ハイカーズ・ブログ(徘徊者備録)

「あなたの趣味はなんですか?」
「はい、散歩です」

「こうなる前からですか?」
「いいえ」

体さばきと間

2012-04-16 20:05:12 | 居合道
月刊剣道日本
1991.11月号

特集居合道
体さばきと間

故・檀崎友彰範士談

居合の理合と体の理合が一致するのが肝心。
体さばきと間は、この本質を念頭におかずいくら抜き差しの稽古をしても身につかない。

初心者に手ほどきができるようになった者なら、順序に従う業から離れ、対人動作での理合はどうあるべきかを基本にして取り組んで欲しい。

見えざる相手に間を計り、間合を詰めたり、間合をきったり、かわしたり、きりかかった体のさばきは、つもりであっても、「つもり」という落とし穴が常にある。

また、たとえ相手がいても、「本物の斬りあいでなければ、自分に都合の良い解釈もできるし、斬りあいの理合からかけ離れた間や体さばきを習得することに懸命になるかもしれない。

体さばきや間を追求することは、自己陶酔の自己流居合に陥らない修行でもある。
中山博道先生の真似はとてもできないが、居合の修行のために対人する武術を探り、実際にやってみるのがいい。

対人武術でも現在の剣道は少し問題がある。
スポーツ剣道といわれる今の剣道は居合と同様に剣の理合に欠けるからだ。

残心のある次なる敵に対応できる体勢とは、臍下丹田と腰に力が入り、ここを中心にして上体と下肢が一致した動きのできることで、こうした体勢が自然にできるようになるためには、基本的な身体の修練をしなければならない。
小手先の抜き差しの修練ではなく、もっと自然の人間の体の動きの訓練が必要とされるといっていいだろう。

わたしも相撲だけでなく、合気道や杖道、少年の頃は剣道や陸上もやった。

合気道や杖道は体をかわす足さばきなど教えられることが多い。

杖道は中山先生が範士となられるくらい熱心に取り組まれたが、有信館では大いに奨励された。
講道館の嘉納治五郎先生も杖の研究を門下生に説いている。

私のところでは毎週一回杖道の稽古にあてているが、居合だけという人は是非杖道を居合の精進の為にやってみるといい。

全剣連が昭和43年に12本の形を制定したが、制定居合のように各流派のものをミックスさせたものではない。
72本ある神道夢想流の形から選び、そのまま取り入れているので余計な迷いを生じなくてすみ、一本一本奥が深い。
一人稽古の単独動作から相対動作、形へと段階的に進むが、様々な状況においての合理的な戦技は、仮想的というともすれば自己流の敵を想定してしまいがちな居合人には強烈な刺激であり、覚醒させてくれるだろう。

法定は学ぶほどなお道遠し
命あらむかえりつとめよ