柔道の指導のために米国に渡った98歳の福田敬子さんが7月28日付で米国柔道連盟から女性として初めて最高位の十段昇段を認められた。
東京都出身。
柔道の父といわれる嘉納治五郎が、柔術を学んだ福田八之助を祖父に持つ。
21歳のときに嘉納に誘われて講道館女子部に。
64年東京五輪では「柔の形」を披露する大役を得た。
知人の招きで訪れたサンフランシスコに数ヶ月だけ滞在するはずが、生徒に指導を続けてほしいと懇願された。
嘉納先生は「チャンスがあるうちに自分を全うすべきだ」といわれた。
米国に腰を据えて77年に市民権を取得。
「私は柔道と結婚した」と話、世界各国で普及に励んだ。
数え切れない生徒と出会い「幸せだった」と語った後で「私にもっと能力があれば、もっと柔道を発展させられたと思うこともある」
40年以上も主宰する「桑港女子柔道クラブ」の道場で、白い柔道着に九段以上を示す紅色の帯を締めた福田さんは「嬉しいを通り越して恐縮至極。これからの責任の重さを感じる」
高台の住宅街にある道場には今でも週2度は出向く。
病気で脚が弱り、教え子の支えなしでは畳に上がれない。
それでも準備運動の際には椅子に座って腕を回し、稽古中は厳しい視線を注ぐ。
東京都出身。
柔道の父といわれる嘉納治五郎が、柔術を学んだ福田八之助を祖父に持つ。
21歳のときに嘉納に誘われて講道館女子部に。
64年東京五輪では「柔の形」を披露する大役を得た。
知人の招きで訪れたサンフランシスコに数ヶ月だけ滞在するはずが、生徒に指導を続けてほしいと懇願された。
嘉納先生は「チャンスがあるうちに自分を全うすべきだ」といわれた。
米国に腰を据えて77年に市民権を取得。
「私は柔道と結婚した」と話、世界各国で普及に励んだ。
数え切れない生徒と出会い「幸せだった」と語った後で「私にもっと能力があれば、もっと柔道を発展させられたと思うこともある」
40年以上も主宰する「桑港女子柔道クラブ」の道場で、白い柔道着に九段以上を示す紅色の帯を締めた福田さんは「嬉しいを通り越して恐縮至極。これからの責任の重さを感じる」
高台の住宅街にある道場には今でも週2度は出向く。
病気で脚が弱り、教え子の支えなしでは畳に上がれない。
それでも準備運動の際には椅子に座って腕を回し、稽古中は厳しい視線を注ぐ。
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