「東京新聞」<社説> 2021年10月15日
衆院が解散された。総選挙は十九日公示、三十一日投開票の日程で行われる。コロナ禍で傷ついた暮らしの立て直しに加え、長期にわたる「安倍・菅」政権で危機的状況に陥った民主主義の再生が厳しく問われる選挙となる。
衆院選は二〇一七年十月以来、四年ぶり。この間、首相は安倍晋三氏から菅義偉氏、先月の自民党総裁選を経て岸田文雄氏に交代した。問われるべきは岸田政権が打ち出した政策にとどまらず、自民党の政権復帰後、九年近くの「安倍・菅政治」そのものである。
安倍元首相と、それを支え、後を継いだ菅前首相の政権が進めた政治の特徴は、敵か味方かに分けて、敵は徹底的に退け、味方には便宜を図る「分断政治」である。
合意形成の努力をせず、反対意見には耳を傾けず、説明をも拒む「独善的な政治」である。
◆主権者軽視する政治
政治主導に名を借りて、権力や権限を振りかざす「力の政治」、国会や政府内での議論の積み重ねを大事にせず、憲法や法律を軽んじる政治、国民の代表である国会を大事にしない政治、突き詰めて言えば、主権者を軽んじる「国民軽視の政治」である。
そうした政治は官僚に政権中枢への忖度(そんたく)を強い、森友・加計両学園や「桜を見る会」を巡る問題、財務官僚による公文書改ざんを引き起こした。歴代内閣が継承する「集団的自衛権の行使」を違憲とする政府解釈を勝手に変え、安全保障関連法の成立を強行した。
日本学術会議の会員人事では、政権に批判的な学者の任命を拒否して理由を説明していない。
野党が憲法に基づいて臨時国会の召集を要求しても拒み続けた。
岸田氏は「政治の根幹である国民の信頼が崩れている。わが国の民主主義が危機に瀕(ひん)している」と訴え、総裁・首相に就いた。「丁寧で寛容な政治を行い、国民の一体感をしっかりと取り戻していきたい」と語るのも、安倍・菅政治が民主主義を傷つけ、その転換が必要だと考えたからだろう。
その問題意識は私たちも共有する。民主主義の危機を訴えた岸田氏の首相就任は、分断政治の転換を図る契機になるはずだった。
しかし、現状では落胆を禁じ得ない。岸田氏は首相就任後「民主主義の危機」に言及せず、民主主義を危機に陥らせたはずの決定は放置し、再調査にも消極的だからだ。これでは安倍・菅「亜流」とみられても仕方がない。
岸田氏は国民との対話を積み重ねると言うが、民主主義を大きく傷つけた根源的な問題に迫り、改善策を講じなければ、危機を克服できないのではないか。
選挙戦では各党、候補者が、民主主義をどう立て直すのかを競い合い、有権者に判断を仰ぐしか、再生の道はあるまい。
経済政策も同様である。安倍・菅政権は大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の三つの矢からなる「アベノミクス」を進めた。
しかし、2%の物価目標を達成できず、経済格差を拡大させ、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う経済情勢の悪化にも、機動的に対応できなかった。
◆「分配」も重要争点に
岸田氏が掲げた「新しい資本主義」は重要な問題提起と受け止めたい。一部の大企業や富裕層だけが潤い、国民生活を疲弊させた新自由主義的な経済政策の転換に異論はない。ただ、問われるべきはどんな経済社会をつくるのか、それをどう実現するのかである。
選挙戦では経済立て直しはもちろん、格差是正のための「分配」政策を重要争点に位置付けたい。暮らしに困窮しないことは、基本的人権を保障することであり、民主主義の基盤だからだ。
立憲民主党は「分配なくして成長なし」と分配を優先し、自民党は「成長なくして分配なし」と成長の成果を分配に充てるとする。同じような主張に見えても、優先順位には明確な違いがある。
各党や候補者が練り上げ、公表した公約や主張は膨大かつ多岐にわたり、違いを見極めるのは忍耐を要する作業ではある。
しかし、政権の枠組みを決めるのは政界の実力者や一部の政党支持者ではなく、私たち自身にほかならない。そして私たち新聞は、有権者の選択に資する情報提供に努めたいと思う。独善的な政権の再登場を許さず、私たちの民主主義を再生するために。
初雪。昨日の記事にしようと思っていたが忘れてしまった。まだ霜が降りていないのに雪が先になってしまった。「出勤」途中、近くの山も薄っすらと白くなっていたのでもう近いなあ、と思っていたらその日に降ってきた。まだ積もるような量ではない。
山ぶどうを収穫。
今年は少ない。昨年の半分だ。干ばつの影響だろう。粒も小さい。
園内のようす。