六根清浄、お山は晴天。 登って下って、どっこいしょ。

たまに書く、時々入力、気が向いたら、したためる。駄文満載、阪神裕平ことおやじぃ雅のアウトドア雑記帳。

う〜ん出ない、でもびろうな話ではなく

2025-01-01 00:02:04 | Graffiti~チョイとひと言
身体は順調に劣化中だわ、先行きも不安ばかりが募りますが、とりあえず。
蛇(じゃ)まぁ委蛇(いい)かぁで、
Go巳年2025
 
「脳漿(のうしょう)をしぼる」なる表現もあるのか。
これは、いわゆる「知恵をしぼる」の別の表現だ。

でも知恵よりも脳漿といった方が、
どこか必死感があるような気もするな。
おっと、いかん、いかん、今はそれよりも、何よりも…。

毎度年末は、新たなる年の
生き様というかテーマを考えるため、
富士のお山を拝みながらの
日帰り山行をしている。

今回は伊豆お山、ルートの途中にある
益山寺にて、ランチがてらに一考中なのだが、
困ったことに何も浮かばない。

先の脳漿も愛用のタブレットで
インターネットを検索中に
偶然見つけたもの。

まさに現在の状況に合うなと、
変に納得しながら、途方にくれてしまう。
それにしても
いいフレーズが出てこんなである。

大体、2025年の干支である巳というか蛇を用いる言葉は
どれも、どうにも、よろしくない。
たとえば蛇足は無駄で、竜頭蛇尾は先細りと、
新たなる年にかかげるテーマに採用するには
二の足を踏みたくなるものばかり。

いやまいった、困った、おまけに
ぼちぼち出発しないとと、
タイムリミットも迫っている。

じゃあまぁいいか、しょうがない。
では場所を変えて再度知恵、
いや脳漿をしぼろう。

そう思ってパッキングをしていたら、
持ち前の駄洒落パワーが
いきなりお目覚めしたようだ。

ん、そうだ「じゃ」て「蛇」と書くな。
ならば蛇(じゃ)まぁいいか。

う~ん、少し芸がない、もうひとひねり。
こうなるとパッキングは一時中断、
インターネットで、あれこれ
調べてみることにする。すると。

おや「委蛇」と書いて「いい」と読むですと。
意味は「曲がりくねって長々と続く様子」や
「ゆったりと落ち着いている」で、特に
がっかりするような内容ではないぞ。

それなら
「蛇(じゃ)まぁ委蛇(いい)かぁ」。

おっ、干支の蛇も2文字入ったぞ。

でもまだモノ足らないような。
では、前後に近況や
新年イメージの言葉も、それこそ蛇足、
プラスしてみる。

そうして完成したのが
「身体、順調に劣化中。
先行き不安はあるものの、とりあえず。
蛇(じゃ)まぁ委蛇(いい)かぁで
Go巳年・2025」。

決してよくはないが、悪くもない出来。
それに口にして、耳にすればジャマイカ、
ラテンの明るいイメージも感じられる。

まあ身体の機能やら、これからのことを
考え込んだら暗くなることばかりだが、
それはそれ。ケセラセラでレットイトビーだ。

じゃあ、2025年の生き様、テーマは
これでまいりましょう。

では、パッキング再開。時計を見ると、
シンキングタイム超過で
予定のコースタイムより、大幅に遅れている。

先を急ぎたいところだが、ただ今
おみ足不調の身。ここは、さっそく難産の末に
生まれしフレーズを実践して。
                            
じゃまぁいいか、過ぎた時間は後悔しても戻らない。
ジャマイカ、さあ足元注意の上に前進だ、
かの地をルーツに持つ音楽、レゲエのリズムのごとく、
ゆったり、ほのぼの、のんびりを基本に
それなりの速度で、下山しますか。


まさに虎さん3連発、何じゃそれ?

2024-12-31 23:46:05 | Lively~話題&人気の山
ぼんやり、ぶらぶら、のはずだったが
誤算27日金曜日
       
【大仁~城山~葛城山~発端丈山~三津/静岡県】

師走、1年の締めくくりとなる山歩きは、
富士山を見ながら、のんびりと、
来る新年のスローガンを考えながら。

これが、いつもの過ごし方だったが、
今年は少々勝手が違った。

どういうわけか仕事がやけに手間取り
クリスマスも過ぎてしまった。

これは一大事、山へゆく日がないと、
慌てふためく26日。
実は、2024年最後の土日も仕事がある。
おまけに30、31日は私用で立て込んでいる。

そうなると出かけるのは明日、
27日(金)しかない。

急きょ前回とは逆となる
静岡県側からのアプローチで
どっか適した場所はを探した結果、
見つけたのが伊豆半島の低山、
大仁から三津まで歩くルートだった。

途中に危険な場所はなし、
距離も高低差も適度であり、景色も良さそう。
ない知恵絞り来年に向けての一文を
考えるにはもってこいである。

そうと決まれば大急ぎ、
ルート図というか登山計画書を一気に書き上げ、
地図を見ながら行程をシミュレーション。
ひと通り想像できたら、お次はパッキング、
明朝は始発の次の次くらいで出発で、
出かけることにした。

では、おやすみなさい。

翌27日(金)は予定通り、電車を乗り継ぎ、
入山すれは、歩きながら、また立ち止まって、
あれこれ考えながらを繰り返し、
着いたところは「葛城山 背面登山口」。
        
ところが、ここからがあれれ。
想定外の3連発に
遭遇するのである。

1発目はゼイゼイ、ことのほか息切れるだ。
予定では、道はちょっと急登だが、それも短時間で葛城山に着の
はずだったが、意外というか、傾斜はかなりきつい。
いかんいかん、高さこそないが、ここは山。
油断大敵、慢心は事故のもと、しばし登山に集中だ。

続く2発目はスカンピン、懐直撃である。
何と葛城山の頂は前月の11月から有料で、
お値段も大人はひとり2,500円。

あきまへん、今日のサイフの中身は余裕なし。
仕方がないので、頂エリアをぐるりと囲む
フェンスに沿って半周してみた。

そしてラストとなる3発目はゴロゴロ、
足場悪しである。

葛城山から下降するルートは、急降下気味だが
時間にすればごくごくわずか。
だと思っていたら、この道は人があまり利用しないのか、
なかなかの荒れ具合だった。

現在、足を痛めており、
いってみれば手負のじぃさんの身。
いつもなら一気に、落ちるように
大胆に下へとなるところだが、
今日は足をいたわりながら、静々、粛々、
道はこっちが正解かいなと
ゆっくり慎重第一の行動となる。

林道にぶつかり、ここからは再び
思考しながら歩ける道となった。

やれやれ想定外3連発のお陰で、
現時点で、これはという言葉が
決まるどころか、輪郭もない。

ならばこの先にあるお寺にて、
お昼のご飯で大休止、じっくり腰を据えて
タブレットを手に、頭をフル回転させますか。

でも腹膨れると、
思考が鈍ることは世の習い。
しからば腹八分目かな。

それにしても3連発といえば、
パッと思い浮かぶのは
古くて恐縮ながら、やっぱり虎さん、
あのバース、掛布、岡田の
バックスクリーン3連発。

そうだ確か関西の飛行経路の地点情報名にも、
このお三方の名前を配したものが
あったっけかな。

新年のスローガンが
全く白紙な状態だが、今はいらんだろうという
知識はポンポンと出てくる。

これはお寺の仏様の御加護というか
お知恵を授けていただくしかないな。

苦しい時の神、おっと訂正
ここは仏様か。
それでは仏様、
ひとつよろしくお頼み申します。

てなことを口にしながら、
とにかくお寺へ、境内には
日本三大カエデのひとつがあるという
益山寺へ、一目散にススメである。


       



隣では野生の鹿もお食事中

2024-10-14 14:27:07 | Hungry?~喰らわねば帰れん
ミカドも愛した国民食のひとつを味わいに
ヤビツ峠で、馬鹿に旨いカレーを
      
【ヤビツ峠~護摩屋敷の水・ピストン~蓑毛(神奈川県)】

バスは定刻通りに出発した。

車内は平日の朝らしく、通学客で混んでいる。
やがて学校のある停留所に着き、
学生たちが降りてゆく。

車内は誰もが座った状態となり
立っている人はいない。

そんな残った乗客を、あらためて見渡してみると‥。

あれま年寄り、失礼、年配の登山者ばっかりだ。
おっと忘れていた、俺も立派なじぃさんか。

乗っているのは、小田急線「秦野」駅を
8時25分に出発して、ヤビツ峠へと向かうバスだ。

学生たちの降りた後の車内は、
はたから見れば皆シルバー登山者だが、
唯一、ひとりだけ除外される。

それが、かくゆう私め。

足の指が壊れて以来、
屋外行動には、歩行時間3時間までの
“リミッター”がついてしまった。

3時間を超過すると、とにかく痛い。

加えて、下りはまだ我慢ができるがアップ、
登りは痛む度合いも急上昇するので
極力控えてと、我ながら情けない状況である。

だったら視点を変えて
ここはひとつ、山登りではなく山下りにでも
挑戦してみますかと思い立った。

しかしそんな都合の良い場所はないか、
いやあった、しかも近場だ。
では早速ということで、バスの乗っている。

なお今回の主な目的は、登山ではなく食事。
きっかけは、ある新聞の記事だった。

記事によると丹沢のヤビツ峠には、
今上天皇が若かりし頃に訪れた際に振る舞われ、
絶賛したカレーを今に再現、
メニューにしているお店があるという。

ヤビツ峠なら、往路はバスでいける。
これなら登りはなし。

さっそく行動計画を練ってみた。
バスは8時を逃すと、平日は14時台までない。
したがって選択肢なし。

8時25分発のバスは、ヤビツ峠に9時を
少し回ったあたりに着く。
この時間ではお目当てのお店は
まだ閉まっている。

よって今回の登山、いや下山行動計画は
バスでヤビツ峠、降りたら近隣の名水「護摩屋敷の水」で
お水をいただき、それからカレーを、
朝昼兼用のブランチとして楽しむ。
そして食後はブラブラ徒歩にて蓑毛までとしてみた。

当日は予定通り、水場で憩い、周囲を散策後、
カレーのお店へと足を運ぶ。

直ちに入店し注文、もちろん決まり文句、
「あっ、すいません、ご飯大盛りで」も
しっかりと伝える。

いよいよカレーがやってきた。
では、いただきます。
 
しばらく味わっていたら、お店の方が
「最近、よく現れるんですよ」と
庭先を指さす。庭に目をやると、野生の鹿が
葉っぱむしゃむしゃ、鹿もブランチタイムを
満喫しているようだ。

こっちは旨いカレーを食し、お隣では鹿が
無心に食事中。ここで、いきなりダジャレが
頭に浮かぶ。

「鹿」といえば、暴言でお馴染みの
あの二文字に登場する漢字のひとつ。
それから「旨い」を「馬い」に変換して。

そうだ「並外れている」といった
意味を表現する際には
「馬」に「鹿」の漢字を使うこともありましたっけか。

よぉし、ならばこのカレー、正式メニュー名は置いといて
勝手に命名・馬鹿に旨い、
「馬鹿旨カレー」とさせていただこう。

カレーも完食。腹も満ちたし、へんてこりんで
お店の方には失礼となるような
ダジャレ・メニュー名もこさえた。
これにてヤビツ峠でのミッション、無事完了。
            
それでは蓑毛まで2時間ばかりの下山登山行動、
出発進行、のんびりと歩いてまいりましょうか。
   

~下山は山道もあるが山ビル天国。
  山ビルの餌食はご免と車道を歩く~

~ブログへのアップは10月だが、
 歩いたのは2024(令和6)年7月19日(金)~
          

メス入れて、歩行難儀の解消だ。痛そう〜

2024-10-08 15:44:31 | Graffiti~チョイとひと言
そろそろ交換、いやいやそいつは無理な注文
足の指が“壊れ”た   
  

心持ちは若かりし
自称“紅顔の美青年”状態から
変わらずで、いまだに
いい歳こいての“どたわけ”だが、
身体は実年齢相応、極めて順調に劣化し、
じぃさん化している。

これも、そのひとつか。
この夏、左足の指が悲鳴を上げた。

足の親指は内側に曲がり、
その上に外側に曲がった中指が乗っかると
いわゆる外反母趾の最終ステージというのか、
見るも無惨な状態である。

このため登山靴はおろか、所有する靴は
ほとんどが履けず、履けても歩けば
中指と靴の摩擦で、とにかく痛い。

さすがに痛み耐えられず、病院へ。

受付、検査と進み、その後は待合室にて
診察の順番を待つ。

それにしてもマイ足の指は、
どうしてこんな状態になったのか。
あらためて考えてみる。

確かに以前から、少しだけ
左足の親指は内向きだった。
でも、よく見なければ、わからない程度だ。
第一、歩行にも支障はなかった。

ひどくなり出したのは、ちょうど1年前あたり。

普段は、仕事も遊びも
服装はデニムにTシャツ&スニーカーが
基本だったが、得意先で人と会うことが
増えた。しかも相手はスーツ姿である。

そこでラフ過ぎるのもいかがなものかと、
少々スタイル変更とばかりに、
上はシャツ姿、履くのは革靴という
格好の日々が続いた。

上はともかく、下は慣れぬせいか
窮屈さは感じたが、ここは我慢だな。

これがいけなかったようだ。

しかし、そもそも、どうして
昔から足の指の向きが変形していたのか。

診察の順番はまだ来ないか。

ではもう一考と、
久方ぶりに脳みそをフル稼働させていたら、
そういえばと随分と昔の山行中に
某山小屋で出会った方との会話を思い出した。

その方は、歳の頃なら多分50代、いやそれ以上だったかも。
雰囲気は、町には住めないオールド山男然としていた。
たまたま就寝前に少しだけ話をする機会があり、
経緯は忘れたが、足の故障が話題になった。

てっきり膝か何かの話かなと思いきや、
その方の口から出た単語は、
えっ、あっと驚く外反母趾。
当時、外反母趾とは
イコール女性特有と思っていたのと、
話す方のイメージとのギャップというか
その意外性で記憶に残っていたようだ。

原因については、
確か山で重い荷物を背負う際などに
踏ん張ったからだと話をしておられたっけ。

「診察室へお入りください」。
ナースが私を呼んでいる。

いきなりだが、ここで考えタイムは
強制終了としますか。

診察室でドクターは
先の検査で撮ったレントゲンをチラ見しながら
足を触り、問診も少々。出た結論は
「これは外科的、手術で治しましょう」だった。

続いてドクター、手術に関する説明を始めた。
「手術ですが、手術当日は入院となるので、
1泊2日となり、方法は‥」。

ただ聞こえてはいるが、上の空。
気になることは、手術の内容もさることながら、
やはり外反母趾の根本的な原因だ。

そこで待合室で浮かんだ外反母趾の話を
ドクターにぶつけてみた。

「先生、ひとつ質問があります。
私、山歩きが趣味なんですが、行動中に荷物を背負うなど
踏ん張る動作が外反母趾になる原因となることは?」

ドクター、しばらく考えてから
真顔で静かにひと言。
「わかりませんね」。

おっといきなり肩透かし、
コントなら皆が一斉にこける場面だ。

ひと呼吸おいて、再びドクター喋り出す。
よかった、まだ続きがあったかである。

「靴などを履き、地面と接する部分の足の形で
理想は土踏まずがクッキリのアーチ状とされます」。

「しかしあなたの足の場合は、アーチも何もなし。
地面にべったり、甲高、幅広の扁平足」。

「この足で、長年
踏ん張る際に変な力配分で、
足に負荷をかければ、
可能性はあるかもしれませんね」。

そうですか、では私めの外反母趾の原因は、
山での行動中の無理な動作が、
積もり積もって歳とって、
じぃさんになった証拠としておこうである。

そしてドクターの話の締めは、
費用と手術の日についてだった。

手術に関する話を聞き終わり、
今度はこちらが声を発する番だ。

で、口から出たのは以下の通り。

「手術代は結構高額ですね。ただ場所が場所だけに、
今“はお足”がない状態。お金ができたら、
即きった、はったの手術をお願いします」。

我ながら上出来な切り返し。
きっと、どなたか笑うはずと
周囲の反応をうかがう。

ん、何ら変化なし。

これまた足だけに
スベってしまったようである。              

〜2024(令和6)年10月現在、まだ手術代が捻出できず。
   もっと働け、さらにがんばれじぃさんと、自らを
     鼓舞する意味も込めて一筆〜


ランラン、ゼイゼイ、うつらうつら、のちパクパク

2024-10-04 11:05:49 | Graffiti~チョイとひと言
のんびり、ぶらぶら、歩いてのはずが、嗚呼~
“アディショナルタイム”は
約100分
    

居酒屋で、つまみを注文しているのではない。
また、ここが出題されなかったら白紙かなと
試験前日の一か八かの心境でもない。

今、正真正銘、新潟にて山を駆けている。

といっても、
トレイルランに興じているわけでもない。

実は、帰りに乗る予定の
列車の時刻を勘違い。
慌てふためき、間に合うか、間に合えよと
祈る思いで駅へと一目散、急いでいる。

気がついたのが、これがまた
何とも微妙なタイミングだった。

今回の行動はピストン山行だったので、
帰り道は勝手知ったる歩いてきた道。

そのため、ここまで歩けば
駅はもう少しの距離となったところで、
まだ時間には余裕があるぞと大休止。
だあれもいない、通らない
林道の脇で、ぼんやりと過ごしていた。

たっぷり過ぎるほど休んで、腰を上げる前に、
念のためと事前に作成したコースタイムと
携帯電話の時刻と交互に見ていると、
あれれである。

いかん、しまった、これは大失態、
列車の時間を間違えていたことに気がついた。

これが大幅になら、あきらめもつく。

ところが、さっきも書いたが
現在の居場所から駅までは、
走ればもしかすると間に合いそうな微妙な距離。

列車の到着時間が、予定より少し遅れることだってある。
ここは走るかと、息せききって
予定外のダッシュとなってしまった。

しかし結果は無念、駅到着は
発車時刻を過ぎていた。当たり前だが駅に列車の姿なし。
さすがは日本の鉄道、時間には正確ですなと
感心しつつ、ここは観念で次を待つしかない。

駅に掲示された、ほぼ空白の時刻表をチェックしてみると
次の列車まで、待ち時間は約100分である。

時間つぶしに駅の近くを散策でもと考えたが、
駅の周囲はオンリー道路で、ほかには何もない。

仕方がないので、人の気配は全くなしの
駅のホームでザックを枕に大の字となり、
遅いが夜ではないので昼寝タイムかなと目を閉じてみる。

目を開くと列車がやって来るまで、あと60分。
30分くらい寝ていたようだ。

ちょいと小腹も空いてきた。

そうだ確かザックになかには
入山前、別件の用事後に予備食にでもと
購入した「サンドパン」が
残っていたことを思い出した。

昼寝に続き、今度もまた少し遅めだが、
3時のおやつ、モグモグタイムとまいりましょうか。

サンドパンとは、コッペパンにバタークリームが詰まった
やわらかい食感と甘さが特徴となる菓子パンで、
新潟のご当地パンでもある。

そんな一品を口にしながら、ふと思った。

周囲は自然がたっぷりで、
時間もどこかのんびりと進んでいるような。
おまけに静かで、変な雑音もない。

コスパ、タイパと大忙しで騒がしい都会とは、
まさに真逆の世界である。
それに太陽の光や、風の匂いや音など、
五感で感じる自然も、どこか心地よしだ。

やはり人も動物。期せずして、
自然に囲まれたローカル線の無人駅で、
都会生活で不足気味な
ビタミンN(ネイチャー)を補給できた気がする。

う~ん、この列車を待つ間は、
食べているのパンの名称はサンドではあるが、
決して「砂をかむ思い」ではない
貴重なひと時になったのかもしれないな。
 
自らのミスの招いた状況を棚に上げ、
都合のよい解釈をしながら
列車の到着を待つ。

それにしても時間がたたんな。

おいおい、つい今しがた
のんびりは素敵だてなことを
ほざいた舌の根の乾かぬうちに‥。

いやはや人の心は二転三転、
実にわがまま、困ったものである。

  

〜出かけたのは確か6月だったか。
       そんな古い話を今頃記すのだ〜