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大崎事件 「再審認めず」は汚点だ

2023年06月06日 | 事件

「東京新聞」社説 2023年6月6日 

 大崎事件で殺人罪などで服役した原口アヤ子さんに再審が認められなかった。他殺とする客観証拠すら不十分で被害者は事故死との鑑定もあるのに、再審の扉を開かない判断は不合理ではないか。
 冤罪(えんざい)は刑事司法であってはならないことだ。無実の人を罰する不正義と、真犯人を取り逃がす不正義が起きる。ぬれぎぬを晴らすまで何十年もかかり、その人生を奪ってしまう不正義もある。
 鹿児島県大崎町で一九七九年に男性遺体が見つかった大崎事件は、親族の原口さんら四人で男性を絞殺したとされる。だが、客観証拠がほとんど存在しないという希有(けう)な事件でもある。
 原口さんも捜査段階から一貫して「無実」を訴えている。それでも福岡高裁宮崎支部は五日、再審を認めなかった。共犯者とされた原口さんの親族の「自白」に寄りかかった判断といえよう。
 だが、この親族らはいずれも知的障害などがあり、取り調べに迎合しがちな「供述弱者」だった。彼らは厳しい取り調べの結果、虚偽の「自白」をしたことを告白し、原口さんに謝罪もしている。
 目撃者とされる別の親族の供述も不確かなはずだ。弁護側による供述鑑定では、不自然な点が何点も浮かび、ほころびがある。裁判所は「自白や供述が相互に補完し合い強固」というが、いずれも「供述弱者」なら捜査側に迎合した結果とも受け止められる。
 被害者は事件当日、朝から酒に酔い、自転車で側溝に転落し、道に横たわっていたところを夜になって近所の二人に自宅に運び込まれた。弁護側は今回、その時点で既に死亡していたという救命救急医の鑑定を出していた。
 そもそも事件当初の法医学者の鑑定も「他殺を想像させる」程度のあいまいさだった。かつ被害者が側溝に転落した事実を知らされず、後に「他殺か事故死か不明」と変更されてもいる。
 だから過去に三回も地裁・高裁で「再審開始」の決定があったのだ。そのたびに検察が不服を申し立て、最高裁が再審開始を取り消したのは二〇一九年のことだ。これに対しては法学者や法曹関係者から厳しい批判が相次いだ。
 「疑わしきは被告人の利益に」の原則は、再審にも認められる。これを忘れたかのような、今回の「再審認めず」の判断は司法の逆行で、汚点に見える。
 
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「再審の扉」はなぜなかなか開かないのか?──冤罪被害にあう可能性は誰にでもある

再審法改正を考える

鴨志田祐美(弁護士)

Imidasオピニオン 2023/06/05

再審開始決定のニュースを聞くたびに、どうしてそんなに時間がかかるのだろう? 冤罪の可能性のある裁判をなぜもっと早く見直せないのか? と疑問に思う。第4次再審請求においても福岡高裁宮崎支部が即時抗告を棄却(2023年6月5日)して、またもや裁判のやり直しが認められなかった「大崎事件」。この事件が起きたのは1979年だ。大崎事件再審の弁護人・鴨志田祐美弁護士に、日本の再審制度について聞いた。

日本の「再審法」条文は、大正時代につくられたもの

──2023年3月、1966年に起こった「袴田事件 」の再審開始決定が大きな話題になりました。この事件で最初に再審請求が出されたのは1981年ですが、それ以外にも、数十年にわたって再審請求が続けられている事件は少なくないと聞きます。なぜ再審そのものでなく、「再審を開始する」こと自体に、これほど時間がかかるのでしょうか。

 まず根底にあるのは、制度面での問題です。私たちもよく「再審法改正を」という言い方をしているのですが、正確には「再審法」という法律は存在しません。刑事訴訟法の第四編「再審」のところに19の条文があって、これが再審の手続きについて定めた法律のすべてです。刑訴法全体で500以上の条文があることを考えれば、いかに少ないかがわかるのではないでしょうか。

──なぜそんなに少ないのでしょう?

 実はこの条文は、大正時代につくられた旧刑事訴訟法の条文が、ほぼそのままなのです。

 戦後、日本国憲法が公布され、刑事訴訟法もその理念に合わせるための全面改正が行われたのですが、再審を含む上訴から先の手続きについては改正が間に合いませんでした。それでも、すでに終戦から3年以上が経っており、新しい法律に急いで切り替えなくてはということで、見切り発車で新刑訴法が施行されてしまったのです。

 だから、再審手続きについての条文は、旧刑訴法の条文がほぼそのままスライドする形になりました。そして、その旧刑訴法というのは、職権主義といって、裁判所がさまざまなことを裁量で決めて手続きを主導できる、言ってみれば何でもやりたいようにやれるという立て付けのもとでつくられていた。何でも裁量で決められるのだから、具体的な手続きを定めた条文はもともと、ほとんどなかったのです。

 現在の刑訴法445条には、裁判所が再審請求の理由について事実の取り調べをできると書かれていますが、手続きについての記述はほぼそれだけと言ってもいい。どんなふうに証人喚問をやるのか、裁判期日をどう定めるのかなどについても、まったく何も書かれていないのです。

──近年、司法制度改革が謳われ、刑訴法改正も何度か行われていると思いますが、再審手続きに関する部分は改正されてこなかったのですか。

 一度もされていません。つまり、100年以上前につくられた条文が、ほぼそのまま使われているということになります。

 旧刑訴法の時代、刑事裁判というのは「国家の威信をかけて、政府が悪人を捕まえて処罰するためにやるもの」でした。だから、「裁判所の判断が間違っていたからやり直しましょう」なんていう国家の沽券(こけん)に関わるようなことは、よほどのことがない限り認められなかった。その考え方に基づくルールがそのまま残っているのですから、なかなか再審開始が認められず、時間がかかるのも当然だと思います。

「開示されない」証拠が、再審開始の鍵を握る

──では、その刑訴法のもとでの再審請求手続きには、具体的にどんな問題があるのでしょうか。

 まず大きな問題が「証拠開示」についてです。おそらく誤解している方も多いと思うのですが、刑事裁判においては、検察が収集した証拠のすべてが裁判所に提出されるわけではありません。検察は、自分たちに有利な──つまり有罪を立証するのに有利な証拠のみを提出すれば足りることになっているのです。

──逆に言えば、有罪立証に不利な証拠は提出されないし、裁判官はすべての証拠を見て判決を出しているわけではないということですね。

 はい。そして、そうした「提出されなかった証拠」の中に、冤罪を疑わせるような証拠が隠れていて、それによって再審開始、無罪となったケースがいくつもあります。もともとの証拠とは無関係に、最新のDNA判定によって冤罪が明らかになった「足利事件」のようなケースもあるにはありますが、非常に例外的です。

 だから、再審請求の際、弁護側はなんとか提出されていなかった証拠の開示を求めようとします。ところが、実は再審請求の場合、検察がどんな証拠を持っているのか自体を知る手だてがありません。

 通常の裁判においては、2016年の刑訴法改正で、証拠一覧表の交付制度が始まりました。それを見れば、収集された証拠の内容がある程度はわかるので、「リストの何番にあるこの証拠を出してください」と言えるのですが、再審請求にはそうした規定もないのです。

──どんな調書があるのか、どんな鑑定結果があるのかもそもそもわからないということですか。では、どのようにして開示を求めるのでしょう?

 供述調書や捜査報告書などをもとに「こういう証拠があるのではないか」と推測していくのです。たとえば「この調書に『以前もお話ししましたが』という供述がある、ということはその「以前」にあたる調書があるはずだ」とか、「こっちの調書によれば、こういう名前の証拠があるはずなのに見当たらない、請求しよう」とか……。証拠の「痕跡」をたどり、ジグソーパズルのピースを一つひとつはめていくような作業を、涙ぐましい努力で繰り返していくわけです。

 ところが、さらに大変なのは、開示請求をしても自動的に証拠が開示されるわけではないということです。

──請求されたら、証拠を「出さなくてはいけない」というわけではないんですね。

 そうです。そして、検察が自主的に開示することはまずありません。裁判所に開示勧告をしてもらって、ようやく渋々出してくるという感じなのですが、この開示勧告も「出さなくてはならない」という条文があるわけではない。だから、やる気のある裁判官ならどんどん勧告をしてくれるけれど、ない裁判官はなかなか動いてくれません。裁判官の質や、やる気によって再審への道のりが大きく変わってきてしまうわけで、私はこれを「再審格差」と呼んでいます。

 最初にお話ししたように、再審については細かい手続きが条文で定められていないので、「裁判官の裁量」に委ねられる部分が非常に大きいんですね。やれないわけではないけれど、やらなくてもお咎めはない、問題にはならない……。そのことが、証拠開示などを「やる必要はない」という、裁判官の言い訳に使われてしまっているように感じます。

──そうすると、いくら開示請求をしても、いっこうに証拠が出てこないということもあり得る……。

 たとえば袴田事件では、第一次の再審が棄却されるまで約27年かかっているのですが、その間、なんと一つも証拠開示がなされませんでした。第二次再審になってようやく重要な証拠が開示され、それが再審開始にもつながったのです。

 控訴審のとき、犯人が犯行時に着用していたとされるズボンを袴田さんが実際に穿いてみるという「着用実験」が行われたのですが、なんとそのズボンは袴田さんには小さすぎて入らなかった。でも、検察側は「タグに(太った人向けのサイズである)Bというサイズ表記があるからおかしくない、ズボンは犯行後に味噌樽に隠されていたので、味噌に漬かって縮んだのだ」と主張し、この主張がそのまま認定されて確定判決に至りました。ところが、第二次再審では、このズボンを製造した業者が「Bはサイズではなく色を示すもの」だと説明している調書があったことが明らかになったんですね。

──「ズボンは穿けなくても有罪立証には影響ない」という、検察側の主張が完全に崩れてしまうわけですね。

 こんな証拠が最初から開示されていれば、いくらなんでも再審開始までに40年以上かかるようなことはなかったのではないでしょうか。

 そもそも、証拠というのは捜査機関が国家権力を背景に、私たちの税金を使って集めた、いわば公共財です。カナダでは最高裁が「証拠は検察官の所有物ではなくて、私たち国民が正義を知るために使うべき公共財である」という判決を出しているそうですが、日本ではその「公共財」を出すことを検察が拒み、最終的には裁判所のさじ加減によって開示の是非が決まってしまう。そしてそれが、再審開始に至るかどうかを決めてしまうこともあるわけで、あまりにもおかしいと思います。

検察官による「即時抗告」は許されるのか

──また、袴田事件では、2014年にも一度再審開始決定が出ましたが、18年にそれが取り消されてしまっています。こうした、「開始決定が出ても取り消されることがある」というのも、再審開始に時間がかかる原因ではないでしょうか。

 検察官の「即時抗告」によるものですね。ようやく再審開始決定が出たと思ったら、今度は検察官による不服申し立てが待っているわけで、非常に理不尽だと思います。

 戦前の刑訴法では、いったん無罪になった人が再審で有罪とされる「不利益再審」、つまり被告人の不利益となる形での再審が認められていました。しかし戦後、これは憲法39条が定める「二重の危険禁止」(同じ犯罪に対する無罪判決後の二度目の訴追、同一の犯罪に対する複数の刑事処罰を禁じる)に反するとして禁止されたのです。戦前から「ほぼ改正されていない」再審に関する条文の、唯一の例外でした。ということは、現行法における再審とは、「無実の人が間違って有罪にされてしまったのを正して無罪にする」、すなわち冤罪を晴らすためにこそ存在していると言えるでしょう。

 そもそも、再審請求に至るまでには、地裁、高裁、最高裁の三審があって、検察官はそこで主張すべきことはし尽くしているはずです。であればむしろ、再審においては検察庁法4条にある「公益の代表者」として、再審の目的である「冤罪から無実の人を救済する」ために裁判所に協力することこそが、検察官の役割ではないのかと思います。

──もし、検察が「いや、やっぱり有罪だ」と思うのであれば、それはそれとして再審の法廷で中身を争えばいいと思うのですが、そうではなく「再審開始」自体に不服を申し立てるのは、どうしてなのでしょう?

 よく言われるのが「法的安定性」という言葉です。三審制のもとで確定した判決をそんなに簡単にひっくり返してしまっては、裁判という仕組みそのもの、司法に対する国民の信頼そのものを揺るがしてしまうと言うんですね。私にはまったくそうは思えないのですが……。

──むしろ、先ほどお話しいただいた袴田事件の証拠隠しのようなことが行われていることのほうが、「法的安定性」を損なうように思います。

 そうなんです。検察は「法的安定性」をマジックワードのように使うけれど、実際のところは「決まったことをひっくり返したくない」「過去の間違いを正すようなことはしたくない」ということなのではないでしょうか。個々の検察官に考えを問えばまた違う答えが返ってくるのかもしれませんが、組織としてはそういう力学が強く働いていると感じます。

冤罪に巻き込まれる危険性は、誰にでもある

──鴨志田さんは日本弁護士連合会「再審法改正実現本部」の本部長代行を務められていますが、具体的な「改正」の内容として求められているのは、今お話しいただいた2点でしょうか。

 はい。捜査機関が集めた証拠すべてを開示されるようにするためのルールをつくることと、再審開始決定に対する検察官の不服申し立てを禁止すること。何しろ100年以上前の条文ですから、いろいろ他にも変えなくてはいけないところはあるのですが、まずはこの2点が優先課題だと考えています。私が担当している大崎事件をはじめ、再審請求をしている本人や、死後再審の当事者になっている遺族が高齢化しているケースも多い。今すぐにでもこの2点を変えて、再審が認められやすいようにしないと、時間切れになってしまう可能性もあります。

 袴田事件に関する報道などを見ていると、ともすれば議論が、袴田事件だけ、袴田事件に関わった裁判官や検察官が悪かっただけというふうに矮小化されがちだと感じます。でも、冤罪事件、再審開始までに何十年も費やされた事件はこれまでにいくつもある 。それだけ繰り返されるということは、明らかに個々人のスキルやレベルの問題ではなく、システム自体のエラーでしょう。その事実を正面から受け止めて、制度改革につなげようという動きがないままここまで来てしまったことが問題なんです。

 何もしていない無辜(むこ)の人物が、間違って逮捕されて有罪判決を受けて、もしかしたら死刑になってしまうかもしれない。なんとか死刑を避けられても、無実を証明するのにまた何十年もかかって、人生丸ごと奪われてしまう。そんなことが何度も繰り返されているような国が民主主義国家、ましてや先進国と言えるでしょうか。そして、そうした冤罪に巻き込まれる可能性は、すべての人にあるんですよね。冤罪被害者が自分や自分の大事な人だったらどうだろうか、という想像力を持ってみてほしいと思います。

──ちなみに鴨志田さんご自身は、どうして「再審」の問題に関わり続けてこられたのでしょう?

 再審事件というのは国選弁護人制度もなく、関わる弁護士は基本的には手弁当なので、「やればやるほど赤字」というのが実情です。それでも続けてきたのは、「知ってしまった以上、知らなかったころには戻れない」という思いに尽きますね。

 私が弁護士になってすぐのころから担当している大崎事件 では、夫の弟を殺したとして有罪判決を受けた(原口)アヤ子さんは一度も自白すらしていません。罪を認めていないんです。それなのに、周りの人たちの証言などから引っ張り込まれて有罪にされてしまった。しかもその周りの人たちは、知的障害がある、いわゆる「供述弱者」でした。彼らが狭い取調室で責め立てられたら、言われたとおりに「はい、はい」と頷くことしかできなかっただろうというのは、私にも知的障害のある弟がいるので、手に取るようにわかります。

 私は、司法修習でたまたま、その大崎事件の第一次再審弁護団長がいる事務所に配属されたことで、アヤ子さんの置かれた状況を知ることになりました。その「圧倒的な理不尽さ」に触れ、何もしないではいられないと感じたのが関わりの始まりです。

 しかも、ここまでアヤ子さんを苦しめてきたのは司法の過ち、司法の罪なんですよね。海外では第三者機関が誤判救済を担う場合もありますが、日本ではそうはなっていない。司法の過ちは、司法に携わる者にしか正せないんです。無実の人を救うために最初に声を上げられるのは弁護士しかいないわけで、だったら弁護士としてはやるしかないよね、という思いもあります。

──袴田事件の再審開始決定で、「再審」問題に注目が集まる今、法改正は実現できるでしょうか。

 もちろん、道のりは厳しいと思います。今までの動きを見ても、法務省や検察庁、いわば権力側が、「過去の過ちを認めて、正していく」ということに、とても消極的なのは明らかです。

 でも、だからといって絶望したり、「しょうがない、あきらめよう」と言って済ませたりしてしまうわけにはいきません。私たちはこれからもこの国で生きていくし、その中ではまた同じように苦しむ人が出てきてしまうかもしれない。それを防ぐためには、声を上げ続けないといけないんです。

 そして、状況を変えていけるのは世論だけです。「いつ誰が何十年も冤罪に苦しむかもしれない、そんな怖い国には安心して住めない」という声が大多数になれば、国会だって動かざるを得ません。その意味では、十分とは言えないにしてもこの問題に注目が集まっている今は、千載一遇のチャンスだと言えます。この機会を利用しきれなかったら、また忘れ去られていってしまうかもしれません。そうならないために、ふだん法律とは縁がないというような人にこそ、「これっておかしくないですか」と声を上げてほしい。強くそう願っています。


園のようす。
次々と咲く花。

ベニバナイチヤクソウが見頃です。



 



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1 コメント

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Unknown (nerotch9055)
2023-06-11 22:21:20
こんばんは。
再審に際して、こんな大正時代のカビが生えたような法律のまま、そして
検察の威信のせいで冤罪がそのまま見過ごされるのは、残念でなりません。
いろんな「歪み」が、この歪な国を作り上げてしまったのでしょうか。
(・・;)
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