miss pandora

ONE KIND OF LOVE

愛にはいろいろ種類があるの
全部集めて地球になるの

かきかけBali

2021-06-29 16:36:20 | エッセイ
https://www.youtube.com/watch?v=HBHXJtAZDu8
80年代後半から、国内旅行があまりにも高価で・・・誕生日付近にバリ島に行くようになった。初めて行った時は、コンチネンタルミクロネシア航空。エコノミークラスでも「機内のバーラウンジ」が利用できる時だったし、シャンパンも飲めた。あんな飛行機今もあるのかな? 

FIXの値段もタクシーもなく、日の入りとともに店が閉まり、とても、素朴な時代だった。

ある日クタの道端で、同じ名前(アリ)のジャワ出身のサーファーに会い、その後は、旦那さんと彼と3人で遊ぶことが多かった。彼がポンコツ車を借りて遠出したり、そのポンコツ車が知らない村でオーバーヒート?してその修理中、私だけ知らない民家で休ませてもらったり。アイスティーをご馳走になりながら、その家でテレビを見ていたら「おしん」が流れてて・・・
多分、テレビがまだ普及しておらず村人や子どもがその家に集まって、「おしん」の国から来た私は歓迎された。ムスリムのアリとの旅は、言語は、日本語・関西弁・英語・インドネシア語だし、「早道だっ」と地図にもないような道を走ったり、宗教や習慣・バリヒンドゥや歴史…ロコ情報・・・色々聞けて本当に楽しかった。

https://www.youtube.com/watch?v=IW-QPw4-4cU
ホテルのスタッフに、「明日、誕生日なんだ」って自分で言いふらしてたのか、ニョマン君に大きな扇(半径1mくらい)とブーケをもらった。彼らの月収が5千円位なのを知っていた私たちは、ニョマン君が「扇屋の倅」だと思うことにした。
ダークチェリーがいっぱい入っているケーキ「ブラック・フォレスト」1ホールにキャンドルを灯してお祝いしてくれた。
後で、ニョマン君とエンジニアのマデ君とご飯を食べに行って、旦那さんが「ガムラン/ガンサ」を買いたいって言った。すると、マデ君の親戚がガムランゴングの工場をやってて、早速彼が休みの日に、知らない町まで行った。
その当時、これらの楽器はまだお土産物にはなっておらず、バリ島でも村単位が注文する高価なものだった。工場では6才くらいからの子どもたちが一生懸命働いていた。一個のガムランを買う交渉は私の係だったので、けっこう疲れた。いつも2週間くらいそのホテルに滞在していたのでか・・・ホテルのオーナーとディスコにいく羽目になりそうになったこともある(笑)

ちなみに、このジェゴクバトルは、ライブで見たことがない🤔

https://www.youtube.com/watch?v=djwYGFLxWyY
初めて行ったデンパサールのアートセンターで観たレゴンやケチャが、一番良かったな。
照明は、松明だけだった。開演前に、コロセイム状になった席を取ったら・・・旦那さんはビデオを撮るためにいなくなり、、、アリは女の子をナンパするためにいなくなった。それで・・・夕べのコーランが流れ♪私の周り中の多分バリ他出身のインドネシア人が祈り出した。えええっっっ! それがすんだら、やっとうちの男子たちが帰って来たのでした。
そして、開演中、暗がりの中で美しいレゴンダンサーを描くのは、至福だった。

入手したガムラン/ガンサは、当然出国審査で捕まった。。。(ぁぁぁ、これで旅行の注意本に書いてあった別室送りだなぁ)と思っていたら、審査員たちがワイワイニコニコキャーキャー騒いでて「これって、ガムランだよなぁ、凄いいいもの買ったね~♡」って喜んでセーフだった。

最後に行ったのは、2009年。
プライベートビーチのはずなのに砂浜が、殆どなくなり・・・観光客の国籍も様変わりした。タクシーもデパートもあって便利にはなったけれど。

カルチャーショックな、デンパサール市場・・・暑くてぐったりな犬は、トラ模様とかヒョウ柄。そんな模様の犬が生息しているのか何年か不思議だったけれど、ある日ムツゴロウさんがバリ島の犬を調べる番組があって、「これは、自然ではありませんね、描いたものですね♪」日向ぼっこのおじいちゃんに「描きましたね~?」と尋ねるとニヤッとして「うん」と答えていた。


「ワタシノ ナマエハ 味の素 デス」と話しかけてきた少年


ワンデーワンプレイス☆


娘が生まれてからは、キッズクラブが充実しているホテルに替えた。なんとキッズクラブは無料(プールは、「日よけ付き」でウォータースライダーあり。ちゃんとスーパーバイザーがいて、午前8時から午後6時まで預かってくれる。内容も、1時間おきにメニューが変わり、海岸でのゲームやお供えのような民芸品作りのワークショップ、小鳥の餌やり、ピザ作り・・・とにかく参加してみたいほど充実している。初期は、卓球台の横にサンドバッグもあった~、それはいつしか無くなっていた・・・注意:12才まで)
&専属のベビーシッターが一時間200円くらいで頼めて、至れり尽くせりでした。 (預けっぱなしにしては、いません)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第61回北海道版画協会展 開... | トップ | 小道と路に »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

エッセイ」カテゴリの最新記事