タイの農産物を日本に出している活動に参加しているが、一抹の疑念が生じてならない。
もしタイの農家にエンパワーメント(自分たちの問題を自分らで解決できるような力づけ)をしたいのであれば、外部の経済環境に作用されず、自分たちのことは自分たちで決められるような力強い農村社会を築くように支援するべきである。
実際タイの農村開発のリーダーたちは村に入ってそういうことをしている。
村人たちが外に農産物を出すためせっせと作っていたら、村人は自らの資源を外部の人たちにいかに合わせて高く買ってくれるかということに気をとられて外部の経済環境に左右された農村経済しか村に生まれてこない。
つまり、私たちがやっていることで言うと日本人が何らかの問題でタイの農産物を買わなくなったら、早速村人たちは生活に困るわけである。
国王の提唱する「セタキット・ポーピアン」はそのように村の外の社会に村の資源を依存させているのではなく、自分たちの資源は自分たちで管理できないといけない、自分たちの村で必要だと思われる分だけ作って、自分たちで消費するのが基本で、あるいは村でコントロールできる程度だけつくり、余力があったら外に出す農産物を作る。
つまり自給自足的な村内循環経済のようなものを目指すべきである。
そうでないと、いつも外部の経済環境に左右された村になってしまう。
それでなくても農業はやれ天気だ、雨だ、虫だと村人がコントロールできない環境に左右されてしまうのだ。
私たちのOTENTOの活動もタイにしっかり根ざし、村の人々が自分たちのリソース(人材も含めた資源)をしっかり把握でき、それを使って豊かになってもらえるよう支援していきたい。
もしタイの農家にエンパワーメント(自分たちの問題を自分らで解決できるような力づけ)をしたいのであれば、外部の経済環境に作用されず、自分たちのことは自分たちで決められるような力強い農村社会を築くように支援するべきである。
実際タイの農村開発のリーダーたちは村に入ってそういうことをしている。
村人たちが外に農産物を出すためせっせと作っていたら、村人は自らの資源を外部の人たちにいかに合わせて高く買ってくれるかということに気をとられて外部の経済環境に左右された農村経済しか村に生まれてこない。
つまり、私たちがやっていることで言うと日本人が何らかの問題でタイの農産物を買わなくなったら、早速村人たちは生活に困るわけである。
国王の提唱する「セタキット・ポーピアン」はそのように村の外の社会に村の資源を依存させているのではなく、自分たちの資源は自分たちで管理できないといけない、自分たちの村で必要だと思われる分だけ作って、自分たちで消費するのが基本で、あるいは村でコントロールできる程度だけつくり、余力があったら外に出す農産物を作る。
つまり自給自足的な村内循環経済のようなものを目指すべきである。
そうでないと、いつも外部の経済環境に左右された村になってしまう。
それでなくても農業はやれ天気だ、雨だ、虫だと村人がコントロールできない環境に左右されてしまうのだ。
私たちのOTENTOの活動もタイにしっかり根ざし、村の人々が自分たちのリソース(人材も含めた資源)をしっかり把握でき、それを使って豊かになってもらえるよう支援していきたい。