今朝、娘M嬢が朝刊を手に「だあさん(←わたしのことです)にピッタリのことが書いてあるわよ」と。
そう言いながら居間にやってきました。
M嬢は朝読みのタネとして毎朝、地元紙一面の『北斗星』を読むのを日課にしています。
今日の、それを読んだM嬢の声は、いつになく力を帯びていたように感じました。
⇒ 北斗星(3月18日付)|さきがけonTheWeb
記事の最後は、
...「がんばろう東北」「がんばろう日本」と言い続けたい。
そう締め括られていました。
わたしも大事な人の言葉を借りて『頑張ろう東北』という投稿をしました。
もちろん、この度の震災で被害を受け被災された方々は東北のみならず、
ということは充分に理解しています。
それでも即、頑張ろう東北を思うのは。
自分も同じ東北人だからに違いありません。
まず咄嗟に、きっと我が身のことを思います。
そして直ぐに家族や身内のことを考えます。
それから身近な人、友人や知人の無事を願います。
そして地元の安全を思い、その思いが隣県に拡がる。
さらに思いは、すこし離れた場所にも向かい。
自分の国、日本について、きっと考える。
そんな考えは自然に地球規模に拡がりを見せる、
いつもなら、オーバーなと笑われそうなことも。
こんな状況下、決して大げさじゃない。
「がんばろう」の言葉は、
いま必死に頑張っている被災されている方をこれ以上励ます言葉というより、
わたし達だいじょうぶな者に向けられた言葉のような気がします。
頑張っている方に、これ以上の「がんばって」を言うことなんてできないけど。
わたし達、大丈夫な存在が、
この局面を一人一人の頑張りで乗り切って多くの人を支えたい。
だから、あえてこの時だからこそ。
「がんばろう東北」
「がんばろう東日本」
「がんばろう日本」
わたし達が気持ちで負けたら駄目になる。
今だけのことにとらわれないで、すこしだけ先を見つめて。
希望の光を失わないでいたい、そう強く思います。