最盛期、300以上あった北海道のライハも、HATINOSUの登録で見ると今日現在activeなのは道北16カ所、道東15カ所、道央11カ所、道南4カ所、合計で46カ所となっている。
バイクの販売が最盛期を迎えたのとほぼ同時期にライハが立ちあがってきたのが1980年代、当時バイクの販売のピークが330万台、今はその1/10程度まで減少、当然ライダーも少なくなっているからライハの利用者も減少するだろうし、それ以外にもいくつか理由は有る様だが、ライハを宿泊施設と見た場合、法的にもグレーゾーンの様だ。
多分自分が歳をとったのが一番の理由だとは思うが、YHにせよライハにせよ昔とは違う、なにか居心地が良くないというか落ち着かないという感覚が暫く前から段々と強まり、もう卒業のタイミング、緊急退避的な場合以外利用は殆どしなくなった。実際ライハよりはキャンプの方が落ち着ける。
最近某所でいわゆる北海道三大沈没宿の一角が今年閉鎖になるかもしれないという噂を耳にしたがここは以前から色々と話題を提供していた所だからさもありなん(ゲストハウスやキャンプ場は継続かもしれないが)ということで特段の驚きはないが時が流れ、平成から令和に変わる中、ライハについても状況や人や考え方が変わればそれも止む得ないのかもしれないと妙に納得。
昔はライハでも二等船室でも何でも寝られました。むしろワイワイしたい(笑)
しかしもう若くないし、おっさんがテンション上がってんの見るとひじょーに残念な気持ちになってしまいます(笑)
今時の若い人とも感覚は違うでしょうから昔ながらのライハはチョッとノリが合わないかな?とも思います。
前回渡道の時は興部の町が管理してるライハを緊急で利用させてもらいましたが、2名のみ(笑)
あんな感じで存続出来るなら良いなぁと思います。
長期滞在者やいわゆるヌシみたいな方が居るようなところはチョッとなぁと。
真偽の程は不明ですが、元々は農家や漁師が見かねて一夜の宿にと納屋や倉庫を解放したのが始まりとかいう話も聞いた事が。もしもそうであれば緊急避難的な利用が元来のライハの意向に一番近いのかもしれません。とは言え、時と共にライハの有り方も変わってきたとしても否定はしませんが。
まあ、みんなで騒ごうとか、今の若者は思いにくいでしょうね。
フェリーでも、最新型は2等の相部屋がなくなり、寝台以上になっています。
YHは、都会は、旅慣れた外人さんが多いのでともかく、田舎は、若者はいません。あの若者が来ない状態だと、経営する方もやる気が出にくいんじゃないかとも思います。
情報共有は、したいとは思っているが、去年の北海道なら、ライダーハウスでスマホで情報探して、それを話題に話すことが多かったです。一部テレビもあった。(台風で、警報やら出てたので目的地など相談することが多かったせいもある)
p.s.
退職したら、タイトルのようなうらやましい生活がしたい。
どこかのバイクサイト見ていたら同じライハに泊まっているもの同士がLINEで会話してたとかw
YHで女の子誘って諏訪から軽井沢に行く予定がクルマが壊れて八王子の部品屋へ直行したのは今は懐かしい思い出です。
最近ゆるキャン△観てました、おじいちゃんが海岸沿いにバイク止めて凛のお母さんと電話しているシーンが”あるある”でしたね。