モノスヤ☆のまきのテケテケあるある記。

花柳仲登嗣(モノスヤ)&仲真央(のまき)のコンビは2013年もブルワーズ青木を鋭意応援して生きます!!芸道も精進ちゅ♪

パンスト。

2007-11-27 20:13:10 | いろんな話。
踵が手入れを要求していたのでその声に応えることにした。

踝と膝きゃぶも、ついでに。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝起きたら、「やわらかかと」になっていたので。

うれしゅくなってハイソックス穿きミニスカートで、がいしゅつ。


しかし行くところがないので近所のスーパーで買い物。さみしー。


ちなみにハイソックスは膝下の靴下のことで、
なぜか短縮形は『ハイソ』なんだってよ。

それから膝上の靴下はオーバーニーソックスです。

オーバーニーは脚が非常に太く見えるので危険です(←ていうか元々が太いけど)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それはともかく今日の寒さに生膝出しは危険なお年頃なので、
お家に帰ったら即効ズボンに履き替えました。

もちろんハイソックス履きでは必ず「ケーパン」穿きます。

ケイトの~、パンツだよ! ←にしおかすみこ調でどうぞ。


私がミニスカートを穿いている時は、
「ああこいつ(今)毛糸パンツ穿いてるんだな」
と想像してみてください。 ほほほ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で、こんな話を別の場所でしてたら。

かつての同僚に十数年経っても生足健在だったか、と笑われたが。

その発言で思い出したんだ。


会社に生足(+靴下履き)で上司(女史)に叱られたこと。


一昔前は働く女はストッキング穿きと、なんだか決められていた気がする。

会社は制服ではなかったものの(当時)、
それでもストッキング穿いてないと「大人失格」の烙印を押されるようだ。

(自分の中では制服だったらストッキング必須と思っていたのね)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

近頃はOLさんでも普通にハイソ穿きの人を見かけるよね。

制服スカートの下に黒とか紺のハイソックス。


私は、それもイイナ~と思う。

パンストフェチ男さんには申し訳ないが、
この世からパンスト無くなっても私は困らないなー。


必要と思う時は喪服着る時だけね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生足にハイソックスでは、さすがに寒さを感じたので。

春までガマンして、これからしばらくはタイツ着用だな。


今年はカラータイツが流行ってるんだって。眞鍋かをりも書いてた。


みんなが穿いてると変わった色を選んでも浮かない気がするので気楽だね。


でも透け感のあるカラータイツは志茂田景樹を思い出す人も多いはず~。



吉田さん

2007-11-27 08:23:28 | いろんな話。
母親から「どうしても一個は食べるように!」とキツく言われた”干し柿”を、
やっぱり食べなかった。

「身体にいいのよ!」

「(無言でブンブンブンと横に首を振り続ける)」

どんなに干し柿が私の身体に良い影響を与える可能性があるとしても、
アレを口にすることは私にとってストレスだ。

ストレス感じながら食べて栄養になるなんて思えないわ。

こういうところで拒否権と黙秘権を発動できるようになった自分を、
つくづく大人になったと思うの。

(それ以外の点では、ほぼ母親に頭が上がらないからせめてもの抵抗。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨夜、教育テレビの『ハートをつなごう』を観ていたら、
ろう者に歌を届けようと活動する女性がドリカムの吉田美和に似ていて。

ふと思い出して、【ドリブログ】を読みに行った。

中村正人が綴るドリカムの本家ブログだ。

 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
  October 27, 2007

  「マサさん、明日、スタジオいくよ。」

  まだまだ力強い声ではないけれど、
 吉田さんからそう言われた時の僕の気持ちを表現するのに
 ピッタリな写真が撮れたので、UP。

 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

とある。

「そう言われた時の僕の気持ち」は、

 深い森の中に迷い込んで途方に暮れていたある日、ふと顔を上げると、
 静寂のなかで、真っ青な空に一本の飛行機雲が延びて行くのを
 見つけた時のような気持ち。

だったそうだ。


真っ青に空に一本の飛行機雲が延びて行くのを見つけた時、
誰にでもそんな時があるはず。


中村正人が吉田美和に「スタジオいくよ」と言われて、
どんなに喜んだか実感が伝わってくる喩えだと思って読んだ。

二人が、
お互いを「マサさん」「吉田さん」と読んでいる部分にも深い信頼感を覚える。


吉田さん復活してほしい。

復活というか、また歌ってほしい。


きっと、あの人は歌うだろうと思っていたから。
昨夜それを確認できて、とてもうれしかった。


取り立ててファン、というわけでもないのに何故か気になる二人だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

心が、そこにあると思えるのだよね。

昨夜、知った人もそうなのだけど。

そこに音があり歌詞があり歌う人がいて奏でる人がいれば、
(あるいはそこに人が存在してなくても)
そこに音楽が生まれるわけだけど。

そこに、その人の心があれば聴く人の胸を打つし。
心なければ何も感じない。


心、込めて伝えていきたいものだなと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それにしても中村正人は、よく書いたなと思う。

確かに一時期『ドリブログ』は休んでいたようだ。

その時期を越えて、ちゃんと戻ってきた。


待てる人だから書けるのかなと思いながら読んだ。

書くことが全てとは思わないけれども書けば書いたように言葉が残る。

また書かないというのも一つの選択でもあるし。


全部、自分が選んですることなんだよね。


吉田さん戻ってくるのも吉田さんの選択と意思で、
マサさんが待っているのも同じ。


選べたら戻れる。

自分で自分を選べる限りは自分でいられるんだなー、と。