「東京新聞」<社説>2021年9月27日
難民認定申請の棄却を告げた翌日、外国人男性二人を強制送還した入管の対応を東京高裁が違憲と断じた。今年三月の女性収容者死亡事件でも、入管はその人権侵害体質を厳しく批判された。抜本的な組織改革は待ったなしだ。
再び入管行政の暗部が断罪された。この訴訟の原告であるスリランカ人男性二人は、二〇〇〇年前後に日本に入国。難民不認定処分を受けた後、処分への異議を申し立て、仮放免許可を得ていた。一四年に許可更新のため、東京入国管理局に出頭した際、申し立ての棄却を告げられ、翌日、チャーター便で強制送還された。
二人はその後、処分取り消しの訴訟を起こす時間的余裕を与えられなかったとして、国に賠償を求めて提訴。一審判決では請求を棄却されたが、二十二日の東京高裁判決は、入管が「憲法で保障された裁判を受ける権利を侵害した」と判断し、国に賠償を命じた。
原告側弁護団によると、外国人の強制送還をめぐって違憲判決が出たのは今回が初めてという。
異議申し立ての棄却は告知の四十七日前に決まっていたが、判決は「訴訟を起こす前に送還するため、あえて告知を遅らせた」と入管の脱法的な行為を指弾した。
男性二人は祖国で迫害を受ける恐れを訴えていた。こうした人びとの送還は国際法上の原則に反する。だが、チャーター便での集団送還を計画的に遂行するため、入管は恒常的にこうした「だまし討ち」的な手口を駆使してきた。
今年一月にも同様のケースで、名古屋高裁が入管の対応を違法とする判決を示した。だが、違憲とまでは踏み込まなかった。今回の違憲判決は当然とはいえ、画期的であり、入管の非人道的な行為を抑制する効果が期待される。
国際的な人権水準に則した入管行政への改革が不可欠だが、入管に自浄能力があるとは思えない。
名古屋市の入管施設での収容者死亡事件では、亡くなった女性を写した監視映像の一部が遺族の妹二人に開示されたが、入管は遺族が求める代理人弁護士の同席を拒み、全面公開も避けている。保安上の理由などを挙げるが、合理性はなく、全容解明を恐れての一時しのぎと考えざるを得ない。
国は入管改革のための独立した第三者委員会を設けるべきだ。大胆にメスを入れねば、日本の人権への評価は地に落ちかねない。
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日本の入管はなぜ難民・外国人に冷酷なのか? その「歴史的」理由
「警察行政のDNA」の影響とは 〈より一部抜粋〉
日本の入管はなぜ難民・外国人に冷酷なのか? その「歴史的」理由(五野井 郁夫) | 現代ビジネス | 講談社(2/4) (ismedia.jp)
五野井 郁夫
日本の入管が持つ「警察行政のDNA」
なぜ日本の入管は、これほどまでに難民申請者らに対して敵対的なのだろうか。それの一因は入管という組織の来歴に淵源しているともいえる。以下、日本の入管行政を足早に振り返ってみよう。
戦前、日本の入国管理は、警視庁や各都道府県の特別高等警察(特高)と同様に内務省が所管しており、警察行政の一環として入国管理が行われていた。
1945年の敗戦にともない、占領軍によって内務省は解体された。それにともない特高警察も解体されたものの、おもに大日本帝国内での市民だった朝鮮人や外国籍の者たち、そして共産主義者らを取り締まっていた官僚たちの多くが公職追放を免れたことで、戦後の初期から出入国管理業務に携わる部署の一員として引き続き雇用されることとなった。
これについて国際法学者の故大沼保昭は、敗戦直後の占領期に出入国管理体制に携わった人々からのインタビュー調査を行っている。
調査の結果、入管業務従事者とその周辺のかなりの部分が旧特高関係者で占められており、とりわけ在日朝鮮人らに対する強い偏見や差別観をもち、入管業務対象者に対してはつねに公安的な発想で接していたことが、明らかとなったという1。
戦後初期の入管担当者に聞き取りをした故大沼の表現を借りれば、旧大日本帝国の植民地下にあった在日韓国・朝鮮人、台湾人に対する管理と差別意識がそのまま「外国人と日本国民の間に差別があるのは当然」という形で正当化され、また悪名高い戦前の特高警察が主要な担い手であったことから「戦前の感覚」が存在して、引き継がれたというのである2。
会社と同様に各省庁にもそれぞれ組織文化が根付いており、体質として戦後の長い間、組織内で何らかの形で温存されてきたとしても、それはとくに不自然なことではないだろう。
特高警察が、まだ生き延びているんですね!
ドイツのように、反省して古いものを捨てることができなかったから、そうなったんですね。
山添さんのことは、ほんとにひどいと思います。
権力の乱用を許さない!
憲法を守れ!