九九〇年代に中国やベトナムで始まったことは、
 二十一世紀の世界に大きな影響をおよぼす重要な意義をもちます」

という時代錯誤のノスタルジアです(なぜか北朝鮮とキューバは出てきません)


上のコメントなんか、その典型的な例で何とかして社会主義陣営を否定
しようと必死です。これは2003年の不破哲三さんの講演にケチつけてる
文章なのですが、ここで不破さんが言っている新しい形とは市場主義を
取り入れた社会主義のことです。実際、これは連日の報道でも明らかな
ように、政治的には依然社会主義国家なのですから時代錯誤でも何でもない。

北朝鮮やキューバは経済的には元来の社会主義方式を取っているのですから
この話に出てこないのは当然です(ちなみに日本の共産党はキューバとは仲良し)

また、ベネズエラのように選挙を通じて極めて社会主義型の
制度を取り入れた国家も誕生しています。ユーラシア型の
社会主義はいざ知らず、アラブ型や南米型の社会主義は
未だ健在ですし、過去の教訓を学び、新しい国づくりが始まる
可能性は、大いにあるだろうと思います。

さて、このコメントで凄い部分は「なぜか北朝鮮とキューバは出てきません」
という箇所。当時、この国はアメリカに悪の枢軸国よばわりされていた
のですが(キューバは今も)、加藤は帝国とか言いながら、ばっちり
アメリカと同じ見解を取っているんですよね。

原水禁のような反共非核団体にも言えるのですが、
こいつらって口では反米のポーズを取っていますが実際には
イランと北朝鮮をバッシングしているというアメリカにとっては
朋友のようなことをしています
。実は仲良しなんじゃない?

加藤はアメリカが演出したリビア似非革命も絶賛してますし、
もうここまで来るとこいつのヒューマニズムってアメリカの
手のひらでコロコロ転がされているような気がしてなりません。
(共産党は一応、後日の状態も報道して批判してたぞ!)

リビア、イラク、アフガニスタン、キューバ。
いずれも反米陣営でありましたし、アフリカや南米、中東を主に
先進国に抗う動きというのは実は世界規模で見ると多数派です。

数だけ見れば多数派だけれど政治的にも経済的にも少数派なため、
第二次世界大戦後も犠牲を強いられてきた地域です。

こういう人たちが資本主義にあらがうイデオロギーとして
依存したのがマルクス主義であって、当然そういう周辺地域は
政情が安定しないから、血を見ることも多々あることです。

そして、そういう惨劇はフィリピンやインドネシア、インド、
韓国、南アメリカをはじめとした資本主義陣営でも見られたことで、
何も社会主義国にのみ起こりうる現象ではありません。

むしろ、発展途上国に見られる現象として見るべきです。
こういう暴力が絶えない地域で抗う人たちにとって
加藤の言う「永続民主主義論」と格好つけてはいるが、
実際には金持ち国家のインテリ視点の正義感は受け入れられないでしょう。

というか、加藤自身が彼らと手を切ると思います。
実際、長らく軍事独裁政権で苦しんでいたベネズエラが
社会主義国家として復活した際に、加藤は北朝鮮の核を認めたから
こいつらも悪だとバッシングしましたからね。ちなみに
ベネズエラもアメリカの外国資本に長らく自国の富を
収奪されていたので、思いっきり反米国家です(これはキューバも同じ)

要するに、世界規模でみると、
未だに途上国では反米=共産なのです。


じゃあ、こういう地域の市民相手に加藤が仲良くできるのか?

どう考えてもベネズエラの国民と加藤が手を取り合い
平和への道を進むのはありえないでしょう。
(そういえば加藤はアメリカの大学でも働いていたなあ)

こうしてみると、加藤にとっての反米って反共よりは薄いイデオロギーで、
口では対立してみせても実際には支援し、される間柄なのです。

同じ理屈で反保守よりも反共のほうが濃いイデオロギーなので、
場合によっては手を取り合って応援しあう仲になっているのだと思います。

つまり、優先順位→反共>反米、反共>反保守ってわけ。


はっきり言って、加藤は右翼の友達にすぎませんから、
どんなに絶賛しても世界の反米の友達にはなれないでしょうね。