六根清浄、お山は晴天。 登って下って、どっこいしょ。

たまに書く、時々入力、気が向いたら、したためる。駄文満載、阪神裕平ことおやじぃ雅のアウトドア雑記帳。

珍名山にて、突然思い出すのは

2019-10-14 22:23:02 | Quiet~いぶし銀、渋めの山
出だしは「女房と畳は…」で、
おしまいは「女房と鍋釜は…」


甲津原~奥伊吹スキー場~ブンゲン(1259m)~
  ・1126~品又峠~奥伊吹スキー場~甲津原【滋賀県】




その時、ふと
今となっては時代錯誤で無礼千万、
このたわけ者がと
お叱りを受けるような
「女房と畳は“新しい”方が良い」なる
ことわざが頭に浮かんだ。

ここは滋賀県、
奥伊吹スキー場の駐車場。
今日は「ブンゲン」という
不思議な名前の
山の頂上をめざす。

そして“新しい”とは資料、
つまり最新の情報のことだ。

ブンゲンへのルート、
登山道の第一歩となる
入口は見つけにくい。

そんな記述が、事前に集めた
資料にはあった。ありがたいことに
資料には入口の目印についても
いくつか触れていた。

ところが実際に出かけてみると、
現地はスキー場の拡張工事の真っ最中で、
資料にあった目印は、ほぼなし。

いささか資料・情報が古かったようだ。

仕方がないので、
資料では建物の裏手から鞍部へと
あったので、地図と磁石をにらめっこ。
多分ここだなという場所へ
工事現場を横断して向かってみる。

やっぱりここでしたかである。
こういう時は
いわゆる“山勘”がはたらく。
これも技術は低いが、
登山歴だけは長いお陰かなと
思いつつ、それは出発だ。

最初は下り気味に、沢を2つまたぎ、
そして尾根に取りつく。

ここまでくれば、ひと安心。
顕著な尾根なので、
登りきれば、そこは
ブンゲンのテッペンだ。

資料には、
あまり歩かれてはいないと
あったが、
人が往来した道というのは、
意外と残っているもの。



ブンゲンへと続く道も同様で、
かなりしっかりとわかるものだった。

ただ道は両側からの草に覆われ、
また倒木もあり、
さらに高度をかせぐににつれ、
背丈以上の熊笹エリアが続き、
歩きにくいこと、この上なし。



これは資料と同じだった。

確か資料には、ブンゲンのピーク直前は
四つん這いになって進むともあったが、
確かにその通り。

いつしか姿勢は
和式トイレを使うかの如く、
加えて両手は熊笹を分けながらで
前へ進めとなる。

資料には、この状態は
ピーク直下まで続くとあったので
窮屈な姿勢は、もう少しキープか、
やれやれと思った矢先に、
突然熊笹はきれいに刈られ、
まさに“高速道路”のような道にぶつかった。

  

おっと、また資料とは違う状況だ。
でも、これは助かったである。

この高速道路をわずかに歩いた先が
ブンゲンの頂だった。

      

ここで大休止。たっぷり、
これでもかと休んで行動再開だ。

ブンゲンから先、予定している
・1126地点、品又峠経由の下山ルートは
ほぼスキー場のゲレンデ歩きとなる。

天気もまずまず、先を急ぐこともない。
途中で「あっ鹿だ、おっうり坊だ」と
走る皆々様にも出くわしたが、
こちらは、あくまでものんびり、
スローな行動に終始する。

それでも、やがてはゴールだ。
品又峠からはラストの下り、
雪のある季節ならリフトを降りて直滑降で、
一気に下までとなるはずだが、
今はまだ秋、草原モードのゲレンデを下る。

  

結構、急である。さっきは直滑降なんぞと
うそぶいたが、自身のスキーの技量なら
ボーゲン&キックターンで、
歩くようなスピードで下までかな。

そういえばスキーともずいぶんと
ご無沙汰だな。前回はいつ滑ったか何ぞと
回想しているうちに、
またことわざを思い出した。

今朝は、大変失礼なものだったが
今度は「女房と鍋釜は古いほど良し」。

ん、いかんいかん
女性と鍋釜を一緒くたんとは
これも「ムーン・ティアラ・アクション」などと、
月に代わっておしおきされそうか。

      


〜2019(令和元)年10月1日(火)予定は伊吹山だったが
   名前にひかれて急遽変更。ヤブをガサガサ後、
     スキーゲレンデをブラブラと歩く〜

怪談は1枚、石段は1段足りない

2018-12-21 22:11:53 | Quiet~いぶし銀、渋めの山
前置きは長いが、
ともかく出かけた、歩いてみた

真山神社〜真山〜本山〜毛無山〜門前【男鹿三山/秋田県】


     

~では「前説」~
「1枚足りない」となげくのは
播州&番町皿屋敷のお菊さん。
そして「1段足りなかった」と
言葉の発祥地は島根らしいが
今回はみちのく、秋田の一角で
地団駄を踏むのは。


~続いて昔話の語り部風の文章の「導入部」~
昔むかし、と申しても
まさか夏が、命に関わる暑さになるとは
予想もしなかった初夏の頃じゃった。

花の都は東京に住む、あるおっさんが
渋谷の駅前で人と会う約束をしたそうじゃ。

時間通り、待ち合わせの場所に着いても
待ち人来らず。待ちぼうけを食らったおっさん、
仕方がないので、暇にまかせて
周囲をウォッチングしておった。

近頃の街中は、ほんにインバウンド。
外国の方も増え、おっさんの周囲も
インターナショナルな人、人、人である。

おっ、べっぴんさんじゃのう、
どこからお出での方じゃろう。

おっさんもとりあえず男。視線は
どうしても女性にとなるようじゃ。

そして美しさに見惚れながら、
おっさんは、考えておった。

べっぴん、器量好し、美人といえば
博多に京、それから秋田だったな。
そういえば、九州も京都も
訪ねたことはあるが、秋田は
まだお邪魔したことはなかったかな。

美人以外にも秋田で思いつくのは
ハタハタ、それに「ナマハゲ」か。
ところで、ナマハゲって
風体からすると、あれは鬼なのか。

それにしても遅いのう。

我に返って、おっさんが
あらためて周囲を見回す。

待ち合わせの相手は
まだ姿を見せん。

ではこの時間を利用してと
ナマハゲについて調べてみるか。
おっさんがインターネットを
検索しようとした、その矢先。

「いやぁ申し訳ない」。
聞き覚えのある声とともに、
大遅刻の待ち合わせ相手が、
ようやく現れおった。

やれやれと、
待ち合わせ場所を離れるおっさん。

そんなおっさんの背に
「お忘れかい、オイラも秋田だよ」と
声をかける者がおった。

声の主は、おっさんが長らくたたずんでいた
場所の“主”であるハチ公。
そうじゃった“彼”も大館生まれの秋田犬じゃったな。

残念ながら、都会の喧騒のせいで、
“彼”の声はおっさんの耳には
届かなかったようじゃが…。


~まだまだ、今度は普通の語り口で続く「イントロ部」〜
いまでこそ秋田は、
県内オール・ナマハゲというイメージだが
厳密には秋田の一角、日本海に突き出た格好の
男鹿半島に残る風習で、
年に1度やって来る、ありがたい神様。

用事を済ませて、
あらためてナマハゲを調べてみると、
ナマハゲは鬼ではなく、来訪神とあった。

鬼のルックスは、ナマハゲ発祥の地が
山岳修行の地であったため、
修験者が「鬼の形相」で山を駆ける姿が
モチーフになったからという。

また、こんな話も。何でもある時大陸から、
皇帝が5匹の鬼をしたがえて、空からやって来た。
理由は定かではないが、不老不死の秘薬探しあたりか。
空を飛べるなら、そんな秘薬も無用かとは思うが
まあとにかく飛来した。

日頃の鬼は、それこそ「鬼のよう」に働くが、
休みもなると「鬼畜」と化し
周囲の村で悪さのし放題。

一計を案じたある村人が、そんな鬼に
「一夜で山の上まで千段の石段を
つくることができたら
何でもいうことを聞きます。
しかし、できなかったら、
もう二度と来ないでくれ」と提案する。

鬼は快諾。早速石段つくりに取りかかるが
これがテキパキ、グッドジョブ。
実に手際よく、どんどん石段は完成してゆく。

驚いた村人、こうなれば反則技と
一番鶏の声を真似て、コケコッコ~。

今度は鬼がびっくり。もう朝か。
悔しさをにじませながらも、ここは潔し。
その後鬼は、二度と来村することはなかった。
ちなみに石段は、完成まで残り1段だったという。

胸をなでおろす村人だが、理由はどうあれ
鬼を騙した後ろめたさも。
そこで鬼をまつる5つの社をつくり、
年に一度、鬼をもてなす行事をおこなったとか。
これがナマハゲのルーツになったとも。

おぼろげながらも、ナマハゲと鬼の
関係もわかったが、文献だけでは
物足りなくなって来た。

よし、夏にでも出かけてみるか。
それではさっそく出かける準備でも。


~ようやく、ここも普段の語り口調の文章で「本題」~
初訪問、秋田の空は泣いていた。
朝から雨、一向にやむ気配はない。

しばらく待ったが、変化なし。
仕方がない、雨具をつけてまいりましょうか。

ぐずぐずと天候待ちをしていたのは真山神社。
ナマハゲゆかりの地にある神社だ。

今日はここから、かつて修験者も歩いたとされる
雰囲気の残る道を、例の一段足りない石段と、
鬼をまつる5つの社・赤神神社五社堂まで、
男鹿三山とも称されるルートを歩く。

 

杉の間につけられた道を歩きながら、
天候が良ければ、さぞや絶景だろうなと
途中視界が開ける場所では、周囲を見渡すが
残念ながら雨、ガス他で、よく見えず。

    

それにしても立派な杉だ。
それに山も緑も豊かで
まあこれも良しかと、男鹿の自然を
楽しんでいるうちに、本日最初で最後の
ピークとなる真山に着く。

男鹿三山とは、真山、本山、毛無山の
3つの山のことだが、
本山には自衛隊の施設ありで立入禁止。
また毛無山は登山道が迂回しており、
両山とも頂を踏むことはない。

まあ特にピークハントを目的に
来たわけでもなし。
それ以上に、自然が魅力的で
歩いていると、本当に気持ちが
晴れ晴れとする。

だったらついでに天気もと、
空を見上げれば、大粒の雨のシャワー。
それは無理な願いのようだ。

毛無山付近を過ぎると
今度はブナの林の中を進む道となる。

少し雨脚が弱まったかな。あらためて
視線を上に。すると上空を覆うブナの葉が
傘というのか、屋根がわりとなってくれていた。

まさに天然、緑のアーケードである。
これは大助かりと、足取りも軽やか、
快調に歩けば、眼前に、
いきなり5つの社の出現だ。

  

社ひとつひとつは、いたって普通のつくりだが
5つも横に並ぶと、これは壮観。

順番にお参りをしたら、いよいよクライマックス、
1段足りずで泣いた鬼たち、
999段の石段にさしかかる。

  
     

せっかくなので、段数でも数えながら
降りましょうか。

あれれれ、鬼さん。どうも鬼さんは
計算がアバウトなのか、こちらもかなり
おおざっぱに勘定してはいるが、
石段の数は999以上あるんですがだ。

まあ999段の話は伝説であり、フィクション。
かたいことは抜きである。

いやいや、鬼さんは文系。
意外と計算は不得手だったりして。


~そろそろ結び、再び昔話の語り部風に戻り「大団円」~
天気には恵まれんかったが、
秋田の自然を満喫しつつ、無事にゴールの
門前に下山して、ホッとしたのかおっさん、
いわんでも良い余計なひと言、鬼の悪口が
つい口からポロリと出てしもうた。

するとどうじゃろう、
「関係も深い鬼の悪口を言う奴は
いえねが~」。
こんな声が、おっさんの背後から
するではないか。

古いコントなら「志村、後ろ、後ろ~」
となるシチュエーションじゃが、
この時は雨音のせいで、
おっさんの耳にはなかなか届かんかった。

ようやく何度目かの声に
「はて、何か騒がしいのう」と
おっさんが振り返ってみると。

  

鬼が、いやナマハゲが、
こわい顔して迫って来ておる。

雨の東北、秋田の地で
ナマハゲと“鬼ごっこ”。
いや“ナマハゲごっこ”か。
ようし、向こうが来訪神なら、
こちらは韋駄天じゃぁ。

相変わらず屁理屈こねながら
おっさんは一目散、脱兎のごとく
全速力で逃げたとさ。

さぁて、結末は…。

とりあえずは、締めくくりますか。
では、昔話ではお約束のフレーズ、
めでたし、めでたし。

〜2018(平成30)年7月、ナマハゲを感じながら
  秋田は男鹿半島をスタコラ歩く〜

お天道様には逆らえない

2018-05-28 23:43:43 | Quiet~いぶし銀、渋めの山
~残春のある日、新潟の山の中で/浅草岳(新潟県魚沼市)~

   

不本意ながら雨具を着込み、サングラスをザックにしまう。

天気予報でわかってはいたが、それでも残念にしてガッカリ。
山へ向かう第一歩となる朝、雨が降っている。

GWの休みを利用して、学生時代のクラブ仲間と
春の山登りでもと訪れた新潟の山。

残念ながら、あいにくの空模様だ。

まあしょうがない。天気に文句をいっても始まらない。

歩を進める。昨年から今年にかけての冬場は豪雪だった。
さぞや山にもと思えば、あにはからんや。
これは一体どうしたことか、
計画ではまだ雪の下で“眠って”いるはずの
沢や薮が、当たり前のように目の前にあった。
この残雪少々と想定外の風景にしばし唖然だ。

だがしょうがない。自然は気まぐれなもの。
ましてや異常気象の昨今ならば、
ドカッと降った雪が、
さっと消えてしまっても不思議ではないか。

まさかの沢や薮の出現で悪戦苦闘しながら
一歩、一歩、高度を稼ぐ。

気がつけば、いつの間にか雨はやんでいた。
ふと、空を見上げる。驚いた、ところどころに青空だ。
そして間もなく薄日も射してきた。

出ばなをくじく悪天候から、次第に登山日和にと
天気の神様も粋な計らいである。

ザックから出がけにしまった
サングラスを嬉々として取り出す。

しかし、そんなハッピーな時間は長くは続かず、
空も偽りの青空だった。
すぐに雨、みぞれ、加えて風も吹き出した。

ペースは上がらない、ピークもまだまだ、はるか先。
登りに割く時間も少なくなってきた。
帰りのことを考えれば、
今日はこのあたりで切り上げるのが正解だろう。

これもしょうがない。無理は禁物、また次回だ。
まさに泣く子と、地頭と、天気にはかなわない。

ただちに下山、這々の体で退散である。

ゴールデンウィークの山登り、
天気には恵まれずだったが、とりあえず無事に
全日程終了。まずはお疲れ、ご苦労さんだ。

翌日、東京へと戻る朝、空は昨日とは真逆の日本晴れ。
雨に洗われた山々の緑も、美しく輝いていた。

「懲りずにまた来いよ、おっさん」。
新潟の大自然に、そんなエールをかけられた…。

おっとっと、これは加齢による幻聴か、
それとも柄にもなく、
妙な感傷にひたってしまったのか。

でもそんな声が聞こえたような気がする。

もちろん返事はイエス、
またお邪魔しますよ。
今度は好天を、ひとつよろしくでございます。

周囲の目もあるので、
そう小声で返事をしておいた。

   

越後の“旧友”は、微笑みの国の香りがする

2017-05-09 22:31:31 | Quiet~いぶし銀、渋めの山
浅草岳(1585.5m/新潟県、福島県)


G.wは一緒に山小屋の春の準備で
「ひと汗」はいかがと誘われた。
では久方ぶりにと出かけることにした。

場所は新潟県魚沼市。一般的には
コシヒカリで有名なこの地は、
名だたる豪雪の地。そして大学時代に
所属していたクラブの山小屋が
建つ場所である。

東京を発つのが遅れ、到着すると
肝心の山小屋での仕事は、すでに終了。
そして明日は浅草岳へ出かける話他を肴に、
酒盛りの真っ最中だった。

そこで今回の「ひと汗」は、
当初の目的ははしょって、
残雪の山歩きとなる。

      


明けて当日は、無風快晴、雪の状態も上々で、
これぞまさに登山日和。

登りは快調、雪と新緑、冬から春へ
季節の交代を実感しながら
ピークへと歩を進める。

   

ピークからの眺めも、天晴れのひと言。
越後三山、燧、朝日他、360度絶景だ。

そして下山、こちらもまた楽し。
へっぴり腰がご愛嬌だが、自称グリセード、
時々尻セードで、あっという間に下りきる。

再び山小屋へ。ザックを開け荷物を取り出していると
おや、何か動く物がくっついている。おやおやこれは、
もう学生の頃からの長いおつきあい、
山小屋の冬の番人「カメムシ」ではありませんか。

どうやら出かける際に、
ザック内に紛れ込んでいたようだ。

つまんでみると、カメムシ特有のにおい。
1匹でも、かなり強烈だ。

まあ、とにかく君も無事に帰荘、
お疲れさまと、床に放してやる。

他にもとザック内を点検すると、
中で圧死した亡がらも少々。

鼻を近づけると、こちらもくさい。
しかし、このにおいは別の場所でも
出会ったような。

最近も某飲食店で。あれ、もしや。

さっそく愛用のタブレット「宝の持ち腐れ2号」で
調べてみると大正解。

カメムシと、昨年から食の世界ではブームとなっている
「パクチー」のにおいは同じ成分だとあった。

君も植物だったら超人気だったのになと、
床でじっとしている今回の登山の同行者でもあった
カメムシを見つめる。そしてまた指を鼻を近づける。

確かにパクチーのにおいだ。

今度、どこかでパクチーを口にする際は、
カメムシを思い出して食欲も減退…。

いやいや、そんな繊細さは持ち合わせてはいない身。
おそらく“旧友”のにおいをかぎ、
懐かしさで食もさらに進むに違いない、きっと。

      


〜2017年5月、素晴らしい天気の中、残雪の山をピストン。
 しかし下山後、のんびりし過ぎて最終列車に乗り遅れた。トホホ〜




“すなば”のもとで、ハイ“ち~づ(智頭)”

2016-07-18 19:27:14 | Quiet~いぶし銀、渋めの山
牛臥山 728m~海上山 785.3m・最高地点800m~峠地蔵~板井原集落
(鳥取県八頭郡智頭町)




山の土砂が川に流れて、やがては海へ。
そして今度は、波と風にのり、再び海から陸へ、
海岸線に打ち上げられて、運ばれて。
それがいつしか積もって、たまって。
今では知らぬ者なし、日本一有名な’すなば”、
鳥取砂丘となったとさ。

めでたし、めでたしと締めくくりたいところだが、
へっぽこながら、これでも長年山歩きを趣味とする身。
鳥取砂丘の砂の供給源となったお山とはどんな場所なのか。
気になるなと思っていた矢先に、面白そうな情報と遭遇した。
これも何かご縁である。早速、出かけてみた。

めざすのは鳥取県の東南部、周囲は中国山脈の山々、
日本海に注ぐ千代川源流部の町、智頭町(ちづちょう)だ。

林業・スギの町、また宿場町として
古くから栄えたこちらには低山ながら、
のんびりと山での時間が過ごせるルートがある。

ルートの概略は智頭駅を起点に、昭和の景観が残る
伝統建築物の保存地区でもある板井原集落へと下る道だ。

資料ではアプローチにはタクシーとあるが、
毎度毎度ながら、今回も人力、歩いてゴーゴーだ。



林業の町らしく、登山道の周囲や見渡す山の風景は
手入れも行き届き、今風の言葉なら人と自然の共生というべきか
活気ある元気な山の雰囲気が続く。

     

アップダウンは、どちらも急ではあるが短時間、
普通に注意して歩けば、特に問題なしの快適な山道だ。

下山後も、また楽し。まず最初に出くわすのは、昭和30年代の板井原集落。
さらに歩を進めれば、今度は江戸時代。旅人や大名行列に出くわしそうな
宿場の面影が残る町並。また江戸の風情の先には現代だ。
レトロモダンな中学校の校舎他、さすがは林業が盛んな町らしく、
あちこちに、洒落た木造の建物を見ることができる。

    


美しく豊かな自然と、伝統や歴史の詰まった
智頭での山歩きを満喫したら、今度は“土砂”になったつもりで。

さすがに川を流れてゆくわけにはいかないので列車に乗って。
目的地は、例の“すなば”、いざ鳥取砂丘である。
そうそう、ついでに、あの“お店”にも立ち寄ってみますか。



〜2016(平成28)年7月7日(木)、
   世間は七夕か、すると今日はそうめんでも食べるかと思いつつ歩く〜