ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

「ほめて育てる」は日本には向いていないみたいです(^-^;

2024-10-27 23:59:46 | 感名を受けた話

少し前ですが、目に留まった記事。

今年の春頃の記事のようですが。

 

「ほめて育てる」ということが言われ始めた1990年代以降、若者の自己肯定感が高まるどころか、むしろ低下していると。

高校生の意識調査(日本・アメリカ・中国・韓国の比較調査)でも、「自分はダメな人間だ」という項目が「よくあてはまる」と答えた日本の高校生は、「ほめて育てる」ことがあまり言われていなかった1980年には12.9%だったが、「ほめて育てる」ことが徹底して行われるようになっていた2014年には25.5%と2倍になっているとのこと。

しかも、「まあそう思う」も含めて、「自分をダメな人間だと思う」という日本の高校生は、2014年には72.5%となっており、7割以上が「自分をダメな人間だと思う」と答えているそうです。

 

そうなの??って思いました

 

『ほめると子どもはダメになる』の著書である、臨床心理学者で、MP人間科学研究所代表の榎本博明氏のインタビュー記事でした。

何故、そうなってしまったかを分析されていました。

 

「ほめて育てる」は、1990年代に、欧米の教育論の表面だけをまねて生まれた風潮だそうです。

アメリカやヨーロッパには、「子どもをほめるときはしっかりほめる」という感覚が根づいています。「愛しているよ」「大好きだよ」といった言葉がけも積極的にします。

けれどそれは、普段の対応が非常に厳しいからであるからこそ。欧米では、親や教師は絶対であり、子どもはそれに従うのが社会のルール。子どもは小さいうちから親とは別の寝室で寝て、学校の成績が悪ければ容赦なく留年や退学になる。

会社でもそう。アメとムチでいえば、子どもを取り巻く社会環境がムチである。だから親は、適切なタイミングで「ほめる」というアメを差し出し、子どものやる気を引き出したり、親子間の信頼関係を築いたりする。日本ではそうした文化的背景を省みずに、アメの部分だけを取り入れてしまった。

欧米に比べると、日本はもともとが子どもにやさしい社会。子どもと一緒に寝るのは当たり前だし、泣けばすぐにあやします。学校は出席日数が足りなくても、それぞれの学年に見合う学力が育ってなくても、なんとか進級させようとします。

つまり、子どもを取り巻く環境がアメの日本では、親や大人があまりほめずに叱ることでアメとムチのバランスがとれていた。しかし、叱らない子育て、ほめる子育てが普及した結果、子どもはアメだけをもらって育つようになってしまった。

厳しいことを言えば気まずい雰囲気になったり、相手に嫌われたりする可能性もある。そうした事態はできるだけ避けたいと思うのが人情。だからこそ、「子どもはほめて育てよう」「叱らなくてもいい」というメッセージは、多くの人にとって魅力的だった。「やさしいお母さん」「理解のあるお父さん」だと思われたい保護者に支持され、急速に広がっていった。

 

たとえば身近な例で・・・

食べ物の好き嫌いが激しい子どもに食べるようにどう促すか。まず「食べなさい」と命じるのは共に同じ。それで食べないと、米国の親だったら、だんだん語調を強めて「食べなさい!」と強硬に出る。ところが日本人の親は、お願い調に転じる。「食べてちょうだい」「お願いだから食べて」という具合。さらには「今日食べなくても、明日は食べるよね」と譲歩していく。それでも食べないと「もういい」と最後通牒。

米国の学者に言わせると、上の立場の親がお願いをするのが、日本ではなぜ説得の言葉表現になるのか、と不思議がられる。「もういい」は心理的な一体感や関係性が壊れるよ、という暗黙の脅しである。

 

「ほめられる」というのは、他人にポジティブな気分にさせてもらっているということ。それに慣れてしまうと、ネガティブな状況に耐えられなくなる。その結果、傷つきやすくて、忍耐力がなくて、頑張れなくなる。正しいやり方を指示されただけなのに、「攻撃された」「自分を否定された」と感じて傷ついて、心が折れてしまう。なかには、開き直って自分を正当化する子もいる。

自己肯定感は、厳しい状況を乗り越え、「自分は頑張った」と思える時に高まる。頑張ってもいないのにただ褒められていい気持ちになっていたのでは、本当の自己肯定感は育たない。常にほめられている子は、「人にほめられるかどうか」で心のあり方が揺れてしまう。つまり、自己肯定感を他者に依存している。ただおだてられて育てられてきたから、がつんとやられたらぽしゃんとなる。だから自己肯定感は低い。

 

子どもをダメにしないほめ方とは・・・

大したことをしていないのにほめると、子どもは「なんだ、この程度でいいんだ」と思ってしまう。あるいは、「これくらいでほめられるなんて、自分はあまり能力がないのかも」と感じてしまう可能性もある。

勉強でもスポーツでも日ごろの行いでも、ほめるときは「結果」や「能力」ではなく「プロセス」や「姿勢」をほめる。

 

褒める時は、褒めて、叱る時は叱る。

このメリハリが大事とのことですが、教育現場では、子どもを叱ると保護者からクレームがついたり、大変のようです。

「子どものためだと思っても叱ってあげられない。鍛えてあげられない」という嘆きの声も。

 

子ども達はどう受け止めているのか・・・

「叱られることに耐性がない自分たちはこのままで大丈夫だろうか」と心配する大学生や、「ほめればいいと思っている自分の母親を見ていると悲しい気持ちになる」「以前は親がほめるばかりの友だちが羨ましかったけど、そういう子はすぐに心が折れるから、今は親に心を鍛えてもらってよかったと思ってる」などと話す学生もいたそうです。

少数ですが、違和感を感じている子どもは一定数いるそうです。

他にも、小学生の問題児が、叱られることなく悪さがエスカレート。ある時、ある先生に呼びつけられ、叱られ、問題行動がなくなる。「あの先生は叱ってくれた」と言っていたそうです。

 

やはり、アメとムチのバランスが大切なんでしょうね。

 

私は、かつて、一度、「褒めてみよう」と思って、実行したことがあります。

けん太に「なんの教育本、読んだのか知らないけど、そういうのやめてくれる?」と言われてしまいました。

 

バレバレ

敵は恐るべし

 
 
 
いつもありがとうございます。
応援ポチよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へにほんブログ
 
 
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 闇バイトをしてしまう子の家庭 | トップ | 選んだ道を正解にする。 »
最新の画像もっと見る

感名を受けた話」カテゴリの最新記事