ちょっと道草、回り道。寄り道をして山歩き
たかを括って
国境の長いトンネルを抜けると
【大峯百番観音・越後湯沢駅~山の湯~
湯沢高原スキー場~NASPスキーガーデン~
秋葉山~越後湯沢駅/新潟県】
G.Wに新潟へと出かける用事ができた。
だったら用事の前にひと登り、
途中下車して、以前から気になっていた
山道を歩くことにした。
山道の名は「大峯百番観音」。
場所は新幹線・上越線の「越後湯沢」駅を
囲む感じ、列車の進行方向でいえば、
新潟方面に向かって左半分となる部分で、
道中には西国、秩父、坂東の観音様のオンパレード。
拝んで歩けば、さぞやご利益も
あるのではと思わせる、ありがたきルートである。
さらに
この大峯百番観音には
ある恋愛小説の生まれるきっかけとなったという
エピソードもある。
何でも大峯百番観音が完成したのが昭和9年。
完成当時はお祝いの大宴会が催され、
周囲の芸妓は皆宴会の席に出勤中。
そんな折、宿のお客のひとりが芸妓を所望した。
さあ困った、仕方がないので見習い・半玉で対応したところ、
これが大正解。お客はことのほか喜び、
この半玉をモデルに小説を書き上げた。
この客こそ、後にノーベル賞も受賞した
あの文豪。そして書き上げた小説が
「国境の長い~」と、
誰もがご存じのフレーズで始まる
「雪国」だった。
へぇ、そうなのでのある。
ただ、ここで心に引っかかったのは、
信心でも、文豪、半玉でも、雪国という作品でもなく
大峯百番観音のこと。
つまり街をあげて、そこまで盛大な祝いをした割には
知名度低しという点だった。
これまで越後湯沢には、かなりの頻度でお邪魔をしてはいるが、
大峯百番観音の名を聞いた記憶はない。
果たして今は、どうなっているのかと好奇心がわいて、
いつか出かけてみようかなと思っていた次第である。
調べてみると、やはり歩く人はごく僅か。
時代の流れの中で、
人々の記憶からも消えかけていた存在だったらしいが、
近年再整備がなされたという。
地図を見ると等高線の間隔は密。これは意外と大変かも、
いやいや急登、急降下のようだが、こちらは巡礼の道でもある。
きっと道は迂回やらあれこれ、楽に歩ける工夫があるのではと、
楽観視、希望的観測を抱いていた。
ところがどっこいである。現実は甘くないのである。
登りは地図の示す通り急であり、
しかも途中にあるのがスキー場。
特に今年は疫病による自粛もなく、
人、ひと、人の大賑わいである。
登り口から息を切らし、観音様を拝みつつ
無心で静かに歩いてきたものの、
日頃は煩悩まみれの身。
このにぎわいは見過ごせない。
さっそく出店ウォッチングほかで、
事前に計画したコースタイム無視の
大休止となる。
いかん、今日は巡礼チックな山の旅。
まだ先も長いぞと、心を鬼にというのか、
後ろ髪を引かれつつが適切か、
とにかく前へ、再び歩き出す。
が、おっとルートを誤った、
大峰をめざすはずが、
少しオフコースしてしまった。
であるが、進むべき方角は
間違ってはいないので、
そのまま進み、後半戦へ。
まだ冬の雪対策の名残りか、
黒い覆いのある観音様も
いらっしゃるが、出会えば合掌、
あらためて無言の行ではないが、
口を結んで沈黙の山歩き、
アゲインである。
今度は下り、こちらも急降下。
観音様の前ではとにかくストップ、
立ち止まり、
この先、転けませんようにと
お願いする始末だ。
そうこうしているうちに
またしてもスキー場に出くわす。
こちらも家族連れなどで
大盛況である。
今度は小休止、そそくさと後にして、
最後の登り、秋葉山をめざす。
その後も合掌、プラス唱える定番の文句、
ひと言を存じ上げないので黙礼を
繰り返しつつ、再び越後湯沢に駅へ。
朝、7時半過ぎに出発して、現在12時30分。
途中で大・大休止や、ショットカットはあったものの、
舐めてかかるとしっぺ返しありの
大峯百番観音は無事に、ほぼ完歩と相なった。
ようし、とりあえず気になっていた
山道は歩いた。
ならば、せっかくなので
ついでに「国境の長いトンネル」の続きも。
東京に戻ったら、今度は活字の海で、
泳いでみるとしますかな。
〜2023(令和5)年5月4日(木)にトボトボ。
ん、そういえば、道中は誰にも会わなかった。
アップダウンは大変だが、駅前ながら静かな歩きを楽し‥、
いや苦しむか、とにかく歩く〜
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます