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雨宮処凛生 きづらい女子たちへ  東京・渋谷のホームレス女性殺害事件〜深刻化する女性たちの窮状

2021年01月06日 | 社会・経済

imidas連載コラム 2021/01/05

 2020年12月6日夜、約170人が東京・渋谷の街をキャンドル片手に静かに歩いた。その光景は、まるで葬列のようだった。

 この日開催されたのは、「殺害されたホームレス女性を追悼し、暴力と排除に抗議するデモ」。同時刻、ネット上ではTwitterデモも呼びかけられ、それは一時トレンド入りもした。 

 昨年11月16日、渋谷のバス停で60代のホームレス女性Oさんが撲殺された事件を覚えている人も多いだろう。女性はスーパーで試食販売の仕事をしていたが、同年の2月、失業したという。住まいも失い、たどり着いたのがわずかな庇で雨をしのげる渋谷区内のバス停だった。

 雨をしのげると言っても、寒さは防げないし、風が吹けば雨天時はびしょ濡れになるような吹きっさらしのバス停だ。そんなバス停のベンチには、ホームレスが寝ないよう、仕切りが付けられていた。横になって身体を休めることもできないベンチで彼女は束の間の休息を取り、朝方になると姿を消した。死亡時の所持金はわずか8円だったという。事件から5日後、逮捕されたのは近所に住む46歳の男だった。

 デモ出発前、参加者たちにマイクが回された。マイクを握った女性の一人は、男がボランティアでゴミ拾いをしていたことに触れ、「外で寝ていたからってゴミじゃない」と口にした。

 そうだ、外で寝ていたからってゴミなはずはない。「人間だ!」。野宿生活をしている女性もそう叫んだ。だけど、私たちは時に野宿者が「ゴミ」のように扱われるのを知っている。それが女性だと、悪意はさらにエスカレートすることを知っている。

 例えば2020年に入って殺されたホームレス状態の人は3人。一人目は1月、東京・上野公園で70代の女性が頭部に暴行を受けて殺害されている。3月には岐阜県で、ホームレスの男性が少年らに襲撃を受けて死亡。殺されたのは男性だが、この男性とともに生活するホームレス女性(60代)は以前から少年たちに追いかけられるなどしていた。事件当日も少年らは「今日はババアに用事がある!」と口にしていたという。

 そうして11月、渋谷の事件が起きたのだ。野宿者に向けられる差別に、さらに「女性」という要素が加わった時、牙を剥く暴力。

 コロナ禍の中、女性が晒されているのは「ホームレス化」だけではない。12月11日には、大阪で親子と見られる2人の遺体が発見された。マンションの一室で亡くなっていたのは42歳の娘と60代の母親。調べによると餓死した可能性が高いという。一人の体重はわずか30キロにまで減っており、冷蔵庫には食料がほとんど残されていなかった。

 親子がどういう経緯で命を落としたのか、詳しいことはまだわからない。しかし、コロナ禍が長期化するにつれ、支援の現場では「今もどこかで餓死者が出ているのではないか」という懸念を多くの人が口にする。私の属する「新型コロナ災害緊急アクション」では4月から相談メールを受け付けているが、SOSをしてくる人の中には、すでに「何日も食べていない」「餓死か首を吊るかしかないと思った」などと口にする人もいる。

 そんな中、殺害されたOさんが2月まで働いていたのがスーパーと聞いて当初は首をひねった。コロナで最も人手が必要になったスーパーでなぜ、失業したのか。しかし、その時に思い出したものがある。それは3月に全国コミュニティ・ユニオン連合会(全国ユニオン)が開催したホットライン(電話相談)。そこには以下のような相談が寄せられていたのだ。

「スーパーの試食販売に派遣されていたが、2月中旬から仕事がなくなった」

 女性からのものだった。コロナで真っ先に切られた仕事の中には、対面販売である試食も含まれたのだ。殺されたOさんもそのうちの一人だった。

 3月7、8日というコロナ禍初期に開催された電話相談には、他にも旅行会社の添乗員、テーマパーク、ホテル配膳、学校給食調理などで働く人からの相談が寄せられていた。こちらはみんな女性で、ほとんどが非正規。それを見た時、思った。これは女性のホームレス化が起きるのは時間の問題だと。

 女性たちの困窮は「働く女性の半数以上が非正規」という形で、コロナ禍以前から始まっていた。そうしてコロナ禍から時間が経てばたつほど、困窮を訴える女性たちの数は増え、その職種も増えていった。最初は飲食や宿泊業、小売業、イベント業などに集中していたのが、フリーランスのインストラクター、コールセンター、キャバクラ、風俗、またテレビ番組のADなどで働く女性からもSOSが寄せられるようになった。

 ちなみに2020年10月の労働力調査(総務省統計局)によると、非正規で働く人は前年同月比で85万人の減少。男性は33万人、女性は53万人減っている。これが7月の時点だと非正規は131万人減。男性50万人、女性81万人。職を失っているのは女性の方が多いのだ。もともと女性が多いこともあるだろうが、同じ非正規でも「女性の方が切りやすい」という雇い主の心理的な側面もあるのではないか。

 同時進行で起きていたのが、女性自殺者の急増だ。10月、自殺者は数年ぶりに2000人を上回って2158人に。うち女性は852人。驚くことに、前年同月比で82.8%増(警視庁調べ)。

 相談メールにも、日々「自殺か餓死かホームレスか刑務所か」といった最悪の四択まで追い詰められている様子が綴られている。男性からのものだが「自殺するつもりで荷物もすべて捨ててしまったが、死に切れなかった」という相談もあった。

 もし、自分だったら、と考える。コロナで収入が途絶え、周りの友人や家族も似たような状況なので頼ることもできず、家賃を滞納し、連日のように「出ていくか、滞納分をすぐ払うか」迫られ、携帯も止まり、日雇いの仕事に何度入ろうとしても一向にシフトに入れず、所持金も1000円を切っていたら。

 私たちが支援の現場で出会うことが多いのは、この状態から「最低限持てるだけのものを持って家を出た」という人たちだ。そうしてフリーWi-Fiのある場所からなんとか見つけ出した支援団体にメールをくれる。しかし、中には住まいを失う前、もしくは失って路上生活をする中で命を絶ってしまう人もいるのだと思う。それほどに、彼ら彼女らと「自殺」は近いと日々感じる。SOSをくれた人を公的支援に繋げた後、必ずと言っていいほど、「これでダメだったら今日自殺しようと思ってました」という言葉を聞くからだ。

 さて、自殺と同時に増えているのが「望まぬ性産業」だ。

 12月8日のHUFFPOSTの記事「新型コロナで、女性たちが望まぬセックスワークに追い込まれている 【イギリス・調査】」では、イギリスの実態に触れられている。慈善支援団体「チェンジング・ライブス」の調査によると、新型コロナウイルスによる生活苦でセックスワークに従事せざるを得なくなっている女性は増え、ロックダウン開始からの4カ月で、売春や性的搾取で「チェンジング・ライブス」に支援を求めてきた女性は83%も増加したという。

 コロナ禍での望まぬセックスワーク従事者について、日本では正確なデータはない。しかし、これだけ多くの非正規女性が職を失う中、増加しているだろうことは容易に想像がつく。店につとめるという形でなく、「パパ活」などの形でやっているとさらに表には出にくいだろう。実際、そのような女性から相談があったこともある。

 生活費のため、学費のため、家族のため、人知れずセックスワークに足を踏み入れる女性たち。コロナがなければ、おそらく性産業と無縁だったろう女性たち。一方、コロナで仕事がなくなり困窮して役所に相談に行った女性の中には、「身体を売れば」と言われたという人もいた。役所はいまだにこんなことを言っているのかと驚愕した。

 そこで思い出すのは昨年4月、お笑い芸人の岡村隆史氏の発言が炎上した件だ。ラジオ番組にて、「コロナの影響で風俗に行けない」というリスナーの声に答える形で「コロナが収束したら、ものすごく面白いことある」「美人さんがお嬢やります」などと発言。当然、大きな批判を浴びた。

 が、それから半年以上。岡村発言は、ある意味で当たってしまっている。

「でも、それで本人が食べられるならいいじゃん」と言う人もいるだろう。しかしそれは、「飢饉が来たら娘を売らねば」みたいな時代の言い分ではないだろうか。天保の大飢饉に襲われた江戸時代の村人が言うならまだわかるが、少なくとも21世紀であるならば、望まぬ性産業以前に手厚いセーフティーネットがあるべきなのである。

 先進国とはそういうことなのである。が、この国にはなぜか「江戸時代の村人」みたいな人がわんさかいる。ちなみにそんな「自己責任論」を「最先端っぽい」と思っている人は多いが、江戸時代が今以上の自己責任社会だったことはあまり知られていない。自己責任を強調する人は、江戸時代のメンタリティーの持ち主であり、時代錯誤もいいところなのである。このあたり、もっと知りたい方は木下光生『貧困と自己責任の近世日本史』(人文書院、2017年)を読もう。

 さて、コロナ禍の貧困は多くの女性を苦しめていることを書いてきた。そんな中、私は渋谷で殺害された女性の報道について、一つ看過しがたいものがある。それは『週刊文春』(2020年12月3日号)に掲載された報道。女性の殺害と加害者について報じた記事の一番最後にその言葉はある。

 それは〈流浪生活の果てに命を失ったOさん(引用者注・名前は仮名にしています)の痩せ細った遺体には、豊胸手術の跡が残っていたという〉という一文だ。引用したくなかったが、引用しないとなんのことなのかわからないので忸怩(じくじ)たる思いで引用した。

 これを読んだ瞬間、私は彼女が死後、侮辱されたような、2度殺されたような気持ちになった。撲殺された被害者でありながらも、こうした身体的特徴が描かれることに心底怒りを覚えた。そこからは、事件の被害者だろうとホームレスだろうと高齢だろうとなんだろうと「すべての女体は俺たちのエンタメ」という男社会のメンタリティーが匂い立つからだ。

 そもそも、この遺体の特徴について、なぜ情報が漏れたのだろう。想像するに、男性警察官が男性記者に言ったのではないか。その時、どんなふうに、どんな口調でその情報は漏れ伝わったのだろう。そしてあの記事が出るまで、どれほどの男性がその情報についてどんな顔で口にしたのだろう。

 女性というだけで、ここまで晒し者になる。女性とホームレスという、二重の差別がそこにある。なぜなら、私たちは今まで一度も「殺された男性の遺体には、包茎手術の跡がありました」なんて情報、聞いたことがないからだ。「頭部に植毛手術の跡がありました」だって聞いたことがない。そのほか、入れ歯とか盲腸の手術跡とかいろんなものがあるだろうけど、「男の肉体」について、そんな情報一度も聞いたことがない。

 デモの日、渋谷の街をキャンドルを持って葬列のように歩きながら、殺された女性のことを考えた。ある女性が掲げていたプラカードには、「彼女は私だ」とあった。「他人事じゃない」。この日、多くの女性が口にした。非正規で働いてきた女性、コロナで仕事を切られた女性たちも多く参加していた。

 このデモを主催した団体の一つは、渋谷・新宿周辺に住む女性ホームレス団体「ノラ 」。多くの人は、女性たちのホームレス団体があることすら知らないだろう。苦しい中だけど、女性たちは助け合って生きている。決して「弱い」だけの存在ではない。

 渋谷の街をキャンドルを持ったデモ隊が歩く光景は、クリスマスイルミネーションとマッチして綺麗だった。だけど、そんなキラキラしたイルミネーション瞬く渋谷の街は野宿者を排除し続けてきた歴史があって、Oさんもそんな渋谷で「排除」された一人だったという事実を思うと、綺麗なイルミネーションが、まったく違ったものに見えてきた。