中野重治というと、私の頭の中では
共産党の中央委員にまでなっておきながら、喧嘩をして除名された
とたんに反共に一転した凄い人というイメージがある。
この男は戦前に1回、戦後に2回転向している。
そんなにヤバイ党ならどうして二度も復党したのか理由が聞きたいものだ。
私はこういう党内の権力争いに敗れたとたんに、
かつての仲間を売るような人間が嫌いだ。
思えば、私がプロレタリア文学を一旦読まなくなったのも、
彼の代表作である『五尺の酒』を読んだのが原因だった。
私が初めて読んだプロ文は『蟹工船』なのだが、
この作品は当時の日本の帝国主義政策、およびそれに
翻弄される群衆をかなり正確に描いており、小説というものは
決して作り話ではなく、現実に訴えるパワーを持っているのだと
感動したものである。
その後、葉山芳樹の『セメント樽の手紙』を読み、当時の
民衆の生活を活写するというスタイルが、むしろ現実と
隔離した空間内で筆者の幻想を魅せられる通常の文学と
一味もふた味も違うと考え、代表作家である中野の作品を読んだ。
それが『五尺の酒』である。
ところがこの作品は、要するに当時の共産党の天皇制の態度に反して
天皇を擁護する意見で埋め尽くされたもので、特に天皇を弱者として
描くという、史実とは大きくかけ離れた描写が私に不快感を抱かせた。
天皇は決して軍部のお飾りではなく、積極的に采配を振るったことは
現在、かなり確証されているが、当時においてもその事実は知られていた。
中野がどう考えたかは知らないが、北海で実際に起きた蟹工船での
虐待事件を入念に調べた上で、これは一部の悪党の仕業ではなく
日本の明治以降の近代化の中で必然的に起きた事件であると訴えた
『蟹工船』に対して、この当人の感覚に頼って暖かな天皇陛下を
演出した『五尺の酒』に私は幻滅したのである。なお、この作品は
後に江藤淳をはじめとした保守系の人間に利用され、天皇制を補強する役割を果たした。
そういうこともあり、戦後初期の時点で既に中野の思想に
かなり問題があると思っていたのだが、最近読んだ文学評論にも
中野の作品は戦後直後において、
過去の日本の朝鮮への侵略に対して
批判的な態度を取っているように見せながら、
その実、感傷的な回想に終始している
という意見があった。
私もそうだと思う。つまり、中野の回想には、
天皇制の下、拷問をかけられたり長期間監禁された
共産党を始めとした仲間たちへの配慮が全く欠如しているのだ。
『五尺の酒』の中には、小林多喜二の死を連想させるものが
何一つ見当たらない。
この曖昧な思いでに留め、本質を探そうとしない態度こそ、
後の反共バッシングへと走る一つの契機だったのではないかと
筆者は思えてならないのである。
そして、このような点は何を隠そう、
新左翼の人間にも通じるのではないかと思う。
学生時代の私は、どちらかといえば三浦氏タイプだった。
だからこそ本書では、むしろ増子氏の軌跡からより多くを学んだ。
私なりの「中間総括」は、両氏の師でもある川上武氏と共著で
『人間 国崎定洞』に客観化した。
東大医学部助教授から革命運動に飛びこみ粛清された国崎定洞の悲劇
のみならず、ベルリンで青春を共にすごした有沢広巳・千田是也・
勝本清一郎らのその後の軌跡を追いかけ、なお進行中である。
要するに、何が「志」で何が「総括」かも、
日本社会と私たちのこれからが定まらない以上、
さまざまな可能性と開かれた選択に委ねてよいのではないか。
私は本書を宮田親平『だれが風を見たでしょう』
(文藝春秋、1995年)と一緒に読んだ。
「志の持続」という一人の人間内部での思想的完結性よりも、
それぞれに個性的な「志」の挫折・苦悩・再生のプロセスと、
それらのリンケージによる社会的・歴史的な継承・断絶のあり方に、
より心を魅かれた。
上の文章は、加藤哲郎が書いた書評から抜粋したものだ。
加藤は安田講堂事件の当事者であるのだが、ここから
感じるのは、一見、反省をしているように見えながら、
どこか他人事めいた態度である。
そもそも、この書評だって共産党ガーという
いつもの共産党諸悪の根源論に基づいたもので、
どうやら加藤によると安田講堂事件も共産党の仕業らしい。
「私なりの中間総括」が結局、共産党バッシングに終始して
安田講堂事件に対する自己の責任について熟慮しようとしない
加藤は、天皇制に対する共産党の姿勢に対して難癖をつけながら
自身の戦前の行動に対して一切反省しなかった中野と通じるよう
感じてならないのだ。
共産党の中央委員にまでなっておきながら、喧嘩をして除名された
とたんに反共に一転した凄い人というイメージがある。
この男は戦前に1回、戦後に2回転向している。
そんなにヤバイ党ならどうして二度も復党したのか理由が聞きたいものだ。
私はこういう党内の権力争いに敗れたとたんに、
かつての仲間を売るような人間が嫌いだ。
思えば、私がプロレタリア文学を一旦読まなくなったのも、
彼の代表作である『五尺の酒』を読んだのが原因だった。
私が初めて読んだプロ文は『蟹工船』なのだが、
この作品は当時の日本の帝国主義政策、およびそれに
翻弄される群衆をかなり正確に描いており、小説というものは
決して作り話ではなく、現実に訴えるパワーを持っているのだと
感動したものである。
その後、葉山芳樹の『セメント樽の手紙』を読み、当時の
民衆の生活を活写するというスタイルが、むしろ現実と
隔離した空間内で筆者の幻想を魅せられる通常の文学と
一味もふた味も違うと考え、代表作家である中野の作品を読んだ。
それが『五尺の酒』である。
ところがこの作品は、要するに当時の共産党の天皇制の態度に反して
天皇を擁護する意見で埋め尽くされたもので、特に天皇を弱者として
描くという、史実とは大きくかけ離れた描写が私に不快感を抱かせた。
天皇は決して軍部のお飾りではなく、積極的に采配を振るったことは
現在、かなり確証されているが、当時においてもその事実は知られていた。
中野がどう考えたかは知らないが、北海で実際に起きた蟹工船での
虐待事件を入念に調べた上で、これは一部の悪党の仕業ではなく
日本の明治以降の近代化の中で必然的に起きた事件であると訴えた
『蟹工船』に対して、この当人の感覚に頼って暖かな天皇陛下を
演出した『五尺の酒』に私は幻滅したのである。なお、この作品は
後に江藤淳をはじめとした保守系の人間に利用され、天皇制を補強する役割を果たした。
そういうこともあり、戦後初期の時点で既に中野の思想に
かなり問題があると思っていたのだが、最近読んだ文学評論にも
中野の作品は戦後直後において、
過去の日本の朝鮮への侵略に対して
批判的な態度を取っているように見せながら、
その実、感傷的な回想に終始している
という意見があった。
私もそうだと思う。つまり、中野の回想には、
天皇制の下、拷問をかけられたり長期間監禁された
共産党を始めとした仲間たちへの配慮が全く欠如しているのだ。
『五尺の酒』の中には、小林多喜二の死を連想させるものが
何一つ見当たらない。
この曖昧な思いでに留め、本質を探そうとしない態度こそ、
後の反共バッシングへと走る一つの契機だったのではないかと
筆者は思えてならないのである。
そして、このような点は何を隠そう、
新左翼の人間にも通じるのではないかと思う。
学生時代の私は、どちらかといえば三浦氏タイプだった。
だからこそ本書では、むしろ増子氏の軌跡からより多くを学んだ。
私なりの「中間総括」は、両氏の師でもある川上武氏と共著で
『人間 国崎定洞』に客観化した。
東大医学部助教授から革命運動に飛びこみ粛清された国崎定洞の悲劇
のみならず、ベルリンで青春を共にすごした有沢広巳・千田是也・
勝本清一郎らのその後の軌跡を追いかけ、なお進行中である。
要するに、何が「志」で何が「総括」かも、
日本社会と私たちのこれからが定まらない以上、
さまざまな可能性と開かれた選択に委ねてよいのではないか。
私は本書を宮田親平『だれが風を見たでしょう』
(文藝春秋、1995年)と一緒に読んだ。
「志の持続」という一人の人間内部での思想的完結性よりも、
それぞれに個性的な「志」の挫折・苦悩・再生のプロセスと、
それらのリンケージによる社会的・歴史的な継承・断絶のあり方に、
より心を魅かれた。
上の文章は、加藤哲郎が書いた書評から抜粋したものだ。
加藤は安田講堂事件の当事者であるのだが、ここから
感じるのは、一見、反省をしているように見えながら、
どこか他人事めいた態度である。
そもそも、この書評だって共産党ガーという
いつもの共産党諸悪の根源論に基づいたもので、
どうやら加藤によると安田講堂事件も共産党の仕業らしい。
「私なりの中間総括」が結局、共産党バッシングに終始して
安田講堂事件に対する自己の責任について熟慮しようとしない
加藤は、天皇制に対する共産党の姿勢に対して難癖をつけながら
自身の戦前の行動に対して一切反省しなかった中野と通じるよう
感じてならないのだ。