モノスヤ☆のまきのテケテケあるある記。

花柳仲登嗣(モノスヤ)&仲真央(のまき)のコンビは2013年もブルワーズ青木を鋭意応援して生きます!!芸道も精進ちゅ♪

ほんとうにすごい人(修整しました)。

2012-02-02 13:20:06 | あるあるモノスヤ記。

本当に、すごい人。

わたしが身を置く世界でも本当にすごい人は、
すごいということを自分自身が自覚していない。

と思う

ジャンルを超えて本当にすごい人は、すごいということを普通に。
当たり前に自然に、やってのけている。

だから、よりすごいのだと。周囲が認めるのだ、と思う。

それは努力していない、とかそういう意味ではなくて。
自分って、なんてすごいやつなんだなどと。

夢夢まったく思っていないようだし、

すごい?なに?オレ?(わたし?)どれ?ああこれ??
ああそうなんだ。すごかったの?オレ?(わたし?)ああそうなんだ??

評価は自分ではなく他者が、するものだと。

すっかり、わかっている人なんだと。

思うのです

うーん拙者の稚拙な言葉では表現に限りがあるのが、もどかしい限りであるが。


自分の例えば芸なりを自分で、すごいと自己評価した時点で。

そういう人は終わっているような気がします

すごいことやった、という自覚がないままにやっていることのものすごいこと。

どえらいことは、そういう中から生まれている気がする。

すばらしい作品や舞台を生んだ方は案外、飄々としているというか。
ごくごく接しても普通で、でもやっぱりただの人とは違って。

ただの人は自分を普通じゃないと思っているというか
オレわたしって、すごいでしょというところがなんだか鼻につくから。

だからなのか、ぜんぜんすごいと思えない。

日常に、ふつうの感覚が持てる感受性が一般の人間の心も打ち。

すごいの評価を引き出していて、
その道の人が出す評価とはもしかしたら違っているかもしれないけど。

......

こんなことを書いている自分は自分が、すごいとは全く思わない。

すごいとは全く思わないところは、ほんとうにすごい人と同じところだけれど。

ほんとうにすごい人と明らかに違う点は、
すごくないということを自分で充分に理解しているところ。

才能にも長けず秀でてもいない、ということをちゃんとわかっているところ。

えらいでしょ(笑)

だから頭なんて上がってきません

......

ところで同じようにいえることは、ほんとうに変な人は自分自身を変だとは自覚していない。

ごくごく、これがふつうだと思って暮らしているところが。

もう充分に、ふつうじゃないという意味で。
わたしも相当に変な人だと思います、

だって変だという自覚ないんだもん。

このまえ、うちの娘に「変態みたい」って言われた時。
(築地のあかつき公園で朝の7時にハトポッポを鳥の真似をしながら追いかけ回した際)

「変態みたいじゃなくて変態なの」

わたしは純然と変態をやってるの、と言ったら。
娘は、かなり困った顔をしていました。

それで、わたしは自分自身を「もしかして自分って変なのかな」と自覚したのでした(って今さら。

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おのうの季節。

2012-02-02 09:20:48 | あるあるモノスヤ記。

お能といえば日本の伝統芸能の一つであって狂言とともに歴史は古く(南北朝の時代から)、

その様式美が独自の世界観を持つ演劇の一つ。

お能といえば世阿弥であり世阿弥といえば「秘すれば花」のことばが、
わたしにはとりわけ印象深い。

......と、

モノスヤこと秋田の花柳仲登嗣が遂に路線を変更し伝統文化、

芸能の世界を至極真面目にお伝えしようとしている。
などと驚かないでいただきたい


残念ながら、わたしにとっての“おのう”は能のそれではなく。

“脳”のほうなのでした(おのうなんていわないっつうの

......

能といえば田楽、田楽といえばコンニャクが旨いよね。

わたしはコンニャクが好きな食べ物のベスト5にランクインするほど、
コンニャクが大好きでたまらないのさ。

この季節、玉こんをハフハフしながら食べるのが好き。

...って、そんな話をしたいのとも違う。


話戻して、わたしの今の季節。

わたしだけでなく、あなたにとっても今の季節は真冬だけれど(間もなく暦的には春だけど)。

そんな季節、思いを馳せるのが“脳”なのです。


さかのぼれば養老先生のご著書を貪り読んだり。。

昨年は密かに(!?)甲野先生の御書を手に取ったり。。

書棚には’70同期の池谷さんの脳本、海馬本が目につく場所に置かれ。

先日、羽田の書店では。こんな本を見つけたのさ

「脳が冴える勉強法」 ~築山 節~

それが帰りの航空機の中で読めてしまったので
師の著書を楽天ブックスのカートへ入れた

今日あたり、ポストにインされる予定。

......

わたしが立て続けに脳の本しかも以前に何度か読んでいた本、

「脳はなにかと言い訳する」

池谷裕二さんのそれをまた読み始めたものだから(といいつつ昨日のうちに読み終えた。

娘M嬢こと“のまき”が、それを不思議そうに眺めて尋ねたの。

「ちゃおさん、また脳の本読んでるの~!?」

そうなのよ、

「なぜまた今ごろになって脳の本??」

そこを聞きますか。

知りたいのかい!?
ならば聞かせて進ぜましょう

「なぜならば、」 「なぜならば??」

それは、タラの季節だからです。

「は??」 「タラなのです。」

タラと脳が、いかようにものまきの脳内でリンクされないらしく。
再度、説明を求められました。

聞きますか、そこを。 (たいがい早、言えや。)

「なぜならば、」 「なぜならば!!」

それは、ダダミが旨いからです。

「は!?」 「タラのダダミなのです。」

っつうか、ダダミっつうのはタラのそれなんだろうな。
(タラの白子を地元近辺ではこう呼ぶ)

「タラのダダミのウニュウニュが脳の、、、」

「もういい」「グロい」「悪趣味ねぇ

家族の(といっても他2人だが)変態を見るような眼差しが刺さっていたい


わたしには、そんな2人の無理解が理解できませんでした。

ダダミを見れば脳を思い
脳を思えば、ダダミが食べたくなり。

ダダミ食べながら脳の話に花が咲き、ああ全然気持ち悪いことなんてないじゃないの。


それもこの場合、池谷さんに言わせれば。

人は幸せになるようにできていて、そのために脳が言い訳している。

ってことなのかもしれない


それでもいいさ(笑)

幸せだもの

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