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高野孟 「一本化」できなかったのは小沢一郎のせい。“政界の壊し屋”が連立政治イロハのイの字も知らぬ大問題

2024年12月03日 | 社会・経済

MAG2ニュース2024.12.03

  by 高野孟『高野孟のTHE JOURNAL』

オールド・メディアで何を訴えても届かず。「新しい政治」をどう築くべきか

「自主・平和・民主のための広範な国民連合」は11月30日都内で全国総会を開き、「現状をどう変え、新しい政治どう築くか」をテーマに討論した。問題提起者として鳩山由紀夫元総理、山崎拓元自民党副総裁、孫崎享東アジア共同体研究所所長、羽場久美子青山学院大学名誉教授らと共に私も招かれ、午後の討論冒頭に20分余りスピーチをしたので、その内容を一部補足しつつ要約する。

口先だけに過ぎなかった野田立憲代表の「政権交代」

「新しい政治どう築くか」とは大きなテーマで、とても私一人で答え切れることではありませんが、とりあえずここが大事だと思うことを3点だけ申し上げたい。

まず大きな柱の第1に、野党、とりわけ野党第一党は旗を高く掲げなければなりません。何の旗かと言うと「政権交代」の旗です。立憲民主党の野田佳彦代表は選挙戦を通じて確かに「政権交代」を何度も口にし、ある場面ではそれをフリップに大書して掲げて見せましたが、私は彼のこの発言は口先だけだと思います。

野党第一党が本気で政権交代を果たそうとするなら、道は2つに1つで、1つには単独過半数を獲得できるだけの候補者を揃えるのは当然として、その当選を確実にするだけの万全の備えをすること。そうでなければ、全ての小選挙区で野党候補を一本化して与党を圧倒することです。野田さんはそのどちらにも取り組まずに、口先だけで政権交代を言ったにすぎませんでした。

名古屋大学名誉教授の後房雄さんはイタリア政治の研究家です。日本とほぼ同じ時期にほぼ同じような選挙制度を導入したイタリアで、1994年の最初の選挙では「メディア王」と呼ばれたベルルスコーニというトランプの先輩のような人が率いた保守連合が勝ったけれども、余りにも寄せ集めの政党連合だったために2年で行き詰まり、96年の2回目の選挙ではイタリア共産党の後身である左翼民主党が中心となった中道左派連合「オリーブの木」が政権を奪い、そのまた4年後の3回目の選挙ではベルルスコーニが再び返り咲いた。

このように、保守側もリベラル側も政党連合を組んで、日本と同じような選挙制度の下で最初から「政権交代のある政治風土」を耕して行ったのがイタリアです。

後教授は書いています。

小選挙区制に相応しい選挙戦略は何かといえば、核心は2大勢力が政党連合によって全ての小選挙区で候補者を統一することである。中選挙区制や完全比例代表制の時代が長く多党制が定着していた国が小選挙区制に転換した場合、ただちに2大政党制が確立することは困難。しかし、事前の政党連合によって、首相候補とマニフェストを統一した上で全小選挙区で候補者を統一できれば、機能的には2大政党制と同様の役割を果たすことができ、有権者が政権選択をすることが可能になる。このイタリアの政党の戦略的行動様式は、日本の政党、特に野党に最も欠けているものである。

(『政権交代への軌跡』花伝社 2009年刊)

ここで「特に野党に欠けている」と言うのは、98年7月の参院選で自民党が大敗し橋本龍太郎首相が辞任し、小渕恵三政権に代わり、自由党(小沢一郎代表)、公明党(神崎武法代表)との「自自公」連立が実現。以後、自由党は離脱するが自公連立は今日まで続いているのに対し、野党側にはそういう政党連合の探求が欠けていることを指している。

もちろん、この選挙制度の下でも野党第一党の単独過半数獲得ということは起こり得るので、2009年9月の鳩山政権がまさにそうだったが、それはむしろ稀というか偶然の重なり合いのような形でしか実現しない。やはりイタリアに学んで毎度、政党連合を組んで政権交代を期すのが本筋ということです。

連立政治のイロハのイも分からない小沢一郎という人

私はまだ小沢一郎さんには少し期待していて、野田代表の下で選挙対策本部長代行に就いたので、水面下で他の野党との連携、選挙協力のための工作を進めているんじゃないかと思っていたのですが、そうではなかった。それで今週の『週刊ポスト』に登場して「どういうわけか、野党が結集して政権をとりにいこうという発想が出てこない。解散総選挙も(野党が候補を)一本化できていたら、もっと勝っていたはずだ」などと語っている。

国民民主玉木代表の「103万円の壁」論では作れない政治の流れ

大きな柱の第2に、戦略を立体的に組み立てて、可視化すると言いますか、国民が一目見て「ああそういう方向に進もうとしているのか」とパッと分かるようにすることが大事です。

これは、今日配布されている『国民の進路』11月の拙稿にも〔また本誌No.1282「自民の事情通が囁く『事実上の森山政権』発言が炙り出した、石破茂政権“大嘘だらけ”の本質を見抜け!」などでも〕書いていることなので、簡略に述べますが、

(1)9月の自民党と立憲民主党の党首選からその直後の総選挙を経て来年7月の参院選までは「ひと連なり」の戦略局面である。

(2)その中心テーマは「安倍晋三政治からの完全脱却」、すなわち第2次安倍政権とそのエピゴーネンにすぎない菅義偉、岸田文雄の12年間を徹底的に総括しそれが残した害悪を完膚なきまでに取り除くことにある。それを成さない限り、この国は先に進むことができないという基本認識を国民が共有できるようにすべきである。

(3)それを具体的に議論していくのは3分野で、

(i)内輪だけで舐め合って利益を貪る縁故主義の政治体質。派閥の裏金問題はその一端で、モリカケサクラと言われながら隠蔽されたままの醜聞、統一教会との癒着なども同根、

(ii)アベノミクスの出鱈目の清算、

(iii)安倍の集団的自衛権解禁、岸田の43兆円防衛費など対米屈従をさらに深める軍拡路線の中止、

である。

(4)これらがある程度まで達成の見通しが立ったところで次の戦略局面に移ることになるが、そこでは、石橋湛山の「小日本主義」を理念にした与野党にまたがる大きな再編も浮上するかもしれない……。

このように全体を組み立てて、例えば裏金問題の究明はこの(i)の入り口として避けて通れないことなのだと位置付けるべきでしょう。今は全体の中のここを取り上げていて、そこを突破すると次にはこうステップアップできるのだというふうに持っていくことができれば、政治の流れを作っていくことができるでしょう。

その反対に、人々にとって受けが良さそうな或る結論だけを持ってきてキャッチフレーズ化し手軽に支持を集めようとするのがポピュリズムで、玉木さんの「103万円の壁」論はその典型と言えるでしょう。

何が「どういうわけか」だ。お前がしっかり働かなかったから一本化ができなかったんじゃないか!まあ結局小沢さんも、93年に8会派をまとめ上げて細川護熙政権を作って55年体制を終わらせたのは凄くて、「小沢神話」が生まれたのですが、今になって振り返ると彼の成功例というのはあれだけだったんじゃないかとも思います。

実際、今度の選挙で、立憲民主党を軸に、例えば維新、国民民主とのいわば「中道右派連合」が出来ていれば、比例得票数を単純に合計しただけでも44.5%で、自公計の39.1%を上回った。逆に立憲が共産、れいわ、社民と「中道左派連合」を組んだ場合でも37.1%で2ポイント足りないけれども、一本化効果が大きいから、やはり自公を上回ったでしょう。こんなことはイロハのイですが、なんで分からないのか。

これと関連して、玉木雄一郎さんなどが口癖のように言うことに「基本政策が一致しなけれ協力はできない」というのがありますが、これは全くの間違いです。そもそも「基本政策」が何を意味しているか不明ですが、例えば共産と組むのに「あそこは日米安保廃棄、天皇制打倒を言っているじゃないか」ということを意味しているのであれば、「そんなことは次期政権の4年間(イタリアの下院だと5年間)の内に成し遂げなければならない喫緊の課題ではありませんよね」という話です。

理念やその直下の基本政策が同じなら一緒の党になればいいわけで、そこがどんなに隔たりがあろうと、当面の課題の2つか3つかで合意ができれば政権が組めるわけだし、次の選挙ではまた別の組み合わせで次の課題で組めばいいわけです。そこに連立政治時代の醍醐味があるということが分からないのですね。

もう1つ、これに関連して、小選挙区制を導入しても「政権交代ある政治風土」は実現しなかったから、中選挙区制に戻すべきだということを言う人がいます。自民党の中にもいるし、公明党は前々からそうですし、最近では国民民主の古川元久が音頭をとって自民、立憲、国民、共産などの50人ほどの議員が新しく「政治改革の柱として衆院選挙制度の抜本改革を実現する超党派議員連盟」を結成したりしていますが、私はこれには反対です。

日本はイタリアと違って、せっかくこの制度を導入しておきながら、それを徹底的に使いこなすことをしてこなかったわけです。「制度を小選挙区制に変えただけではダメだった」と言いながら、その運用についてきちんと検証し総括しないでまた選挙制度を中選挙区制に変えたところで同じことでしょう。

SNSを駆使すればどんな選挙にも勝てる」という“新常識”

大きな柱の第3として、SNSを特に若い世代とのコミュニケーションの手段として重視し、それを積極的に活用するための人材育成やメディア開発に取り組むべきです。

米大統領選挙では、旧ツイッターを買収して「X」と名称変更しただけでなく、これを一層金儲けができる仕組みに次々に改変してきた世界トップレベルの大富豪イーロン・マスクが最大の献金者となり、トランプの周りで飛び跳ねるくらいならまだしも、当選後は政権移行チームの部屋に入り浸り、まるで次期政権の陰の主役であるかのように振る舞っています。SNSが選挙の道具から出世を遂げて政権中枢を乗っ取るのかという姿を示している。

世界中でそういうことが起きていて、11月24日投票のルーマニアの大統領選では、事前には泡沫候補扱いだった親ロシアの極右政党の代表ジョルジェスクが、SNS一本に絞った選挙活動の結果、首位に躍進し、第2位との決戦投票に臨むことになった。当初は有力視されていた現首相は第3位で、決戦に残ることもできませんでした。

日本でも同様で、7月の東京都知事選での石丸伸二=元安芸高田市長の第2位食い込み、11月の兵庫県知事選での斎藤元彦=前知事の再選などまさかの事態が相次ぎ、「SNSを駆使すればどんな選挙にも勝てる」という“新常識”を語る者さえ現れています。

兵庫での立花孝志=N党党首の「当選を目的としない立候補」の場合は、選挙の妨害・撹乱と、その様子をユーチューブで面白おかしく配信して閲覧数を増やし収益を得ることが目的です。これは選挙でのSNS活用とは別次元の話で、こういうものも一緒くたにして「選挙とSNS」を語るのは間違いだと思いますが、それにしても、昨年のある調査によると、若い世代と老年世代のメディア生活は余りに大きく隔たっています。

    ネット  テレビ  新聞

20歳代 275.8分   60.1   0.5

60歳代 133.7    288.3   15.9

20歳代の若者が新聞を読むのは0.5分ということは30秒ですか……。それに対してネットには4.6時間を注いでいます。ということは、我々が昔ながらのオールド・メディアで何かを訴えたところで若い人たちには全く届きようがないわけで、その恐ろしいほどのギャップを立花のような人たちが上手く突いているのです。

そこで我々も政治に、選挙に、SNSを上手に活用することに習熟しなければならない。彼らと同じ次元で、デマやフェイクニュースを流して相手を撹乱し敵対を強めるといったことではなく、そもそもSNSは人間同士の繋がりを深め共感と協働を広げていくことを求めて創られてきた技術なのですから、そういう本源に立ち戻って、その醜い悪用の仕方に立ち向かっていく必要があると思います。

とは言っても、何をどうしたらいいのか私にも分かりませんが、面白いと思って見ているのは、例えばウィキペディアの創設者であるジミー・ウェールズが、イーロン・マスクのX改悪に対抗する形で「トラストカフェ」という、広告も、「いいね」ボタンも、寄付のお願いも、送金ボタンも何もない、ただ人間的信頼感だけを求めて人々が集うような新しい電子空間を生み出そうという試みを始めていて、世界中の人々の注目を集めつつあることです。

Mastodonや、日本で言うとMisskeyのような「分散型SNS」は、Xのように中央集権的に管理されているが故にオーナーの意向次第でカネカネカネへと過度に傾斜して行っても誰も逆らえないことに対する反動として現れてきたもので、こうした新しい発想と技術で真に人間的な共同体を電子的に形成していくことが可能なのかどうか、探究していくべき時が訪れています。

 

(メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2024年11月25日号より一部抜粋・文中敬称略。ご興味をお持ちの方はご登録の上お楽しみください。初月無料です)