前回の記事ですが、
ちょっと補足したいなと思う部分がありまして・・・
本人が学校に行きたいと思っているのなら、
不登校でなくなることで自然といろんなことが解消されるはず。
不登校になるといろいろと変化がでてきます。
ケン太の場合は、記事で書いたように、
ゲーム漬けで昼夜逆転になったり、
まったく勉強しなくなったり。
その他でも、髪が伸び放題。
歯を磨かない。
お風呂は3日に一度くらい。
潔癖症になり、いちいち食器などをチェック。少しでも気になると使わない。
もしくは念入りに洗う。
小学生の時は、罪悪感が強くて
カーテンは閉め切ったまま。
音も外に漏れないように小さく。
友達が来ても会わない。
そのうち来なくなる。
先生が訪問してくださっても会わない。
先生の電話にも出ない。
親が話せば切ろうとする。
全ての電話に聞き耳を立てる。
外出は車での遠出のみOK。
そこでも常に人の目を気にして、ほとんど下を向き、
前髪で目元を隠して存在を消していました。
不登校になったことで、どんどん状態が悪くなっていく。
そこから明るい未来はどこにも見えなくて、
もうずっとこのままかもしれない。
どんどんそういう方向に心が吸い込まれていきました。
しかし・・・
学校に戻れたことで、これらのことがスパっと無くなりました。
嘘みたいに。
学校に戻れた日に、元気よく帰ってきてランドセルを玄関に放り投げ、
「友達と約束した~遊んでくる~」とまた飛びだして行きました。
たった1日でそうなりました。
それから卒業までの約1年間、ほぼ休むことなく通いきりました。
いったい今まで家にいたケン太は何だったんだろうと思うくらいに。
学校に行くようになって改めて、
あれらは学校に行きたいのに行けなくて苦しんでいた心が起こしたことなんだとわかりました。
だから行けたことにより解決する。
でも、ですね。
元に戻らなかったことがあります。
勉強![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
不登校前、普段の宿題も、夏休みの課題も、ケン太はやらないで行ったことはなかったと思います。
親が管理してやらせていましたからね。
中学受験でギューギュー詰めにして爆発するまでは、親の操作でなんとかなっていたのです。
親の管理がきっかけで不登校を招いたのですから、その反省から親は基本、手を離しました。
そしたら当然のように、やりませんよ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
でも、これは、子どもが本来の姿に戻ったというだけ。
新たに問題が発生したわけではありません。
問題が起こらないように、起こらないようにと親が問題の根を摘もうとしていただけです。
それが浮き彫りになりました。
本来の子どもの姿に戻って、自分の問題と向き合わせる。
その作業が出来てよかったです。
ご承知のとおり、
課題問題はなかなか克服できず、常につきまとい、
結局、問題が残ったまま、学生時代を終えましたが、
社会人としてのステージに立った時には、その問題と向き合う必要がなくなりました。
社会にでればいろんな選択ができます。
いつまでも、出来ないことに縛られることはない。
自分のできることを見つければいい。
出来ないことをなんとかしようと思うより、
その労力を、できることを伸ばすことに使った方がいいと私は思いますよ。
そこに辿りつけたこと。
よかったと思います。
ケン太はなんとかなっています。
今のところはね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
子どもが学校に行かなくなるって、本当に辛いことです。
一瞬のうちに、出口の見えないトンネルに迷い込んでしまいます。
何をしても動かない子どもに、親は必死に考えます。
何がどうしてこうなったのか・・・
何がいけなかったのか・・・
そこから見えてくるもの、必ずあります。
同じことを繰り返さないためにも、親自身も変わろうとします。
不登校になってよかった。
そう思えればいいかなと思います。
そう思えた時、親子関係がよくなっているのでは?・・・と思います。
いつもありがとうございます![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
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ちょっと補足したいなと思う部分がありまして・・・
本人が学校に行きたいと思っているのなら、
不登校でなくなることで自然といろんなことが解消されるはず。
不登校になるといろいろと変化がでてきます。
ケン太の場合は、記事で書いたように、
ゲーム漬けで昼夜逆転になったり、
まったく勉強しなくなったり。
その他でも、髪が伸び放題。
歯を磨かない。
お風呂は3日に一度くらい。
潔癖症になり、いちいち食器などをチェック。少しでも気になると使わない。
もしくは念入りに洗う。
小学生の時は、罪悪感が強くて
カーテンは閉め切ったまま。
音も外に漏れないように小さく。
友達が来ても会わない。
そのうち来なくなる。
先生が訪問してくださっても会わない。
先生の電話にも出ない。
親が話せば切ろうとする。
全ての電話に聞き耳を立てる。
外出は車での遠出のみOK。
そこでも常に人の目を気にして、ほとんど下を向き、
前髪で目元を隠して存在を消していました。
不登校になったことで、どんどん状態が悪くなっていく。
そこから明るい未来はどこにも見えなくて、
もうずっとこのままかもしれない。
どんどんそういう方向に心が吸い込まれていきました。
しかし・・・
学校に戻れたことで、これらのことがスパっと無くなりました。
嘘みたいに。
学校に戻れた日に、元気よく帰ってきてランドセルを玄関に放り投げ、
「友達と約束した~遊んでくる~」とまた飛びだして行きました。
たった1日でそうなりました。
それから卒業までの約1年間、ほぼ休むことなく通いきりました。
いったい今まで家にいたケン太は何だったんだろうと思うくらいに。
学校に行くようになって改めて、
あれらは学校に行きたいのに行けなくて苦しんでいた心が起こしたことなんだとわかりました。
だから行けたことにより解決する。
でも、ですね。
元に戻らなかったことがあります。
勉強
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
不登校前、普段の宿題も、夏休みの課題も、ケン太はやらないで行ったことはなかったと思います。
親が管理してやらせていましたからね。
中学受験でギューギュー詰めにして爆発するまでは、親の操作でなんとかなっていたのです。
親の管理がきっかけで不登校を招いたのですから、その反省から親は基本、手を離しました。
そしたら当然のように、やりませんよ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
でも、これは、子どもが本来の姿に戻ったというだけ。
新たに問題が発生したわけではありません。
問題が起こらないように、起こらないようにと親が問題の根を摘もうとしていただけです。
それが浮き彫りになりました。
本来の子どもの姿に戻って、自分の問題と向き合わせる。
その作業が出来てよかったです。
ご承知のとおり、
課題問題はなかなか克服できず、常につきまとい、
結局、問題が残ったまま、学生時代を終えましたが、
社会人としてのステージに立った時には、その問題と向き合う必要がなくなりました。
社会にでればいろんな選択ができます。
いつまでも、出来ないことに縛られることはない。
自分のできることを見つければいい。
出来ないことをなんとかしようと思うより、
その労力を、できることを伸ばすことに使った方がいいと私は思いますよ。
そこに辿りつけたこと。
よかったと思います。
ケン太はなんとかなっています。
今のところはね
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子どもが学校に行かなくなるって、本当に辛いことです。
一瞬のうちに、出口の見えないトンネルに迷い込んでしまいます。
何をしても動かない子どもに、親は必死に考えます。
何がどうしてこうなったのか・・・
何がいけなかったのか・・・
そこから見えてくるもの、必ずあります。
同じことを繰り返さないためにも、親自身も変わろうとします。
不登校になってよかった。
そう思えればいいかなと思います。
そう思えた時、親子関係がよくなっているのでは?・・・と思います。
いつもありがとうございます
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