生活保護申請で「すみません」と頭を下げ続ける24歳
毎日新聞経済プレミアム 2016年7月13日藤田孝典 / NPO法人ほっとプラス代表理事
貧困は固定化している(3)
大手住宅メーカーの正社員営業職の男性(24)から相談がありました。東京の有名大学を卒業して勤めていましたが、営業職として建築やリフォームの仕事を取ってくるノルマがきつく、2年目にメンタルをやられてしまいました。今は休職中です。
会社には営業職部隊が100人近くいて、成績が悪いと退職を勧奨されることもあるほど競争が厳しかったそうです。一生懸命やっていたのですが、上司に「前月より成績が悪い」「能力がない、辞めろ」というパワハラを受けていました。その結果、ある日の朝起きられなくなり、それから会社に行けなくなりました。
まじめな青年です。がんばって長時間働いていましたが、だんだん疲れてきて。職場では先輩もどんどん辞めていました。先輩のノルマが自分にかぶさり、さらに自分のノルマにも追われ、疲れてしまった。
出身は埼玉県、実家を出て1人暮らしをしていました。「会社に行けなくて休んでます。給料も出ないので家賃を滞納し、困ってます、実家にも帰れないし……」。親にも休んでいることを責められたと言っていました。
「がんばれ」と励まされてもがんばれない
この青年の親世代は50代以上、今の若者の状況をよく知りません。だから「なんで働かないの? がんばらないの?」と責めてしまう。「俺たちは努力して、がんばって、がまんして、10年の下積みに耐えたんだ……」みたいなことを言ってしまう。
すると子供は実家にも戻れません。ブラックな会社でひどい扱いを受け、家族にも理解されない。周囲に味方がいないのは、貧しさ以上につらいことです。
がんばって、みんなが豊かになって、夫の給料で専業主婦と家族を養えた高度経済成長は、わずか30年ぐらいしか続きませんでした。その記憶と成功体験が親世代の心と体に刻み込まれています。今から見ればかなり特殊な時期だったけれど、政治の現場にいる人たちも同じく、美しく輝いた時代だったのでしょう。
今、そのシステムでは社会がもちません。賃金とボーナスはそう簡単に上がりません。会社は非正規雇用を増やして人件費を抑え、正社員の数を減らして1人あたりの仕事を増やしています。中高年の仕事は、昔を懐かしみ若者に精神論を押しつけるのではなく、社会システムをどう変えればいいかを考えることです。
耐えられなかった自分を責める
彼は今、会社と労働組合を通じて団体交渉中ですが、「自分はがまんできなかったし、会社に貢献できなかった。耐えられなくて申し訳なかった」と、今も自分を責めています。さらに、「辞めたら食べていけない」という恐怖感にさいなまれてもいました。この洗脳を解くのは大変です。
「いや、あなた全然悪くないですよ、先輩たちも続かなかったし、早く辞めた方がいいですよ」と説得し、生活保護の受給を勧めました。一時的に生活保護を受け、体調を戻すことが先決なのですが、申請を勧めても信じてもらえません。
「こんな若い僕が、生活保護をもらえるはずがない。本当に受給できるんですか。それ以上に、もらったら申し訳ないじゃないですか」と言うのです。役所に付き添って申請に行ったときも「すみません、すみません」と何度も言っていました。
逃げ場のない状態のまま、無理に仕事を続けると、精神的に抑圧されてうつ病などの精神疾患を発症する恐れもあります。
中小企業の従業員とその家族が加入する健康保険団体「全国健康保険協会」(略称・協会けんぽ、加入者数約3600万人)が、2014年に公表した「傷病手当金受給者の状況について」によると、受給原因でもっとも多いのは「精神及び行動の障害」2万2161件で、全体の25.7%でした(13年データ)。
第1次就職氷河期と言われる98年には5505件でしたから、広い意味での「心の病」で傷病手当金を受ける人が、15年間でおよそ4倍に増えたことになります。
心と体を壊す前に、使える制度を知っておく
うつなどになって仕事を休み、収入がなくなった人は、条件が合えば健康保険から傷病手当金を受け取ることができます。原則、収入の約6割にあたる金額を最長で1年6カ月間受け取れる制度ですが、あまり知られていません。
傷病手当金について
一度病気になると復職まで長い時間がかかります。つらい仕事を必要以上にがまんしない、病気になりそうなら早めに休んで傷病手当金を申請するか、きっぱり仕事を辞め、生活が苦しい場合は生活保護など諸制度をうまく使って、心と体の健康を取り戻すことが大事です。
今回、生活保護を申請した24歳男子は、窓口の担当者に「とりあえず保護をもらって、暮らしを立て直してください。早く働けるようになるといいですね」と励まされ、ぼろぼろ涙をこぼしました。
「そんな優しいことを言ってもらったの、初めてです……」
失職寸前“うつ28歳女性”を救った傷病手当金
毎日新聞経済プレミアム 2016年8月3日 藤田孝典 / NPO法人ほっとプラス代表理事
傷病手当金(1)
病気やけがが思わぬ休職、離職につながり、経済的困窮を招くことがあります。そんな時、健康保険でカバーされる「傷病手当金」制度が使えます。
「生活保護申請で「すみません」と頭を下げ続ける24歳」でも紹介しました。あまり知られていないこの制度の仕組みと使い方を紹介します。
朝起きられず、会社に行けなくなった
ある金曜日の朝、美大を卒業し、服飾デザイン会社で働く女性(28)から相談電話がありました。
「月曜日の朝、突然起きられなくなって、会社に行けなくて……休んで5日目です。来週も行けなさそう。こんなこと初めてで、困ってしまって。大事なイベントを2週間後に控えているんですが、どうしたらいいでしょうか」
社員30人ほどの事務所で、デザイナーとして服やアクセサリー、帽子のデザインを担当。20代のため、上司やベテラン社員から仕事がたくさん降ってきて、毎日早朝から深夜まで働きづめ。
モデルとの打ち合わせや衣装合わせ、イベント企画、雑用などの長時間労働が常態化していて、休みは日曜日だけ。家には寝に帰るだけの生活が3年続いている−−。
起きられなくなった日の前の週、モデルとの打ち合わせがうまくいっていないことを先輩にきつくしかられ、悩んでいたそうです。まずは病院で受診することを勧めました。長時間労働と仕事のプレッシャーは、心因性疾患の原因の一つだからです。 精神科の診断は「うつ病か不安神経症の疑い」でした。
長時間労働とプレッシャーでうつに
その後、事務所にやってきた彼女に改めて話を聞きました。東京都区部の出身で、仕事場に近い港区の家賃14万円のマンションで1人暮らし。給与は残業込みで月額約36万円。両親は離婚し、母親も働いている。何かあっても頼れない。身長155センチ、ショートカットの美しい人で服装のセンスも抜群なのに、表情がなく、暗く重苦しい雰囲気で、病気や将来への不安感を全身から発していました。
その時点で有給休暇は3週間近く残っていました。ほとんど休まないで働きづめだったのです。「体に症状が出たということはかなりたいへんなことだから、とりあえず1カ月ぐらいは休んで、体調を落ち着かせましょう」と勧めました。
しかし、彼女は会社にそう伝えることをためらいました。そのことで戦力外通告され、辞めていった人がたくさんいたからです。また、休んで収入がなくなることも恐れていました。そこで、傷病手当金を使うことを提案しました。
標準報酬日額の3分の2を最長1年6カ月給付
傷病手当金は、業務外で病気になったりけがをしたりしたとき、治療や症状を落ち着かせる間の報酬を保障する制度です。休んで収入が途絶えても、1日あたり標準報酬日額の3分の2が、最長1年6カ月給付されます。会社の健保組合か、協会けんぽの健康保険に加入していればだれでも使えます。
収入途絶を恐れてがまんして働き続け、病状が悪化することを回避するために、多くの人に知ってほしい制度です。ただし、業務上の理由によるけがや病気は、労働者災害補償保険(労災保険)の対象なので、傷病手当金は使えません。
まず、加入している会社の健保組合か協会けんぽ(全国健康保険協会)に相談します。給付条件は(1)業務外のけが、病気であること(2)療養のため仕事ができない状態(労務不能)であること(3)4日以上仕事を休んでいること。休み始めから3日間は「待期期間」で、手当金は支給されない(4)休んでいる間給与が支給されていないこと−−です。
確定診断書があれば申請は難しくありません。毎月支払っている健康保険料で医療費補助と生活保障を目的とする制度であり、要件を満たしたときは必ず支給しなければならない「絶対的必要給付」なので、利用をためらう必要もありません。
デザイナーのこの女性の症状が業務によるものかどうかは、診断時点では分かりません。もし業務上の理由で発症したのなら労災にあたりますが、その認定には時間がかかります。そこで、まずは有給休暇を消化し、その後傷病手当金の給付を受けながら療養する方法をとりました。
会社に退職勧奨されても簡単に受けてはいけない
もし会社から「病気なら辞めてくれ」と言われても、すぐ受け入れてはいけません。「役に立たないのだから仕方がない」「私の病気で職場に迷惑をかけている」と思わないでください。\
そのような職場の空気に縛られる人が多いのですが、一度辞めると簡単には転職できません。収入をキープし、回復と復職のチャンスを待つために、この制度を使ってほしいのです。
彼女は有休消化後に傷病手当金を申請し、半年ほど休職しました。月額約19万円の給付で家賃と治療費をまかないました。復職に向けた慣らし出社を経て、今は仕事量を減らし、服薬しながら働き続けています。