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内田樹×斎藤幸平「『人新世』の人類滅亡危機にマルクス経済学が必要になる理由」

2021年01月04日 | 生活

AERAdot. 2021.1.3

「人新世(ひとしんせい)」という言葉が注目されている。地球が新たな時代に入ったことを意味するもので、環境危機と人類の文明をとらえ直すなかで広く議論が起きている。関連の著書もある気鋭のマルクス研究者、斎藤幸平氏は「新型コロナウイルスも人新世時代の問題のひとつにすぎない」と指摘する。思想家の内田樹氏とともに、人新世時代の日本と世界を語り合った。

>>前編:斎藤幸平「私たちはコロナ後、元の生活に戻ってはならない」“人新世”とは何か?

* * *

内田樹氏:『人新世の「資本論」』(集英社新書)をはじめ、斎藤さんの著書で「そうそう」と膝を打って同意したところに全部付箋を貼ったら、マーカーとして無意味になるくらいにたくさん貼ってしまいました。この1年、パンデミックによって今の文明社会の脆弱性は誰の眼にも明らかになったなかで非常にタイムリーな警鐘の書だと思います。

斎藤幸平氏:先進国は資本主義の負の部分を途上国に押しつけてきましたが、いよいよ「気候変動」や「パンデミック」という形のしっぺ返しが来るようになったのです。地球上のどこにいても気候変動やパンデミックの影響から逃れられない。それが人新世です。

内田:ええ、新型コロナも文明と自然の関係の歪みの現れです。人間と野生動物を隔てる距離が失われたことから生まれたわけですから。

斎藤:そうさせたのが、利潤を第一に考える資本主義です。

内田:感染症防止の原理だけ考えれば、それはシンプルなんですけどね。感染経路を遮断すること、それだけです。マスクも、ソーシャル・ディスタンシングも、ロックダウンも、すべて「距離をとる」こと。適切な距離をとることの大切さを今回のコロナ禍は教えてくれたと思います。

斎藤:その一方で、これまで日本人が「見ようとしなかったもの」について、もっと距離を近づけて考える必要も明らかになっています。私たちの資本主義の犠牲になっている「グローバルサウス(南半球の発展途上国)」に住む人は、日本に商品を輸出するためにどんな“ゆがみ”を引き受けているのか。国内でも、医療従事者や流通関係者など「エッセンシャルワーカー」に負担を押しつけていることが再認識されました。

生活を支えてくれている人たちと、私たちはもっと心の距離を縮める必要がある。それが、資本主義が持っている負の部分を可視化していくことにつながると思うんです。

内田:気になるのは、世界の若者たちが気候変動問題や格差の解消を求めて積極的に声を上げているのに、日本の若者には動きが見えないことです。11月の世論調査では内閣支持率が一番高かったのは18歳~29歳の年齢層で、支持率80%でした。日本では若いほど現状肯定的という例外的な現象が起きています。

斎藤:気候変動の影響を受けるのは、今後さらに進む地球温暖化の地球を生きなければならない若い世代なのですが……。気候変動の問題では、スウェーデンのグレタ・トゥンベリさん(17)が注目され、彼女たちの活動の影響で欧州では気候変動問題の議論が大きく前進しました。

内田:日本の若い人たちも菅政権を熱狂的に支持しているわけではないと思います。ただ、自分一人が行動することで社会が変わるはずもないという無力感に蝕まれていて、現状肯定以外の選択肢がなくなっている。

斎藤:人新世の時代になっても、いまだに日本人は、自分は勝ち組に残れると思っている。もっとも、こう考えるのは若い人だけではありませんが……。

内田:行動のきっかけになるのは「自分がやらなければ、誰がやる」というおのれの現実変成力についてのいささか妄想的な評価です。自分の運命と世界の運命はリンクしているという現実感覚がないと人はなかなか動き始めることができない。

 気候変動に対する運動も、先人から受け継いだ地球環境を汚し、傷つけたかたちで後続世代に手渡すことは許されないという責任感にドライブされている。でも、そういう使命感や責任巻は「個人の行動から世界が変わることがある」という期待がないと生まれてこない。

 かつては、血縁共同体や地縁共同体のような中間共同体が個人と社会を「つなぐ」装置として機能していました。だから、個人の働きが中間共同体を通じて社会的な広がりを持つということがあり得た。でも、中間共同体が解体し、市民が原子化したことで個人の無力感が深まり、それが社会的な行動を始める意欲を殺いでいるのだと思います。

斎藤:個人は、グローバル資本主義のもとで経済活動を担う“歯車”になってしまった。

内田:中間共同体の解体は私たち自身が選んだことです。地縁や血縁に縛られたくない、自分の思い通り自由に生きたいという人びとの要請に従って、親族共同体も地域社会も終身雇用の企業もなくなった。でも、そういうものを全部壊してしまったら、今度は守ってくれるものが何もない裸の個人が国家権力や大企業と向き合うことになった。

斎藤:それはまさに、カール・マルクスが言っていたことです。資本主義が発展し、人びとが共同管理していた「コモン(共有財)」や「アソシエーション(共同)」が解体され、多くの人の暮らしはむしろ悪化しました。

 「コモン」とは、あらゆる人々が必要としているもの、たとえば水や電力や教育・医療などのことですが、それをみんなで民主的に管理することで、かえって人々は豊かになる。格差や生きづらさを生む資本主義から脱出して、豊かな人間らしい生活が可能になるはずです。

内田:もう一度身近なところから中間共同体を再構築してゆかなければ生きづらさは解消しないと思います。「コモンの再生」という言葉に託しているのはそういうことです。

斎藤:地縁や血縁がなぜつらいかといえば、それは「選べない」からなんですよね。どうしても共同体が閉鎖的になり、抑圧性や排他性を持つ。だからこそ、排他的・抑圧的ではない中間共同体が必要。コモンを21世紀版にアップデートしなければなりません。

内田:世界の成り立ちについての情報も公共財でなければならないと思います。世界について教えるほんとうに重要なアイディアはアクセスフリーでなければならない。私自身はネット上で公開しているテクストはすべてコピーフリーです。私のアイディアを誰かが自分のものとして発表してもらっても全然構わない。大事なのは情報が共有されることなんですから。

斎藤:知識以外にも、公園や図書館、市民電力、共同農地やカー・シェアリングなどいろいろなものをシェアする文化を取り戻す必要があると思います。

内田:先ほど「距離をとる」ことのたいせつさを指摘しましたけれど、危険なものと適切な距離をとることを漢字では「敬」と書きます。「鬼神は敬してこれを遠ざく」という言葉が『論語』にある通り、よくわからないものにはうかつに近かづかず、ていねいに観察し、適切な手順で応接することが身を護るためには必要です。ソーシャル・ディスタンシングのように他者と適切な距離をとることも「敬」ですが、その一方、親族でもなく隣人でもない人たちと中間共同体を構成して、公共的な活動をしようと思うなら、そこにも「敬意」や「慎み」が必要になります。「適切な距離をとること」が人新世の基本的なマナーになるのかなと私は考えています。

斎藤:今は、ネットでつながっているけど、結局みんなバラバラで、孤立していますもんね。人新世の危機が深まるなか、資本主義から地球というコモンを守り、再生するための野心的な試みがますます重要になってきているのです。

(構成/本誌・西岡千史)

※この記事は、2020年11月28日に内田氏が主宰する道場「凱風館」で行われた対談を再構成したものです。

内田樹(うちだ・たつる)

1950年生まれ。神戸女学院大学名誉教授。思想家、武道家。凱風館館長。専門はフランス現代思想、教育論など。近著に『コモンの再生』(文藝春秋)。2021年1月7日に『日本戦後史論』(朝日文庫、白井聡氏と共著)を発売

斎藤幸平(さいとう・こうへい)

1987年生まれ。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。現在は大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。専門は経済思想、社会思想。近著に『人新世の「資本論」』(集英社新書)

※週刊朝日 2021年1月1・8日号掲載記事に加筆


今日の江部乙。

 午前中は少し陽も差したたが、昼頃からまた雪。高速道も美唄-滝川間、吹雪のため通行止め。視界がなくなる前に、おにぎりを食べて帰ってきた。