~社会問題化した背景から振り返る
大内裕和(武蔵大学人文学部教授)
Imidas連載コラム2023/06/27
学校の先生が足りない――そんな悲鳴が全国から聞こえるほど、日本では教員不足が依然として深刻です。2023年5月、この問題の解決を政府に求める緊急集会が国会内で開かれ、教員増員や処遇改善を求める提言が発表されました。
遡ること22年1月、文部科学省は「『教師不足』に関する実態調査」の結果を公表しました。この調査は67の都道府県・指定都市教育委員会と大阪府豊能地区教職員人事協議会の計68機関を対象としており、全国を網羅しています。21年度の公立学校の始業日時点と5月1日時点について調査が行われました。
その結果、始業日時点における教師の不足数は小・中学校2086人、高等学校217人、特別支援学校255人の計2558人となっています。そして5月1日時点では小・中学校1701人、高等学校159人、特別支援学校205人の計2065人でした。
23年5月、教員や研究者らによる「#教員不足をなくそう緊急アクション」が、全国公立学校教頭会の協力を得て、教員不足についての調査結果を発表しました。小学校1243校と中学校542校から回答を得たこの調査では、小学校の20.5%、中学校の25.4%で教員が不足しているとの結果が出ました。各地の副校長、教頭が任意で回答した調査なので、教員不足で困っている学校ほど積極的に声を上げたことは想像にやすく、実際より高めの数字が出ている可能性はあります。それにしても、かなりの数の小・中学校が回答していますから、教員不足が深刻な状況になっていることは明らかです。
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それでは教員不足に困っている現場は、どのように対応しているのでしょうか?
教育現場での対応で、まず目立つのは「臨時免許状」の活用です。臨時免許状とは教員免許の一つで、普通免許状を持つ人を採用できない場合に限り、各都道府県の教育委員会が教職員検定合格者に3年間の期限付きで交付できる助教諭免許です。この臨時免許状の交付数が増加しています。NHK WEB特集「教員確保の“切り札” 『臨時免許』増加のワケは?」(2023年5月)の取材調査によれば、22年度の臨時免許状の交付数は1万572件に達し、正確な記録が残っている12年以降、最も多くなったことが分かりました。
次に、教員免許を持っていない社会人にも、教員採用試験の受験を認める動きが広がっています。埼玉県は24年度の公立学校教員採用試験において、民間企業等で5年間の本採用勤務経験がある人を対象とした「セカンドキャリア特別選考」を新設しました。これによれば、教員免許がなくても教員採用試験を受けることが可能となります。また、東京都では40歳以上を対象に、教員免許なしで教員採用試験を受けることができる「社会人特例選考」を22年度から導入しました。さらに23年度からは、この年齢要件を大幅に引き下げて25歳以上とし、対象を拡大しています。
並行して教員採用試験の前倒しも進められています。東京都では23年度から1次試験の教職教養と専門教養を、大学3年次等から受験できるようにしました。富山県でも24年度から小学校教員採用試験(一般選考)の1次検査が大学3年次に受験可能となりました。川崎市では23年度から、大学の推薦を得た3年生を対象に小学校教員採用試験の特別選考を新設し、事実上の内定が決まる2次試験の結果を同年の10月中旬に発表予定としています。
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この臨時免許状の活用、教員免許なしでの採用試験受験の容認、採用試験の前倒しは、いずれも教員不足を解消するために進められている政策と見ることができます。しかし、これらの政策は教育現場にとって、望ましいものと言えるでしょうか?
臨時免許状の活用は、教育の質を引き下げる危険性が高いと思われます。例えば先のNHK WEB 特集では、小学校の教員不足に対し、中学校や高校の教員免許取得者に臨時免許状を交付するケースが多いとありました。しかし中学校や高校の教員免許取得者はほとんどの場合、特定の教科を教える免許だけを持っています。そんな人が小学校の先生となって、さまざまな教科を十分指導するのは容易ではないでしょう。また、中学校や高校の教員に採用されたとしても、本来教えられる教科以外を教えるのは、専門性の点から疑問符が付きます。
教員免許なしでの採用試験受験の容認も、問題が大きいと言えるでしょう。社会人経験があるだけでは、教員として必要な知識や能力などの条件を満たすことにはなりません。本制度では埼玉県、東京都ともに、合格後2年以内に教員免許を取得することが条件になってはいます。その2年間で、大学の教職課程と同レベルの育成ができるかどうかには大きな疑問を感じます。
教員採用試験の前倒しはおそらく、教員採用の決定が一般企業の内定時期よりも遅いことから、試験日程を少しでも早めることで教員志望者を確保することが狙いでしょう。しかし、この政策も弊害が予想されます。4年制大学での教職課程は、2年次から本格的にスタートすることが多いのです。1年次には一般教養課程として語学や各学部ごとの必修科目を中心に履修するため、教職課程の科目を多く履修することはカリキュラム上困難です。もしも3年生で教員採用試験を受けるつもりなら、教職課程の履修が始まったばかりの2年次から試験対策を始めるというスケジュールになりかねません。それでは採用試験の準備に追われて、本来学ぶべきさまざまな科目をじっくり学ぶことができなくなるおそれがあります。
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こうした私の意見について、「教員不足がこれだけ深刻なのだから、人数を揃えるためにはやむを得ない政策だ」と考える人もいるでしょう。確かに、学校で学ぶ子どもたちにとって「先生がいない」というのは「あってはならない」深刻な事態ですから、教員を確保するための緊急措置が一定程度求められることは間違いないでしょう。
しかし、臨時免許状の活用、教員免許なしでの採用試験受験の容認、採用試験の前倒しなどの政策は、すでに述べたように教育現場に悪影響を与える危険性こそあれ、教員不足を根本的に解決する術にはなり得ません。なぜなら、これらの政策は教職課程や教員免許の価値を引き下げるものに他ならないからです。
現在の教員不足に至った要因は、給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)による不当な待遇や、部活動の過熱等による労働環境の過酷化、政治や社会からのバッシングがもたらした「教員という存在」「教育という仕事」に対する価値の低下にありました。09年に導入され短期間で廃止となった「教員免許更新制」という愚策も、教員に対するバッシングを原動力として成立したことは記憶に新しいところです。
将来の社会の担い手を育てる必要性は感じていても、「教員」や「教職」の価値がないがしろでは、意欲を持ってこの仕事に就こうという人が増えることはないでしょう。これまで述べてきた、教員の人数を揃えるためだけに教職課程や教員免許の価値を引き下げるような政策に依存することは、長期的にはますます教員志望者を減らし、教員の質の低下や教員不足を深刻化させる危険性が高いと思います。
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この問題を考えるうえで、最近とても参考になる本に出会いました。朝日新聞の編集委員をつとめる氏岡真弓さんの著書『先生が足りない』(岩波書店、2023年4月)です。本著ではこの問題を長期にわたって取材してきた著者によって、教員不足が生み出された社会的背景が丁寧に考察されています。
私が注目したのは、11年1月10日付の朝日新聞記事「先生欠員 埋まらない」に対する反響です。この記事は1面トップに掲載されたにもかかわらず、読者からの反応はほとんどなかったそうです。この反響のなさについて氏岡さんは、当時不足していたのが正規教員ではなく非正規教員だったからではないか、と推測しています。正規教員が病気や出産で休んでも、その穴埋めをする非正規教員がいないことが問題点であったため、教員不足の社会問題化が遅れたと論じます。
また教員不足が社会問題となるのが遅れた別の理由として、教員の労働問題ばかりがクローズアップされて、子どもが学ぶ権利の問題として捉える視点が弱かったことも挙げています。子どもにすれば「先生がいない」ということは、学ぶ時間、育つ時間そのものが奪われていることを意味します。そのことの重大さを、周囲の大人たちが十分に認識してこなかったことが社会問題化を遅らせ、事態を一層深刻化させたと氏岡さんは考察しています。
同書を読むことで、教員不足問題の構造的要因を多面的に考えることができました。非正規教員の不足を報じた記事への反響のなさは、日本社会に深く浸透している非正規雇用労働者への差別意識を示しているようにも思えます。
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2000年以降、公教育予算を削減する新自由主義政策として、当時の政府与党や財界支配層が進めた義務教育費国庫負担制度の改悪や国立大学の法人化は、正規教員を減らして非正規教員に依存する状況を生み出しました。それが今日、教育の不平等を促進したばかりでなく、教員の不足をももたらしたとなれば、強く批判されなければなりません。加えて、非正規教員の増加に対し、社会的抵抗が十分に行われたかどうかも検証する必要があると思います。コスト削減という名目の下、社会の側に非正規教員への依存を「やむを得ない」と受け入れてしまった面があったなら、そのことも問い直さなければなりません。
誤解しないでいただきたいのですが、私は非正規教員そのものを否定的に捉えているのではありません。さまざまな事情で非正規職を選んでいる人もいますし、正規教員と全く遜色ない教育実践をされている人が多数いらっしゃることもよく知っています。ここで言いたいのは教育予算削減のために正規教員採用を抑制し、非正規教員依存の状況をつくり出してきた教育政策の瑕疵(かし)と、それを受け入れてきた社会意識への批判です。
氏岡さんがおっしゃるように、教員不足を「子どもが学ぶ権利の問題」として捉えることも重要です。公教育、特に義務教育では、すべての子どもの「学ぶ権利」を守ることが必要ですから、教員不足という現在の状況は教育の危機――そして将来の担い手を育成する条件に欠落が生まれているという点では、日本社会の重大な危機を示していると思います。
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教員不足に対する今の政策は、前述したように単に不足人数を揃えるための「数合わせ」であり、教育現場に悪影響を与える危険性があるばかりでなく、教員不足を引き起こしたこれまでの政策への反省を欠いています。この「数合わせ」政策は、「低コストで人数を揃える」という点では、非正規教員を増やしてきたコスト削減政策とよく似ています。
コスト削減によって非正規教員依存の構造をつくり出し、正規・非正規を問わず教員の労働環境の過酷化に歯止めをかけてこなかったことが、教員免許取得者における採用試験受験者数の減少、教員免許そのものの取得者数減少といった事態を引き起こし、ついには「子どもの教育を受ける権利」を保障できない事態にまで至っている現実を、政府や地方公共団体はもっと真剣に受け止めるべきです。
教員不足を解消する「数合わせ」のために、教職課程や教員免許の価値を引き下げることは間違いです。教職課程で学び、教員免許を取得した学生たちが希望を持って教員を志望できる労働環境の整備を早急に行い、「教員という存在」や「教育という仕事」の価値を引き上げる努力を開始することが、日本社会に強く求められています。
日付が変わるころから☂の予報だったが寝る前にはまだ降りそうもなかった。
朝、目が覚めて雨の音も聞かなかったなあと思いながら外を見るとアスファルトがかすかに濡れていた。
霧雨が空中を漂ったレベルである。
少し離れた畑も同じようなレベルであった。
午後からの☂マークもなくなってしまったが、時折黒い雲が近づいてきて期待させるのだが、無残にも打ち砕かれるのである。
明日も昼から☂マークがついているが、どうだろう?
明日は札幌に行ってきます。
私たちの世代が現役だったころから、学校現場は大変でした。
わたしは身体を壊してしまって、早期退職をしました。
ひとりの教員の仕事量が多すぎます。
ひとクラスの人数を20人台にしてほしかったです。
そして教員の採用数を増やし、複数の教員が一学年のみんなを見るという形がいいと思います。
なんでも安上がりにしようと言うのは、大きな間違いです。
なんでもかんでも、「コスト」を追求していった現代の歪みなんですね。
人手不足の原因は、適正な給与も貰えず、社会的地位も低く見られて
尚且つ「価格競争」の下に重労働を強いられ、夢も希望も持てない職種
だからなのではないでしょうか。
もう、全ての仕組みをリセットしなくてはいけないのでは?