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命の危機に、さらに不安をあおる総理。

2021年01月15日 | 生活

デイリースポーツ 2021/01/14 20:32

内田樹氏

 神戸女学院大学名誉教授で思想家の内田樹氏が14日までにツイッターに投稿し、菅義偉首相が13日に会見した際、「国民皆保険」の見直しの言及したともとれる発言をしたことに「意味不明です」と疑問符を付けた。

 内田氏は「感染症は全住民が等しく良質な医療を受けられるシステムがなければ制御できません(それがないからアメリカは世界最多の感染者と死者を出し続けている)。『国民皆保険の見直し』というのは『金がないやつは病院に来ないようにすれば医療崩壊は起きない』ということなんでしょうか?意味不明です」とツイートした。

 菅首相は会見で医療法などの改正の可能性について問われ、「医療法について今のままで結果的にいいのかどうか。国民皆…皆保険。そして多くの皆さんが、その診察を受けられる今の仕組みを続けていく中で、まあ、今回のコロナがあって、まあ、そうしたことも含めてですね、もう一度検証していく必要があると思っています。それによって必要であればそこは改正していく」などと述べた。


 先日ブロ友さんの記事にそんな記載があったので氣にしていた。今、そんなことを検討するときか⁉もう政権交代したほうが早い。この人に殺される前に。


雨宮処凛がゆく! 第545回:命の危機でも生活保護を拒む人たちと、増える自殺者。

2021年01月14日 | 社会・経済

 2021年1月13日

  マガジン9 https://maga9.jp/210113-1/

 怒涛の年末年始が終わったと思ったら、東京を中心とした一都三県は二度目の緊急事態宣言となった。

 多くの飲食店が悲鳴を上げ、飲食の仕事にあぶれた人々は日雇い派遣に殺到し、そうなるとそれまで日雇い派遣で働いてきた人たちがシフトに入れなくなり、ネットカフェ生活も維持できなくなる。昨年3月から感染者が増えるたびに繰り返されてきたことだが、国にはそんな不安定層の現実はまったく見えていないようで、ここにはなんの手当てもない。

 東京都は住まいがない人へのホテル提供を2月7日まで延長したが、当事者にどれほど届いているかも未知数だ。「新型コロナ災害緊急アクション」に届くSOSは、今回の緊急事態宣言前からかなり増えている。すでに野宿という人も多く、寒さが耐えられないという悲鳴に胸が痛む。支援者が駆けつけるが、同様の人は増えるばかりだ。

 そんな中、年末年始に東京・大久保公園で開催された「年越し支援・コロナ被害相談村」の詳しいデータが出た。

 前回の原稿で紹介したデータは閉村の日に発表したものだが、以下はその後、集計をして出たもの。

 それによると、相談件数は12月29日、30日、1月2日の3日間で344件。男性280件、女性61件、不明・その他3件。外国人は24人。国籍はエチオピア、ベトナム、バングラデシュ、フィリピン、ミャンマーなど。3日間で合わせて約400セットの食料品が配布された。

 相談者の年代別は、40代がもっとも多く22%。ついで50代21%。30代と60代がぞれぞれ16%。

 相談の種類としては、もっとも多いのが「生活」で50%。ついで「食事」で19%。その次は「仕事」の13%、「住居」の9%が続く。

 衝撃的だったのは「住まい」に関してのデータ。相談者のうち、住まいが「あり」と答えたのは47%。対して45%の人が「なし」と回答したのだ。

 また、のちのフォローが必要と思われる75件のうち、電話がある人はわずか37件であることも判明した。ということは、すでに38人が携帯が止まっている状態。

 「ここまで携帯が止まっている人が多いとは」。実行委員のメンバーも驚く数字だった。確かに、「新型コロナ災害緊急アクション」にSOSメールをくれる人々も約半数がすでに携帯が止まっているかもうすぐ止まるという状態。よってフリーWi-Fiのある場所でしか連絡がとれないことが支援の壁となり、本人にとっては携帯番号がないことが仕事や不動産契約の壁となってしまう。

 そんなふうに携帯が止まり、すでに住まいを失い野宿生活、そして全財産も1000円を切っているのに、「生活保護だけは受けたくない」という人が多かったのもこの年末年始の特徴だった。前回も少し触れたが、そんな状態で使える制度は生活保護制度くらいしかないので提案するも、「生活保護だけは嫌だ」と頑なに首を横に振る人が多いのだ。時には「自分はそんな人間じゃない」と怒り出してしまう人もいる。

 一方、それほど抵抗はないけれど、親や兄弟に知られるのが嫌だからと申請をためらう人もいる。生活保護を申請すると、「扶養照会」といって家族に連絡がいくのだ(虐待やDVがあったりするとされない。また、長いこと音信不通だったり、親が高齢だったりするケースもされない場合がある)。これが生活保護申請の大きな壁になっているのだが、では、「あなたの息子さん/親が生活保護の申請に来ているが面倒をみられないか」と言われて、どれほどの人が「面倒をみます」となっているのか。

 ここに貴重な数字がある。困窮者支援に奔走する足立区区議会議員・おぐら修平氏によると、2019年、足立区で生活保護新規申請世帯は2275件。うち、扶養照会によって実際に扶養がなされたのはわずか7件で1%以下。照会したところでほとんどが「無理」と答えているのである。事務的な手間を考えても照会しないのが合理的ではないだろうか。

 この扶養照会について、せめてコロナ禍だけでも省略するよう求めているのだが、今のところ変化はない。

 もうひとつ、生活保護を忌避する理由として多いのは、「一度申請したことがあるが、相部屋のひどい施設に入れられたので逃げ出してきた、あんな思いだけはもう勘弁」というものだ。支援者が同行せずに路上から生活保護申請をした場合、劣悪な無料低額宿泊所など貧困ビジネスの施設に入れられてしまうことも多い。支援者が同行し、交渉すればそのような施設を回避してアパートに転宅する道筋をつけることができるのだが、一人で行くと、生活保護の「入り口」で、ある意味「地獄を見る」ようなことになってしまうのだ。

 路上生活が長そうな人であまりにも生活保護を拒否する場合、話を聞くと大抵このような施設に入れられてしまった経験がある。公的福祉に繋がることによってひどい経験をし、それがトラウマになって公的福祉を拒絶する人々を大量に生み出しているなんて、それはセーフティネットとは到底言えない、まるでわざと「福祉なんてこりごり」という思いを刷り込んでいるかのようではないか。

 さて、生活保護を拒む理由としてそれよりもダントツに多いのは、生活保護そのものへの抵抗感だ。

 「生活保護を受けるくらいなら死んだ方がまし」「やっぱり、イメージが悪い」「抵抗がある」「なんとか生活保護だけは避けたい」

 そんな言葉を聞くたびに、2012年、この国に吹き荒れた生活保護バッシングを思い出す。芸能人家族の生活保護利用を発端に自民党議員が繰り広げたバッシングだ。

 あのバッシングは、今、住まいもお金もなく、3日食べていないなど「命の危機」にさらされている人たちに強固に作用し、当人を殺しかけている。そんな事実を、当時バッシングを主導した自民党議員はおそらく知りもしないだろう。

 ちなみに、私たちも無差別に生活保護を勧めているわけではない。前回も書いたように、使える制度がそれくらいしかないから勧めているのだ。住まいがなければ仕事も見つからない。生活保護を利用すれば転宅費も出てアパート入居ができるから、まず安定した住まいを確保するために利用したらどうか、そうして働いて収入が上回れば保護を廃止すればいいのでは、と提案しているのだ。なぜなら、このまま放置すれば餓死する可能性が高いから。

 もちろん、中にはそのような説得が功を奏して「申請します」となることもある。しかし、それでも首を縦に振らない人たち。「もう少し自力で頑張ってみます」「炊き出しをまわりながら、なんとか生活立て直します」。大きな荷物を持ち、疲れ果てた顔でそう言う人の姿を見るたびに、やっぱり浮かぶのは生活保護バッシングをした自民党議員たちの顔だ。「生活保護を恥と思わないことが問題」などの発言を繰り返した片山さつき氏、フルスペックの人権を否定するような発言をした世耕弘成氏。あなたたちの言説はコロナ禍の今、呪いの言葉となって困窮者たちを縛り、命を危険にさらしていますがどう思いますか? そう問いたくなってくるのは私だけではないだろう。

 しかし、怒ってばかりいても仕方ない。私が今望むのは、あの時、生活保護バッシングを繰り広げた議員たちが、今こそ当時の言説を否定してくれないかということだ。あの時はそう言ったけれど、コロナ禍は災害のようなものだから、困窮は決して本人だけのせいではないから、どうか恥などと思わずに生活保護を利用してください。バッシングをした人たちが率先して言ってくれたら。そう望むのはあまりにも愚かなことだろうか。しかし、それで救える命は確実にあるのだ。

 この年末、厚労省は、「生活保護の申請は国民の権利です」と打ち出した。また、1月7日には全国に「生活保護申請をためらわせることがないように」という通知も出している。

 しかし、それだけでは足りないのだと思う。「権利」と言われて響く人は、もうとっくに利用している。いくら権利と言われてもためらってしまう人たちを動かす言葉は、ある意味でこれまでのバッシングを超えるような力強いものだと思うのだ。それを私はいまだに発見できていないことが歯がゆい。生きる方向に、制度利用の方向に動かすほどの力のある言葉。

 「今までたくさん税金払って支えてきたんだから、今度は〇〇さんが少しくらい支えてもらったっていいんじゃないんですか?」

 年末年始、何度も口にした。少しだけ、気持ちが揺らぐ瞬間が垣間見えたけれど、彼ら彼女らのその後はわからない。携帯が止まっているから、連絡がとれない。

 さて、そんなふうに生活保護について延々と書いてきたのは、昨年末、悲しい事件が相次いだからだ。

 まずは11月28日、小田急線の玉川学園駅で、50代の娘と80代の母親が特急列車に飛び込んだ事件。親子は数年前からお金に困っていたようで、近隣住民にお金を借りていたという。駅の防犯カメラには、列車に飛び込む一時間ほど前から二人がホームを往復し、何度も飛び込もうとしてはためらう姿が記録されていた。

 一方、12月11日には、大阪市港区のマンションで40代の娘と60代の母親が遺体で発見されている。二人は餓死したとみられ、母親の体重はわずか30キロ。冷蔵庫は空で、水道やガスも止められ、所持金はわずか13円だった。親子は昨年春頃から困窮し、次第に追い詰められていったようだ。

 どちらのケースも、生活保護を利用していれば命を失うことはなかったと思われる。なぜ、親子は特急列車に飛び込むほどに、そして餓死するまでに追い詰められたのか。公的福祉に助けを求められなかったのか。もし持ち家だったとしても、自分が住んでいて二千数百万円以下であれば問題ない(住宅ローンがある場合は別)。車があったとしても通勤や通院に必要と認められれば受けられる。

 「福祉を利用すればよかったのに」。このような事件が起きた時だけ、一瞬そんな声が大きくなる。が、今の日本は「安心して生活保護が利用できる国」ではないとも思う。「受けたくない」という人の声を聞くと、「バッシングが怖い」「バレたらどんな目に遭うかわからない」というように、世間のバッシングへの恐怖も耳にする。もちろん、バッシングは2012年以前にもあった。しかし、08年から09年にかけての年越し派遣村ではそこまで抵抗が強くなかったことを思うと、やっぱりどうにも悔しいのだ。

 さて、ここで前述した、コロナ相談村に訪れた人々のデータを振り返りたい。

 私がもっとも驚いたのは、相談に訪れた女性が全体の18%だったことだ。

 年越し派遣村の時は505人中、女性は5人。ということはわずか1%。それが2割近くにまで増えたのだ。この結果を受けて現在、女性に特化した支援体制を作ろうと女性たちで動き始めている。

 緊急事態宣言は今のところ2月7日まで。状況はこれからさらに深刻になるだろう。なぜなら、貯蓄額によって困窮に至る時期に時差が出るだけの話で、これからさらに貯金が尽きる人が出てくるからだ。

 その上、今年の年度末には大量の非正規解雇が起きるのではと言われている。3月末、次の危機が来る可能性があるのだ。

 年末年始支援が終わったと思ったら、次は年度末に向けた支援の準備。その間にも、年末年始に出会った人々へのアフターフォローや役所への同行がある。もう一年近くこんなことをやっていると思うと、時々いつまで続くのかと怖くなる。

 最後に。

 私が生活保護バッシングについてしつこく書くのは、生活保護が必要なのにためらう人を増やすことは、自殺者を増やすことに繋がると思うからだ。

 昨年4月、生活保護申請者は前年同月比で25%増となった。困窮者支援の現場感覚で言えば、それからコンスタントに増え続けることが予想されたものの、その後落ち着き、9月に2ヶ月ぶりに増加したが、それほど増えてはいない。

 代わりに昨年後半から急増したのは自殺者だ。特に女性。

 命を守るはずの政治が、弱い立場に追いやられた人々の命を奪うなんて、そんなこと、絶対にあってはいけないのだ。


 今日は暴風雪、時折真っ白に覆われるホワイトアップ状態。出かける予定もあったのだが取りやめ、家で雪かきに励む。これからも、もう1回やらねばならぬ。


中小企業を見殺し…菅政権「持続化給付金」15日に打ち切り

2021年01月13日 | 生活

日刊ゲンダイ2021/01/13

    7日に発令された「緊急事態宣言」。夜8時までの時短営業を“要請”された飲食店には、とりあえず1日6万円の協力金が支給される。しかし、時短営業を“呼びかけられた”だけの映画館や劇場、ゲームセンターやボウリング場などは、一切、協力金が支給されない。さすがに「不公平だ」「このままでは潰れる」と怨嗟の声があがっている。

「映画館やゲームセンターも、いずれ自主的に時短営業に踏み切ることになるでしょう。街から人が消えたら、商売にならないからです。政府は『夜8時以降の不要不急の外出を控えて欲しい』と国民に訴え、小池都知事は『飲食店以外の施設も協力をお願いしたい』と平然と口にしていますが、協力金も払わず、協力だけしろとは、本来、おかしな話です。政府も都も、カネを払いたくないのでしょう。正式に時短営業を“要請”し、協力金を払うべきです」(商業施設関係者)

    実際、緊急事態宣言の発令によって、打撃を受けるのは飲食店だけではない。しかも、菅政権は、中小企業支援のための「持続化給付金」と「家賃支援給付金」を、15日の期限をもって予定通り、申請受け付けを終了する方針だ。中小企業に対する政府の支援は途絶えることになる。「持続化給付金」と「家賃支援給付金」は、制度に欠陥もあったが、それなりに企業倒産を防いできた。「緊急事態宣言」が発令され、本当は上乗せが必要なのに、打ち切るとは狂気の沙汰だ。倒産が続出しかねない。経済評論家の斎藤満氏が言う。

    「期日がきたから支援策を打ち切るとは、政府はなにを考えているのでしょうか。もし、財源が足りないのなら、第3次補正予算と2021年度予算を組み替えて財源を捻出すべきです。補正予算も本予算も、デジタル化関連など“アフターコロナ”の事業に巨額な予算をつけている。いま優先すべきは、ポストコロナではないでしょう。感覚がズレています」

    ツイッターでは、「#二回目の現金一律給付を求めます」がトレンド入りしている。前回の「緊急事態宣言」発令では、全国民に一律10万円が配られた。どうして、今回は支給しないのか。菅政権は、いますぐ予算を組み直すべきだ。


 生産性の低い零細・中小企業を潰してしまいたい政府。また、生産性の低い老人や弱者も潰したいように医療費窓口負担・介護保険料の増額を図る。こんなコロナ禍の不安な時に「国」は突き放す。「老人革命」の時か?いやいや、「コロナ革命」だ。

 今日は午前中の3時間ばかりプラス気温となった。プラス気温と言っても1℃位だったが、それでも屋根雪は巨大な音を立てて玄関先まで転がり落ち、雪囲いをした窓にも強烈な圧力がかかり、窓辺に置いたA&Uの簡易アンテナ(2Kg以上はある)が吹き飛ばされた。またガラスが割れたか、とヒヤッとした。これから玄関先に落ちた重い雪をかたずけに行ってきます。


2021年「南洋材時代」の終焉迎えるか

2021年01月12日 | 自然・農業・環境問題

YAHOOニュース 1/9(土)

田中淳夫 | 森林ジャーナリスト

 日本が輸入する南洋材の53%(2019年)を扱う合板メーカーの大新合板工業株式会社が、2021年3月末に会社を解散するというニュースがあった。現在の工場にあるパプア・ニューギニア産の丸太は、1月下旬に使い切る見通しだという。

 これが意味するのは、おそらく日本製の南洋材合板は今後消えることだ。

 かつて日本で外材と言えば南洋材だった。東南アジアや南太平洋の熱帯ジャングルからと伐り出された直径2メートルを超すような大木が大量に輸入された。

 実は21世紀に入ると日本の南洋材輸入は激減して、木材需要の1割に満たず、丸太に限れば1%以下になっていた。それでも外材と言えば今も南洋材とか(樹種名である)ラワンと言われがちなのは、かつての南洋材時代のイメージが強く残るからだろう。

 だが、いよいよ日本の「南洋材時代」は、終焉を迎えたようだ。

 私的には、ちょっと感慨深い。私が初めて訪れた海外がボルネオ(マレーシア)で、熱帯雨林の伐採を見たのである。その後もフィリピン、パプア・ニューギニア、そしてソロモン諸島と、日本の南洋材輸入先をずっと見てきたからだ。

 もともと熱帯雨林に憧れて海外に足を運ぶようになったのだが、そのジャングルで超巨木が伐採されているのを目にした衝撃は今も焼きついている。しかも、伐られた木のほとんどが日本に輸出されていた。これが私の森林ジャーナリストとしての原点だ。

 戦後の日本の木材需要は、外材に支えられてきた。量的には米材(アメリカ、カナダ)や北洋材(ソ連・ロシア)も少なくないが、目立ったのは熱帯地域から輸入される南洋材だった。

 おそらく目を見張るような大木が多かったことと、単に輸入したのてはなく商社などが直接現地で伐採を手がけるなど日本人の関与が大きかったためではないか。

 そして1980年代後半以降、日本は熱帯雨林を壊す国として海外から強い批判を受けたのも、南洋材輸入が桁外れに多かったからである。 実際に87年には、世界の木材貿易のうち丸太の約5割、製材の約1割、合板の約2割を日本が輸入していた。だから世界中の熱帯雨林破壊に関わっていると言われたのである。

 そして木材自給率は20%を切るまでに落ちて外材に頼っていたのだ。(現在は37%まで回復。その理由の一つに国産材による合板製造がある。)

 最初の南洋材はフィリピンのラワン材だった。50年代より始まったが、それを伐り尽くすと、70年代にはインドネシアとマレーシアのメランティ材に向った。どちらもフタバガキ科の大木である。今でも南洋材を十把一かけらに「ラワン」と呼ぶことがあるが、このころの名残だろう。

 同時に伐採反対運動も世界的規模で盛り上がった。ボルネオ(マレーシア)の森で暮らす先住民が、伐採反対を訴えて林道にバリケードを築いて抵抗した事件も頻発した。それが世界中に報道された。私も、そうした現場や彼らの村を訪れたことがある。

 なぜ、南洋材はこんなに求められたのか。一つは日本では手に入らないような大木で、しかも安かったことだ。そして、それ以上に材質が合板に向いていた。

南洋材の多くは合板、それもコンクリート型枠用合板(コンパネ)に加工された。大径木で歩留りがよく、年輪がないなどつくりやすい。節がないことから強度も強くなり、コンパネにもってこいだったのだ。

 転機は92年前後だろう。森林の減少が問題となり、ブラジルで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)で行われたリオデジャネイロ宣言と「森林原則声明」も採択された。ここに森林の危機とその保護原則が盛り込まれたのだ。

 前後してインドネシアなどは、丸太輸出を禁じて製品(合板)輸出に切り換えた。自国内で加工することで産業育成するとともに、資源的に大木は枯渇しつつあったからだ。かつては直径1~2メートルあった丸太が大量に使われていたのに、今や60センチ以下が普通になっている。あきらかに熱帯雨林から大木が減り劣化してきたのだ。

 2018年には、これまで主流だったマレーシアのサラワク州(ボルネオ)が、伐採規制に乗り出した。伐採税を17倍程度に引き揚げ、輸出割り当ても減らした。さらに南洋材の「最後の砦」と言われるパプア・ニューギニアも、昨年2月に関税を大幅に上げた。また25年に50%禁輸を行うという。これが南洋材輸入を諦める決め手になったのだろう。
ボルネオ奥地上空。伐採のため林道が網の目に入れられ森林はズタズタになっている。

 また近年のSDGs(国連の持続可能な開発目標)の普及などで、木材調達(伐採)が合法的に行われているか、そして持続的な森林経営かが問われるようになってきた。南洋材の多くが合法性を疑われているので調達しづらくなったはずだ。

 アフリカや中南米からも輸入されているが、量的にはわずかだ。しかも、これらの地域も規制を強めている。残された南洋材を扱う国内メーカーも原料の安定的な調達ができなければ諦めざるを得なくなる。

 使われる合板もスギやカラマツなど国産の針葉樹材を使った合板が45%を占めるまでになっている。

 もちろん、合板は製品輸入が多い。とくに日本で使われるコンパネの9割はマレーシア産とインドネシア産である。だから日本で南洋材合板がなくなるわけではないが、そもそも南洋材資源の枯渇と、価格の高騰が続く。これらの国々も、やがて合板製造を縮小せざるを得なくなるだろう。

 しかしコンパネは南洋材のものが一番いいという声は強い。そもそも平均10回程度使い回せる南洋材合板に対し、針葉樹合板は5回程度で使えなくなる。

 一方で原料の針葉樹は、多くが植林された人工林から調達されており、天然林主体の南洋材とは違う。しかし人工林なら環境に優しいとも言えない。どちらが資源や環境保全に有効かは難しいところだ。

 また木材調達のための伐採は抑えても、今ではオイルパームのプランテーション開発による森林伐採は強まっている。上記の写真の奥に見える裸地部分はプランテーションを造成しているようだ。そして、そのパーム油も日本は多く輸入しているのである。

 ともあれ、南洋材を巡る戦後日本の歴史が変わろうとしている。今年は、その節目のような気がする。

田中淳夫森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、そして自然界と科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然だけではなく、人だけでもない、両者の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『森は怪しいワンダーランド』『絶望の林業』(新泉社)など多数。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』あり。最新刊は『獣害列島』(イースト新書)


 東京オリンピックのメイン会場には国産材が使用されているらしいが、その建設過程にはどれだけのコンパネが使われたのだろうか?そしてジャングルに張り巡らされた道路の写真を見ると恐ろしさを感じる。


成人の日に考える おとなの階段、のぼる

2021年01月11日 | 生活

2021年1月11日「東京新聞」社説 

 

 新しい年を迎えるという高揚感の希薄なモヤモヤした年末年始。GO TOなのか、BACK TOなのか。GOだとすれば、どこへ向かえばいいのだろうか。

 迷いに迷って成人の日の直前に発出された緊急事態宣言。新型コロナ第三波の影響は首都圏にとどまらず、一生に一度の式典も、多くのまちで中止や延期を余儀なくされました。

 そうでなくても、かつては一月十五日に固定されていた成人の日が、ハッピーマンデー、つまり三連休をつくる目的で毎年動かされることになったと思ったら、いつの間にやら、十八歳から選挙権が持てるようになっていた。

 そして来年からは、成人年齢自体も十八歳に引き下げられることになるという。

 それこそ、おとなの都合に振り回されて、「おとなになる」ということの意味付けや、「二十歳」という年齢の位置付け自体があいまいになりつつあったところに、このコロナ禍です。

 「今日からはおとなとしての責任と自覚とを持って…」とか言われても、例えば、多人数での会食を自粛するよう、あれだけ唱えておきながら、高級レストランに堂々と集う内閣総理大臣とセレブたち。何を信じて、誰の背中を追えばいいのか−。いつにも増して、けじめをつけがたい成人の日ではないのでしょうか。

 いつ晴れるとも知れないモヤモヤの中で今日を迎える新成人に、せめてはなむけの言葉をと、名古屋を拠点に活動する書家でタレントの矢野きよ実さんに、したためていただきました。

 「黙るより 叫んだほうがいい」=写真。二〇二一年の書き初めになりました。

 人と会えない、集まれない、大声を出してもいけないという今だからこそ、心の中で叫んでみよう。メールや手紙を書くのもいい。書をしたためてみるのも、もちろんいい。「つらい」「さびしい」「会いたい」「わからない」「がんばってるよ」…何でもいい。

 「心の中にたまったものを一度吐き出してみれば、きっと次のステップに行けるはず。私自身がそうでした」と、矢野さんは言いました。

 そして「おとなとこどもの境界なんて、もともとあいまいなものだと思うんです」と。

 洋品店を営む父親が多額の借金をつくり、学費のためにモデルを始めたのは、高校一年の時でした。授業が終わると制服のままスタジオに飛び込み、カメラの前で笑顔をつくる毎日でした。

◆「味方だよ」と言える人

 学校と仕事場の往復に明け暮れていた矢野さんが、初めて「おとな」を意識したのは、十八歳の時のこと。父親が他界して洋品店を手伝うことになり、六歳で始めた書道を「やめたい」と師匠に申し出ました。すると師匠は一本の筆を差し出して「何か書いてごらん」と言うのです。

 「書きたくない、書くことなんて何もない」と抵抗する矢野さんを、師匠は「きっとあるから、書けるから」と、根気よく説き伏せました。その時とっさに書いたのが「淋」という文字でした。その日から数週間、一心不乱に「淋」一文字を書き続ける日々でした。

 その中の一枚を師匠が書展に出してくれました。

 おそるおそる見に行くと、矢野さんの作品の前にいた母親世代の女性たちが「これ、あなたの書? わかるわぁ」「わたしにも、こういうときがあったがね」と口々に励ましてくれました。

 その時、矢野さんは漠然と考えたと言います。

 「おとなって、淋(さび)しいだれかの傍らで『味方だよ』って言ってあげられる人じゃないのかな。私もそんなおとなになりたい。今から思えば、あの時から“おとなの階段”をのぼり始めた。そして今も、のぼり続けているんだと思います」

◆コロナ禍は必ず終わる

 人はおとなにしてもらうのではなく、自らおとなになっていく。

 式典があろうがなかろうが、成人の日とは、長い長い“おとなの階段”を自らの意思でのぼり始める日なのかもしれません。

 だからやっぱり、新成人の皆さん、おめでとう。

 コロナ禍は必ず終わる。その時はふるさとへ帰ろう、集まろう。そして思う存分、歌おう、食べよう、語り合おう。それまでは心の中で思い切り、「会いたいよぉ」と叫んでいよう。


  わたしも、成人式には出席しなかった。官製への反発精神旺盛の若者だった。友達もたくさんいた。でも誰も出席する者はいなかった。「おとなの階段”を自らの意思でのぼり始める日なの」だと自覚していたようにおもうのだ。ませた10代だった。


そもそも労働組合ってなあに? 働いている人が困ったら労働組合に何でも相談することが最善の理由

2021年01月10日 | 生活

YAHOOニュース(個人)

藤田孝典 | NPO法人ほっとプラス理事 聖学院大学心理福祉学部客員准教授1/9(土) 

「最低賃金1500円」を訴える労働組合などの若者ら(2017年)(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

新型コロナ禍で存在感を見せている労働組合活動の数々

いま労働組合が熱い。

新型コロナ禍で生活困窮に追い込まれる労働者、休業者、失業者に対して、労働組合は積極的に相談支援活動、生活支援活動、場合によって炊き出しやカンパ金支給なども実施している。

労働者の危機に機敏に動き出す労働組合の存在は本当に頼もしい。

社会危機に対して、どの労働組合やユニオンがどんな活動をしているのか、注目いただきたい。

もし自分が困った際には、このような活発な動きを見せている労働組合に相談して、一緒に仲間に入って活動する方がいいだろう。

若者や女性、外国人など多くの人たちがいま、労働組合に魅せられて活動に加わり始めている。

飲食店ユニオン

@Uni_Restaurant

【拡散希望】緊急事態宣言による営業時間短縮要請の影響で、アルバイトのシフトが激しくカットされはじめています。

諦めないでください。

補償を得られる道を一緒に考えます。

ぜひ、ご相談を。

↓↓

飲食店で働く人たちが集まる労働組合には、飲食店で働いている人や働いていた人たちが集まっているし、介護や保育に関連する労働組合には福祉職が集まっている。

同じような経験を共有できる仲間と出会えるのも労働組合が求められる理由でもある。

自分の境遇や辛さ、苦しさ、仕事の意義や楽しさも分かち合えるだろう。

介護・保育ユニオン@総合サポートユニオン

@kaigohoiku_u

1月8日

株式会社ポピンズが運営する都内の認可保育園に勤務する保育士がユニオンに加入し、会社に団体交渉を申入れました。人員不足が深刻ななか、保育士が疲弊し、いつ集団退職が起きてもおかしくない状態です。何より子どもたちに十分関われていません。早急に人員増員を求めます。

これらの労働組合では給料未払いや残業代未払いの回収だけでなく、不当解雇や雇い止めの撤回、労災申請や労基署への通告、各種ハラスメントの是正、弁護士らと連携して訴訟活動など多岐にわたる支援活動を展開している。

労働組合員同士で助け合い、他の職場で不当な対応をされた仲間・組合員がいる場合には、時間に余裕がある限り、団体交渉に大勢で参加して、企業に要求をしていく。

1人の労働者は企業や経営者に対して声を上げにくいし、要求をするなど大変だが、労働組合を通じて団体交渉を申し込めば、それに企業は誠心誠意応じる義務が発生する。

1人の労働者の声は小さいので、スイミーのお話のように、小さな魚たちが集まって、大きな魚に食べられないように助け合う。労働組合では連帯感、団結意識が大事な理由だ。

須田 光照@sudamitsuteru
1月8日

年末からセクハラ解雇で東部労組と共に交渉していた女性が社長からの謝罪と慰謝料支払いの解決を闘いとった。社長からの交際の求めを断ったら仕事上の不利益を受けてクビに。うつ状態となった彼女は団体交渉で声を震わせて社長に抗議。理不尽に声を上げたことが最大の成果。彼女の勇気に続いてほしい。

それらの団体交渉によって多くの成果を労働組合は勝ち取り続けている。

みんなが何となくおかしいなーと思っていたことに対して、1人の労働者が労働組合を通じて問題提起をすると、職場全体の意識や慣例、被害状況が改善することがある。

つまり、企業や経営者は労働者への向き合い方を変えざるを得なくなる

例えば、訳の分からないワンマン社長、ワンマン上司、不快な職場の人間関係も変わらざるを得ない。

1人の問題解決が職場や企業、業界全体に影響を及ぼすことができるのも労働組合に期待される機能と役割だ。

そんな支援活動が活発で積極的な労働組合には特徴があり、どれも個人加盟の労働組合、ユニオンということだ。

細かな説明は省くが、日本の労働組合は長いこと企業内労働組合が一般的だった。

「正社員クラブ」と揶揄(やゆ)されてきたように、正社員(大部分は男性)を中心に組織されて、彼らの代弁は一応おこなってきている。

いまでも正社員しか加入できない労働組合もあり、パートやアルバイト、非正規や派遣などの社員(女性や若者、外国人が多い)は労働組合の枠組みの外に置かれることも珍しくなかった。

今の時代は非正規雇用で働く人たちが約4割の時代だ。

男性の雇用の不安定化や収入減少に伴って、共働き世帯も増加し続け、女性労働者も外国人労働者も多い。

もちろん、男性正社員でも労働組合がない企業、労働組合が機能していない企業もある。

企業の外部に自由に加入できる労働組合があることも知っておいてほしい。

日本では社会に必要不可欠な労働組合が注目されなくなって久しい。

多くの人が労働組合に期待しなくなってから、長い年月が経ってしまった。

だからこそ、新時代の労働組合が活性化している現在、誰でも1人から入れる個人加盟の労働組合、ユニオンの活動から目が離せない。


 こちらの雪の降り方もすごい。今朝は晴れていたので江部乙へと向かった。除雪を1時間ほどすると雲行きが悪くなってきた。これはまずいことになるかも、とすぐに帰宅。しかし途中の国道は時たまホワイトアウト状態。ハザードランプを点滅しながらようやく帰宅した。

雪の重みで幹の上部が折れてしまった赤松。


ファミマ「お母さん食堂」抗議、高校生の声を封じ込める感情的な大人たち

2021年01月09日 | 生活

鎌田和歌:フリーライター

DIAMONDonlin 2021.1.8 3:25

ファミリーマートのプライベートブランド商品である「お母さん食堂」の名称に、高校生たちが変更を求める署名を始めた。性的役割分担の固定化につながることを懸念しての取り組みだ。しかし、この署名には、ネット上で「大人」たちから感情的なバッシングが巻き起こっている。(フリーライター 鎌田和歌)

 

ファミマ「お母さん食堂」への抗議とは

 高校生が行った署名活動がネット上で大きな物議を醸している。いや、高校生の問題提起を大人たちが寄ってたかってたたいているというのが正しい表現かもしれない。

 署名サイトで賛同が呼びかけられたのは、「ファミリーマートの『お母さん食堂』の名前を変えたい!!!〜一人ひとりが輝ける社会に〜」というキャンペーンだ。2020年末までの期間限定で集められ、1万筆の目標には届かなかったものの、締め切りまでに7268筆が集まったことが報告されている(2021年1月4日現在)。

 署名の内容は、タイトルの通りで、大手コンビニチェーン・ファミリーマートのプライベートブランドである「お母さん食堂」の名称を変えてほしいというものだ。

 ファミリーマートは、総菜から冷凍食品、カット野菜や「サラダチキン」に至るまで、自社ブランドの食材に「お母さん食堂」のロゴを入れて販売している。売り場で「お母さん食堂」商品が占める割合はかなり多く、イチオシであることがうかがえる。イメージキャラクターは、かっぽう着姿の香取慎吾だ。

 ホームページには「お母さん食堂は、『家族の健やかな生活』を想って作った、美味しくて安全・安心な食事と食材を提供するブランドです」とあり、孤食の時代においても温かな家庭の味を思い出してほしいという意図なのだろう。

日本は性的役割分担の意識が強いという高校生の気づき

 一方、高校生たちが名称変更を求めた理由は、署名募集サイトで詳しく説明されている。

「先日、ジェンダーや男女平等について学ぶ機会がありました。『男性は仕事、女性が家事』という考えが日本には、まだ多く残っていることを知りました」

 高校生らが訴えていることを要約すると、大手企業が全国で展開する商品名には影響力があり、性的役割分担の考え方をそのまま再生産することにつながってしまいかねず、それを見た子どもたちが「お父さんは仕事、お母さんは家事」の意識を内面化することに危機感を覚える、ということだろう。

 説明の中では、数字によるエビデンスも挙げられている。たとえば、小学校5〜6年の女子と男子では、料理の手伝いを「いつもしている」「時々している」と回答した割合が、女子(76%)と男子(53%)で差があるという調査(独立行政法人国立青少年教育振興機構による「青少年の体験活動等に関する意識調査」平成28年度調査)が引用されている。

 女性が社会進出してもなお、家事・育児の負担は女性に任される現実があり、「無償労働時間」を男女で比較してみると、国際的にも日本の女性が担う割合は大きい(参考:内閣府男女共同参画局 コラム1『生活時間の国際比較』)。日本は男性が外で働き、女性は家庭で働くという性的役割分担の意識が強い国だ。

男女不平等はキャリア形成で感じやすい

10代半ばで問題提起した高校生たち

 今の世の中は男女平等かのようにうたわれるが、実際は「性的役割分担」の意識は根強い。女の子は家事や料理など、いつか「お母さん」になるための準備の方が必要だという考え方は、社会の隅々に行き渡っている。逆に男の子には「妻子を養う男らしさ」が求められがちであり、男女双方の生き方の幅を狭めている。

 このことが、女性がいざ就職活動をするときに、「結婚・出産した後に仕事を続けるつもりはあるか」と聞かれるなど就職差別につながることがある。男女間の賃金格差や、非正規雇用に就く人の割合は言わずもがなである。

 たとえ男性と同じように真面目に勉強して就職活動に成功しても、結婚・出産後にキャリアを閉ざされる女性はいまだに少なくない。

 そして、このような男女間の不平等は、就職を考える時期までは気付きづらいのも事実だ。高校生たちが10代半ばの時点でこの事実に行き当たり、性的役割分担を内面化させる社会の刷り込みに問題提起したことは素晴らしいと感じる。

 しかし高校生たちの問題提起は、ネット上では「大人」たちから寄ってたかってバッシングされた。

高校生たちに寄せられた「言葉狩り」「反社だ」

大人たちによる中傷

 ツイッターなどで見られる批判的な意見は、「営業妨害」「表現の自由の侵害」「暴力」「言葉狩り」など。「反社だ」という指摘さえある。非常に強い言葉で署名をなじったり、「(署名数が)7500人の惨めな結果で本当に良かったです」「署名がヘボい人数で終わってて草 フェミはもうキモい存在になったんだよ」など、結果をあざ笑い、中傷するようなコメントも少なくない。

 署名を集めるのは本来、弱い立場の人たちが影響力のある事象に向けて抗議の声を上げるときに使われる手法であり、「営業妨害」や「暴力」ではないし、ましてや「反社」ではない。むしろ高校生の活動をこのように大人たちが中傷することの方が自由の侵害であり「言葉狩り」だ。

 高校生たちの作成した署名を呼びかける文章と、こういったネット上の反応のどちらが感情的かと言ったら間違いなく後者だろう。

 手が込んでいるのは、フェミニストを自称する女性イラストのアイコンが「私、8回署名した!」「スマホを借りて、8人分の投票をしただけです」などと書いたツイートがスクショされ、「絶対に笑ってはいけないお母さん食堂署名サイト」とさらされて2万回以上リツイートされていること。

「私、8回署名した!」とツイートしているアカウントは、フェミニストを揶揄(やゆ)するために作られた偽装アカウントの可能性も高い。真偽が不明にもかかわらず、「一人で8回署名した宣言している人がいる」という情報だけが独り歩きし、ファミマに「通報」を呼びかける人まで現れている。

 ちなみにツイッター上では、おとしめたい陣営の一員であるふりをして隙のあるツイートを連投し、その属性の人たちの発言力を弱めようとする悪質なアカウントがある。まるでトロイの木馬戦法だ。

なぜ高校生たちへの攻撃は黙認されるのか

 もはや高校生たちへの中傷を超え、署名の信用性をおとしめようとする名誉毀損と言っても過言ではない。

 ツイッター上での誹謗中傷やネットリンチは、2020年に大きな社会問題となった。しかし、そんなことはまるでなかったかのように、ネットユーザーたちは面白おかしく高校生や署名に賛同する人たちをたたいている。コンビニの冷凍庫に入って遊んだ未成年が「炎上」したときよりも、よっぽどたたかれているように見える。

 署名を集めるのが、そんなに悪いことなのか。

 さらに言えば、署名発案者らに寄せられるこのような攻撃は黙殺されている。

 たとえば、この問題を取り上げたネット番組「AbemaPrime」に出演したお笑いジャーナリストのたかまつなな氏は、「問題提起のための運動なのだとしたら、ファミマにかみ付くのが有効だったのか、そこは疑問だ」と発言したが、匿名・実名ユーザーたちからの高校生への過激なバッシングではなく、認められた仕組みを使って署名を集めることの方を「かみ付く」と表現すること自体にバイアスがかかっていることを自覚したほうがいい(参考: ABEMA TIMES)。

便利でありがたい商品だが、透けて見える社会の刷り込み

 「お母さん食堂」の名称はともかく、そのラインアップは個人的には嫌いではない。

 コンビニの総菜といえば少し前までは「おいしくない」というイメージが強かったが、そのような印象を払拭しようと商品開発に力を注ぎ、「まるで実家で食べているような、温かみのある食事」を味わってもらおうと「お母さん食堂」と名付けたのだろう。企業側の営業努力は推察するし、料理の苦手な人や忙しい人にとって便利でありがたい商品だと思う。

 コンビニのメインターゲットは20〜40代の単身者であろうことを考えると「お母さん食堂」が「お母さんの作るような食事を食べたい人」に向けてマーケティングされたことはわかる。ただ、そこにはやはり「私作る人、僕食べる人」と同じような役割分担を感じてしまう。

 昨年は、スーパーで「母親ならポテトサラダぐらい作ったらどうだ」と言われた女性を目にしたというツイートが大拡散され、大きな話題となった。実際に、「母親なら手抜きをするな」「愛情のこもった手作り料理を作れ」という風潮はまだ強い。また、母親自身がその価値観を内面化し「出来合いの総菜ばかりでは、子どもがかわいそう」と思っていることも多い。「お母さん食堂」が、お母さんのための食堂と思える世の中ならよかったと思う。

 ツイッター上でも指摘されているが、女性と料理が「お母さん」というイメージで結びつけられるのに対し、ラーメンやカレーなどのパッケージに印刷されるのは料理人の男性たちである。女性の料理=無償労働、男性の料理=有償労働であるという社会の刷り込みはあるのだ。

嘲笑や冷笑では何も変わらない

 高校生らは、12月28日の加筆で再度「『お母さん食堂』という名称があることで、お母さん=料理・食事というイメージがますます定着し、母親の負担が増えることになると考えています」「今後も性別によって役割が決まったり、何かを諦めたりする世の中になる可能性が強くなることはとても問題だと思います」「この提案は、決してファミリーマート一社だけを批判するものではありません」と書いている。

 つまり、社会の認識や構造自体を変えていきたいという問題提起であり、単にファミマ一社をやり玉にあげたいわけではないということだろう。そのような構造自体への指摘をあえて無視し、大人たちが高校生の活動を「暴力的だ」と集団で封じようとする。その暴力性を大人が自覚してほしい。

 もちろん、ネット上では高校生たちの取り組みに賛同し、励ました大人たちもいた。

 批評家の北村紗衣氏は、署名サイトで

「2015年に国会前安保法制反対抗議で行われたSEALDSの「帰ったらご飯をつくって待ってくれているお母さん」演説を批判して強い攻撃を受けた者です」(原文ママ)

 と名乗り、下記のように書き込んだ。

「偉そうで恐縮ですが、経験者として申し上げます。あなた方がやっていることはひどい攻撃を受けると思いますが、ほとんどは女性や若者が意見を言うだけで文句をつけてくる、重みのない言葉を発するだけの人たちですから、気にすることはありません。あなた方の目的が今達成されなくても、あなた方がやったことは誰かが世の中を良くするための足がかりになります」

 日本語学者の飯間浩明氏は、言語のジェンダー性を研究しておらず、これまでのこの名称に問題意識を持っていなかったとしながらも、下記のようにTwitterで言及している。

「『こういった商品名は、少なくとも今後は避けたほうがいいだろう』という意見を持ちます。理由は、程度の大小はともかく、性役割の固定化に貢献することになるからです」

「『お母さん食堂』という商品名が、ただちに大きな問題を引き起こすとは言えません。むしろこの名称は、料理する母への懐かしい気持ち、親愛の気持ちを呼び起こします。その一方で、『母=料理する人』という鮮明なイメージを与えています。この点で、確かに性役割の固定化に貢献しています」(参照ツイート)

 声を上げた人を集団でたたく行動は、その後に声を上げようとする人に対しても影響力を持つ。「声を上げたらたたかれる」とわかっていて声を上げられる人は多くはないだろう。しかし、中には真摯に受け止める人もいて、世の中は少しずつ変わっていく。

 嘲笑や冷笑は現状の追認であり思考停止だ。高校生に声を上げる役を担わせている世の中であることを、大人は自覚すべきだ。


 そんな世の中でも「声」を上げ始めている。Me too!With you!  と、その波は広がりつつある。「声」を上げる人々に寄り添う社会に…!

 


生活保護申請をためらわせることがないように 厚生労働省が再三にわたって全国の福祉課へ注意喚起

2021年01月08日 | 生活

田孝典 | NPO法人ほっとプラス理事 聖学院大学心理福祉学部客員准教授11/8  YAHOOニュース(個人)

緊急事態宣言に伴って全国の福祉事務所へ事務連絡を再三出す厚生労働省(写真:西村尚己/アフロ)

生活保護申請をためらわせることがないように

緊急事態宣言の発令が決定した1月7日に厚生労働省が全国の生活保護担当課に対して、事務連絡を発出したことが明らかになった。

著者が自治体関係者から入手した1月7日の事務連絡の全文は以下の通りである。(長くなるので省略させていただきます-mooru)

 

昨日、緊急事態宣言でも飲食店経営者は諦めないで 店舗、器材をそのままに一時的な生活保護利用も可能 という記事を配信したばかりだが、同様に厚生労働省も再三、柔軟で弾力的な運用を生活保護の現場に求めている。

つまり、緊急事態なのだから従来の生活保護運用を変えろ、福祉課の意識を変えろ、という事務連絡通知だ。

事務連絡を軽視する対応がある場合は支援団体へ遠慮なく相談を

なぜここまで厚生労働省が繰り返し、事務連絡を出すかと言えば、生活保護の現場がこれら通知を重視しないからだ。

未だに生活保護の申請をためらわせる窓口があるだけでなく、新型コロナ感染拡大があるにもかかわらず無理な就労指導を実施したり、再三の事務連絡があるのに自動車や資産保有を認めない、避けるべき親族への連絡や扶養照会も一律で実施するなど、メチャクチャな生活保護運用がある。頭が固く変化に弱い福祉事務所の事例には事欠かない

生活保護における事務は、法定受託事務と言われており、基本的に厚生労働省の指導・指示に従いながら、法定の事務を遂行しなければならないことになっている。

しかし、この厚生労働省の指導・指示に従わない福祉事務所が散見されているのである。

筆者ら支援団体や専門家も違法性、不当な対応があれば、そのつど対応しているが、もし生活保護窓口で厚生労働省の事務連絡にないこと、おかしい取り扱いがされたら、以下の支援団体へ相談してほしい。

厚生労働省も言う通り、生活保護をためらって利用せずに我慢してもいけない。

新型コロナ禍はこれからも当面続く。

気軽に福祉事務所へ相談して、生活保護を申請することが大事である。

【各地の相談窓口】

東北 東北生活保護利用支援ネットワーク

Tel. 022-721-7011 (月・水・金 13時〜16時、祝日休業)

関東(東京含む)・甲信越・北海道 首都圏生活保護支援法律家ネットワーク

 http://seiho-lawyer.net/

Tel. 048-866-5040 (月〜金10時〜17時、祝日休業)

北陸 北陸生活保護支援ネットワーク福井(福井・富山) 

Tel. 0776-25-5339 (火 18時〜20時、年末年始、祝日休業)

北陸生活保護支援ネットワーク石川

Tel. 076-204-9366(火 13時~15時・18時~20時、年末年始、祝日休業)

静岡  生活保護支援ネットワーク静岡

Tel. 054-636-8611(平日 9時~17時)

東海  東海生活保護利用支援ネットワーク (愛知、岐阜、三重)

Tel. 052-911-9290 (火・木 13時〜16時、祝日休業)

近畿  近畿生活保護支援法律家ネットワーク 

Tel. 078-371-5118 (月・木13時〜16時、祝日休業)

中国  生活保護支援中国ネットワーク

Tel. 0120-968-905 (月〜金 9時半〜17時半、祝日休業)

四国  四国生活保護支援法律家ネットワーク

Tel. 050-3473-7973 (月〜金 10時〜17時、祝日休業)

九州 ・沖縄  生活保護支援九州ネットワーク

Tel. 097-534-7260 (月〜金13時〜16時30分、祝日休業)


雨宮処凛がゆく! 第544回:怒涛の年末年始 困窮者支援の現場から。

2021年01月07日 | 社会・経済

マガジン9  2021年1月6日

 https://maga9.jp/210106-4/

    2021年がやってきた。コロナ禍の年末年始、あなたはどのように過ごしただろうか。

 私は12月29日から1月3日まで、困窮者支援の現場で相談員をつとめていた。この国の「底」が抜けていることを、嫌というほど痛感する6日間だった。

 ここで年末年始のスケジュールを振り返ると、以下のようになる。

12月29日 年越し支援・コロナ被害相談村(大久保公園)

12月30日 年越し支援・コロナ被害相談村(大久保公園)、夕方は池袋のTENOHASIで配食手伝い(東池袋中央公園)

12月31日 東池袋中央公園にて臨時相談会

1月1日 横浜・寿町の炊き出しに行ったあと、四谷の「年越し大人食堂」(イグナチオ教会)

1月2日 年越し支援・コロナ被害相談村(大久保公園)

1月3日 四谷の「年越し大人食堂」(イグナチオ教会)

 6日間にわたって年末年始支援の現場にいたわけだが、初日の29日からなかなかハードだった。この日の午前10時に大久保公園で「コロナ相談村」が開村し、午後から相談員をしていたのだが、夕方には救急車に乗っていたからだ。運ばれたのは私ではない。経緯は以下の通りだが、まずは「コロナ相談村」について説明しよう。

 この「村」を開催したのは、2008年の「年越し派遣村」を支えたメンバーら。主に労働組合関係の有志たちだ。東京の新宿・大久保公園で開催された理由のひとつには、そこが「TOKYOチャレンジネット」の隣だからという理由がある。

 東京都が、住まいのない人のために年末年始1日1000室のホテルを開放することはこの連載でも書いてきた通りだが、広報もあまりなく、いつどこに行ってどうやって手続きすればホテルに入れるかがわかりづらい。また、「年末年始にタダでホテルに泊まれる」ということを知らない野宿の人やネットカフェ生活者も多くいる。ということで、大久保公園で相談会を開催し、隣のチャレンジネット(ホテル利用の窓口)に繋げようという目的で開催された。

 もちろん、ホテル宿泊だけでなく、労働相談や生活保護申請(新宿区などでは年末年始も開庁していたので申請もできる)、その他の相談を受け付ける体制を実行委員メンバーは実に短期間で作り上げてくれたのだ。

ちなみに相談員は、相談者がホテル宿泊を希望する場合はチャレンジネットに同行する。生活保護申請をする場合は福祉事務所へ。ホテルの場合、「利用票」とホテルの地図をもらったら、本人がチェックインする仕組みだ。そうすれば1月4日の朝まで暖かい部屋で過ごせる。日本列島を寒波が襲うと言われた年末年始、凍死から身を守るためにも一人でも多くの人にホテルに泊まってもらいたいという思いから始まった相談村。1月4日以降、行き場がない人は生活保護など公的制度を申請すればいい。

 ということで、この日、チャレンジネットに同行させてもらったのはAさんという50代の男性。コロナで仕事がなくなり、この5ヶ月ほど、新宿で野宿をしてきた男性だ。

 チャレンジネットで面談した結果、この日からホテルに泊まれることになったのだが(年末年始は仕事があるそうで、生活保護申請については仕事が終わったあとに考えるということ)、Aさん、この相談会のような取り組みがあることにいたく感動し、「自分が野宿している場所にいる他の人たちにも伝えたい」と申し出てくれた。そうしてAさんの案内で、新宿のとあるエリアに。そこで野宿の人々に声をかけている時に出会ったのが、Bさん。大きな荷物を両手に持ち、ボロボロになった衣服で歩く高齢の男性だった。同行していた山本太郎氏がすかさず声をかけ、今夜から4日までホテルに泊まれることなどを伝えると、「ぜひ泊まりたい」という返事。

 そんなBさんが「心臓が痛い」と動けなくなったのは、徒歩10分ほどの大久保公園に案内している途中だった。慌てて「コロナ相談村」に連絡すると、ボランティア医師として入ってくれている谷川智行さん(谷川さんもこの年末年始、ずーっと支援の現場でボランティア医師をされていました)が来てくれることに。谷川医師がその場で話を聞きとり、「救急車を呼んだ方がいい」ということになり、私も同乗して病院へ。診察の結果、身体の状態は非常に悪く、最低でも2週間の入院が必要とのことで、そのまま入院となったのだった。

 それにしても、それほど体調が悪い高齢者がこの寒空のもと、大荷物を持って移動し、野宿生活をしていたことに驚愕した。どれほど過酷な日々だったろう。改めて、言葉を失う思いがした。

 この日、コロナ相談村には56件の相談が寄せられた。男性44件、女性12件。ちなみに13年前の年越し派遣村に来たのは505人。うち女性はたった5人だった。それを思うと、女性の困窮の拡大は当時と桁違いである。

 翌30日も「コロナ相談村」。

 嬉しかったのは、前日、チャレンジネットに同行し、野宿の人たちの元に案内してくれたAさんが、「スタッフ」となっていたこと。家なき人たちを相談会に繋げたいと、この日も組合の人を野宿者が多いエリアに案内したりと大活躍だったのだ。たった1日で、「支援される側」だった人が「支援する側」になっている。そんな姿を見るたびに、こういう活動をしていて良かったと思う。

 夕方から池袋のTENOHASIの炊き出しへ。18時からのお弁当配布には寒空のもと200人以上が並び、あっという間になくなった。配っている間にも寒さは厳しくなり、容赦なく寒風が吹きすさぶ。2時間ほど外にいて冷え切ったが、私は家に帰ればお風呂に入れる。しかし、炊き出しに並んでいた人たちの多くは、一晩を野外で過ごさなければならないのだ。

 一年前と比較して、列に女性の姿が目立った。中には若い女性の姿もあった。

 大晦日は前日のTENOHASIと同じ東池袋中央公園にて、「新型コロナ災害緊急アクション」などによる「臨時相談会」。

 この日、チャレンジネットは閉まっているのでホテル案内はできないと思っていたものの、午前に、マガジン9のメンバーであり現在は豊島区議会議員の塚田ひさこさんと電話で話し、新事実が発覚。午後1〜5時まで豊島区役所では職員が対応しておりホテルに入れること、生活保護申請もできることなどを知る。このように、行政の情報が直前までわからないことが支援を難しくさせている側面もあるが、この年末年始の豊島区の対応は素晴らしかった。この日だけでなく、1月1〜3日も職員が対応してくれてホテル案内と生活保護申請ができたのだ。

 午後3時開始の相談会には2時半頃から多くの人が行列を作り、3時前から相談を受け付けることに。

 私も相談員として入ったのだが、担当した8人ほどのうち、半分以上がすでに野宿。住まいはまだあるものの所持金ゼロという人も少なくない。年末年始、タダでホテルが提供されていることを全く知らない野宿の人も数人いた。情報を伝えると「本当に泊まれるんですか?」と驚き、身を乗り出す。

 よく「ホームレスは好きでああいう生活をしている」なんて言う人がいるが、誰が極寒の中、野宿したいと思うだろう。しかも現代の「ホームレス状態の人」の多くは、コロナ禍によって路上に追い出された人たちだ。「ホテルに泊まれる」と知った時のみんなの嬉しそうな顔が忘れられない。結局、この日対応した人のほとんどがそのままホテル宿泊となり、何人かは生活保護申請も同時にした。公園で相談を受け、役所に同行を繰り返す。

 この日、嬉しかったのは、12月19日に日比谷公園で開催された「なんでも相談会」で相談を受けた人が来てくれたこと。40代の男性なのだが、4年ほど野宿生活をしているということで、生活保護などの制度についてほとんど知らないようだった。日比谷公園の時は話をし、食品をもらうだけで帰ったのだが、この日はその足で区役所に行き生活保護申請。同時に、この日からホテルに泊まることになったのだ。

 役所まで同行したのだが、わずか10日ほど前は公的福祉についてほとんど知らなかった彼が、こうして制度に無事繋がった姿を見るのはこの上ない喜びだった。まだまだ40代。野宿をしていればごく限られた仕事しかできないが、アパートが決まれば仕事だって見つかりやすくなるし、その幅もぐっと広がる。4年間を路上で過ごすしかなかった彼が、こうして相談会に繋がり、生活再建の手がかりをつかんだことが嬉しかった。

 1月1日、元日。

 横浜・寿町の炊き出しに配食の手伝いに。配食は2時からだったものの、1時半前からすでに長い行列ができている。コロナ対策で例年より規模を縮小し、ボランティアも少なくやっているということだったが、それでも500食の中華丼があっという間になくなった。

 行列に並ぶ人に、若者や女性がやはり例年より増えている印象。

 その後、年越し大人食堂に行くと、福島みずほさんや山添拓さんといった国会議員も相談員をやっていた。ちなみに山本太郎氏も大人食堂とコロナ相談村では相談員をしている。

 私も相談員をやってきたが、これほど緊張する仕事はないとも思う。相談する方も当然緊張しているが、相談を受ける方も緊張しているのだ。なぜなら、相談に来る人は、人生において危機的状況にあるからだ。人生の、もっとも重大な局面である。間違いは決して許されない。だからこそ、自分でわからない時や知識が曖昧な時は、その問題に詳しいプロに聞く。

 私は生活保護関係にはそこそこ詳しいが、例えば労働問題に関する知識はそれほどない。借金や相続といった込み入った話になると法律家の出番だ。外国人の相談の場合は専門家でないと対処できないことも多いし、まずは通訳が必要になる。様々な相談に対処できるよう、大人食堂でもコロナ相談村でも、相談会場には弁護士や労働組合の人、司法書士や元ケースワーカー、外国人問題に詳しい専門家や通訳がスタンバイしている。健康相談のためのお医者さんもいる。労働問題は組合の人にいろいろ教えてもらい、逆に生活保護の問題になると組合の人にこちらがいろいろ情報を伝えることもある。

 このような相談会を、昨年は何度も繰り返した。コロナ禍での電話相談会で鍛えられたのだ。コロコロ変わる制度の運用や新しくできた給付金制度についての勉強をし、みんなで相談マニュアルをアップデートさせていた日々の蓄積。電話相談での相談員をすることで、私は昨年、少しずつ「相談」に慣れていった。

 この日の夜、相談会のチラシを都内某駅で配布した。ただチラシを配っても仕方ないので、行き場がなさそうな人に声をかけて渡した。駅の地下街には、正月休みの飲食店の前のベンチに数人が所在なく座っていた。一人ずつスペースを開けて、決して関わることはなく、それぞれが俯いていた。その中には女性もいた。住まいを失ったばかりですでに1円もない若者もいた。相談会があること、ホテルに泊まれることを告げ、「行くお金がない」という人には電車賃を渡した。元日の夜、寒さに耐え、空腹を堪え、ただただ地下街のベンチに座り続ける人がいる。地下街が閉まれば、凍死しないよう夜通し歩くしかない人たちがいる。

 別の支援者はSOSを受けて都内某所に行った。SOSをくれた人が住む家は、すでに電気やガスも止まっているという。このまま行けば、「餓死事件」となって世間を騒がせてもおかしくないほどの困窮ぶりだ。めでたいはずのお正月、どれほどの人が、眠れないほどの不安の中にいるのだろう。

 1月2日、コロナ相談村の相談員。

 最初に相談を受けたのは、30代の宿泊施設経営の方。コロナ禍で客がまったく入らず、毎月20万円以上のマイナスが出続けている状態。続けようかやめようか、判断が難しく悩んでいるということだった。

 その話を聞いて、別の相談会で会った男性を思い出した。その男性も30代の元経営者。イベント関係の仕事をしていたがコロナ禍で仕事はなくなり、あっという間に負債が増え、自己破産手続き中ですでに住まいを失い野宿となっていた。所持金は数百円ほど。この状態だと、一度生活保護を受けてアパートを手に入れて生活を立て直すのがいちばんの近道だ。住所もないままでは仕事だってなかなかできない。しかし、男性は生活保護には強い抵抗があり、それより事業を立て直したいので事業者向けの貸付金がないかと尋ねてくる。すでに野宿なのに、公的福祉は受けずにお金を借りてまずは会社を立て直すと口にするのだ。

 このような相談、コロナ禍では初めてではない。

 元経営者や自営業者で、コロナ以前は羽振りが良く、貧困と無縁だったのに、コロナであっという間に困窮してしまったケースだ。このような場合、生活が困窮するスピードが速すぎて、本人の気持ちが追いついていないのだろう。だからこそ、野宿であっても、所持金数百円であっても「自分は大丈夫」「国に迷惑はかけられない」「生活保護とかは大変な人が受けるもので自分には関係ない」と繰り返す。

 この日、最後に相談を受けた人も同様だった。

 50代で、元経営者。コロナで仕事がなくなり、すでに住まいも失いネットカフェやカプセルホテルを転々としてきたという。ギリギリ野宿は未経験。しかし、所持金はわずかで、相談会につながっていなければこの日が初野宿になっていただろうと思う。

 この男性にホテル提供の話をすると、やはり「初めて知った」とのことで宿泊希望。しかし、ホテルに入っても4日には出されてしまう。それならば今日生活保護申請した方がいいのでは、都のホテルに入ると一円も出ないが、生保申請をすればホテルを4日に出されることはない、その間にアパートを見つけてアパート転宅すればいいし、1日あたりの食費も出る、住所があった方が仕事も見つかりやすい、など他の相談員らとともに提案するが、彼は頑なに生活保護は拒否する姿勢。30分以上話したが、それでも「どうしても自力で頑張りたい」「とにかく4日までホテルに泊めてもらって、仕事始めの4日にいろんな人に連絡して仕事を見つけたい」とのことで、チャレンジネットへ同行。4日までの宿は確保できたものの、それからどうするのだろう。「4日になったら今まで仕事した人に連絡する」と言っていた彼の携帯は、とっくに止まっているのだ。

 午後5時、コロナ相談村は閉村。

 12月29日、30日、1月2日の3日間に寄せられた相談は337件。うち男性は274人、女性は57人、不明が6人。外国籍の人は約20人。世代別だと、10代1人、20代18人、30代52人、40代74人、50代71人、60代55人、70代23人、80代7人、不明34人。そして3日間を通して、ボランティアスタッフは350人。

 この日、13年前の派遣村を担ったメンバーと話した。

 「あの時、生活保護をそれほど拒否する人っていなかったですよね?」と言うと、何人もが頷いた。あの時はみんな、「しょうがない、まずは生活保護で立て直すか」という感じで、説得に苦労したなんて話は聞いたことがなかった。しかし、今回は違う。私だけでなく、多くの人が「もう生活保護しかないのでは?」と口にしても、首を横に振る人の説得に困っている。別に無差別に生活保護を勧めているわけではない。ただ、所持金も住まいもない場合、使える制度は生活保護くらいしかないからそう言うのだ。このままでは、路上で餓死、凍死する危険性があるから提案しているのだ。しかし、それでも「自力で頑張る」という人たち。

 思えば、派遣村に来た人たちの多くは製造業派遣などで働いてきた人たちで、いわば貧困と近い層だった。しかし今、コロナで困窮している人の中には、貧困と無縁だった層がいる。そんな人たちにとって、生活保護利用の壁はあまりにも高いのだ。このようなところからも、13年前との違いが見えてくる。

 1月3日。

 年末年始の支援最終日だ。

 大人食堂の相談員として一日相談を受けた。

 10人ほどの相談を受けたが、嬉しかったのは、前日のコロナ相談村で相談に乗った男性が来てくれたこと。30代の男性はコロナで仕事を失っていたのだが、住まいはある状態。このような場合、住居確保給付金と社会福祉協議会の貸付金を借りながら仕事を見つける手もあるのだが、それはあまりにも綱渡りだし、結局は借金だ。しかも残金はわずかで収入のあてはないので、このまま行けば家賃を滞納し携帯が止まり、光熱費も順次止まっていく。ということでやはり生活保護の話をすると「考えたい」ということだった。よって、「明日は私はここにいるから」と大人食堂のことを伝えたのだ。

 若い人であれば、仕事が見つかって生活保護をすぐに廃止するケースも少なくないなどのことも伝えていた。そうしたら、その彼が来てくれたのだ。ものすごくしっかりした人で、後日、支援者が同行して生活保護申請することに。おそらくコロナが落ち着きさえすれば、すぐに仕事が見つかるだろう。今回の特徴は、本当にコロナさえなければバリバリ働いていた人たちが仕事を失っていることだ。

 時間が遅くなるごとに外国人の相談が増えていった。相談会の後半、私が担当した6人も全員が外国人。国籍はイランやナイジェリア、エチオピア、ベトナムなどで、全員が仮放免、もしくは短期ビザ。就労が禁止されているので働くことができない状態だが、生活保護など公的福祉の対象にもならず、制度の谷間に落ちている。

 働きたいけど働けない。だけど公的なセーフティネットの対象にもならない。「死ね、ということですか?」と口にする人もいた。皆が一様に口にしたのは、「とにかく働きたい」「自立して生活したい」ということだ。なのに、日本政府はそれを認めない。6人とも、みんな難民申請中だった。ということは、国に戻れば迫害される危険がある。それなのに、難民申請した先の日本でこんな仕打ちを受けている。これは完全に国の制度の落ち度ではないのだろうか。日本の難民認定率0.4%という数字が迫ってくる。

 対応した外国人6人のうち、ほとんどが所持金ゼロ円、一番多い人でも2000円だった。外国人への公的支援拡充は、コロナ禍が始まってからずーっと政府交渉の場でも要求し続けている。しかし、国は完全に放置している。

 この日、大人食堂に来たのは316人。うち大人は302人、子どもは14人。399個のお弁当が配られた。相談会に参加した人は72人。うち女性は12人。また外国人は29人。9カ国の人から相談があった。世代別だと、20代8人、30代15人、40代15人、50代16人、60代3人、70代4人、80代1人。不明も数人。

 12月31日の臨時相談会、1日、3日の大人食堂の3日間を通して、約950食の食事を提供し、約150件の相談を受けた計算だ。

 そうして、私の年末年始は終わった。

 終わると同時に、今度は東京をはじめとした首都圏の緊急事態宣言という話になっている。飲食店ばかりがまた槍玉に挙げられているが、自粛と補償をセットにしないと困窮者は増え続けるばかりだろう。

 年末年始、多くの人が支援につながった。が、まだまだ支援団体すら知らない人が大半だ。その上、民間の「共助」はとっくに限界を迎えている。

 国はいつまでも民間の善意をあてにせず、今年こそ、「公助」に本気を出してほしい。「国に見捨てられることはない」という「安心感」は、確実に自殺を予防すると信じている。


 また、風邪のぶり返し。37度ほどの微熱がある。前と同じく鼻水がやたらと・・・。今日はゆっくりと休むことにした。


雨宮処凛生 きづらい女子たちへ  東京・渋谷のホームレス女性殺害事件〜深刻化する女性たちの窮状

2021年01月06日 | 社会・経済

imidas連載コラム 2021/01/05

 2020年12月6日夜、約170人が東京・渋谷の街をキャンドル片手に静かに歩いた。その光景は、まるで葬列のようだった。

 この日開催されたのは、「殺害されたホームレス女性を追悼し、暴力と排除に抗議するデモ」。同時刻、ネット上ではTwitterデモも呼びかけられ、それは一時トレンド入りもした。 

 昨年11月16日、渋谷のバス停で60代のホームレス女性Oさんが撲殺された事件を覚えている人も多いだろう。女性はスーパーで試食販売の仕事をしていたが、同年の2月、失業したという。住まいも失い、たどり着いたのがわずかな庇で雨をしのげる渋谷区内のバス停だった。

 雨をしのげると言っても、寒さは防げないし、風が吹けば雨天時はびしょ濡れになるような吹きっさらしのバス停だ。そんなバス停のベンチには、ホームレスが寝ないよう、仕切りが付けられていた。横になって身体を休めることもできないベンチで彼女は束の間の休息を取り、朝方になると姿を消した。死亡時の所持金はわずか8円だったという。事件から5日後、逮捕されたのは近所に住む46歳の男だった。

 デモ出発前、参加者たちにマイクが回された。マイクを握った女性の一人は、男がボランティアでゴミ拾いをしていたことに触れ、「外で寝ていたからってゴミじゃない」と口にした。

 そうだ、外で寝ていたからってゴミなはずはない。「人間だ!」。野宿生活をしている女性もそう叫んだ。だけど、私たちは時に野宿者が「ゴミ」のように扱われるのを知っている。それが女性だと、悪意はさらにエスカレートすることを知っている。

 例えば2020年に入って殺されたホームレス状態の人は3人。一人目は1月、東京・上野公園で70代の女性が頭部に暴行を受けて殺害されている。3月には岐阜県で、ホームレスの男性が少年らに襲撃を受けて死亡。殺されたのは男性だが、この男性とともに生活するホームレス女性(60代)は以前から少年たちに追いかけられるなどしていた。事件当日も少年らは「今日はババアに用事がある!」と口にしていたという。

 そうして11月、渋谷の事件が起きたのだ。野宿者に向けられる差別に、さらに「女性」という要素が加わった時、牙を剥く暴力。

 コロナ禍の中、女性が晒されているのは「ホームレス化」だけではない。12月11日には、大阪で親子と見られる2人の遺体が発見された。マンションの一室で亡くなっていたのは42歳の娘と60代の母親。調べによると餓死した可能性が高いという。一人の体重はわずか30キロにまで減っており、冷蔵庫には食料がほとんど残されていなかった。

 親子がどういう経緯で命を落としたのか、詳しいことはまだわからない。しかし、コロナ禍が長期化するにつれ、支援の現場では「今もどこかで餓死者が出ているのではないか」という懸念を多くの人が口にする。私の属する「新型コロナ災害緊急アクション」では4月から相談メールを受け付けているが、SOSをしてくる人の中には、すでに「何日も食べていない」「餓死か首を吊るかしかないと思った」などと口にする人もいる。

 そんな中、殺害されたOさんが2月まで働いていたのがスーパーと聞いて当初は首をひねった。コロナで最も人手が必要になったスーパーでなぜ、失業したのか。しかし、その時に思い出したものがある。それは3月に全国コミュニティ・ユニオン連合会(全国ユニオン)が開催したホットライン(電話相談)。そこには以下のような相談が寄せられていたのだ。

「スーパーの試食販売に派遣されていたが、2月中旬から仕事がなくなった」

 女性からのものだった。コロナで真っ先に切られた仕事の中には、対面販売である試食も含まれたのだ。殺されたOさんもそのうちの一人だった。

 3月7、8日というコロナ禍初期に開催された電話相談には、他にも旅行会社の添乗員、テーマパーク、ホテル配膳、学校給食調理などで働く人からの相談が寄せられていた。こちらはみんな女性で、ほとんどが非正規。それを見た時、思った。これは女性のホームレス化が起きるのは時間の問題だと。

 女性たちの困窮は「働く女性の半数以上が非正規」という形で、コロナ禍以前から始まっていた。そうしてコロナ禍から時間が経てばたつほど、困窮を訴える女性たちの数は増え、その職種も増えていった。最初は飲食や宿泊業、小売業、イベント業などに集中していたのが、フリーランスのインストラクター、コールセンター、キャバクラ、風俗、またテレビ番組のADなどで働く女性からもSOSが寄せられるようになった。

 ちなみに2020年10月の労働力調査(総務省統計局)によると、非正規で働く人は前年同月比で85万人の減少。男性は33万人、女性は53万人減っている。これが7月の時点だと非正規は131万人減。男性50万人、女性81万人。職を失っているのは女性の方が多いのだ。もともと女性が多いこともあるだろうが、同じ非正規でも「女性の方が切りやすい」という雇い主の心理的な側面もあるのではないか。

 同時進行で起きていたのが、女性自殺者の急増だ。10月、自殺者は数年ぶりに2000人を上回って2158人に。うち女性は852人。驚くことに、前年同月比で82.8%増(警視庁調べ)。

 相談メールにも、日々「自殺か餓死かホームレスか刑務所か」といった最悪の四択まで追い詰められている様子が綴られている。男性からのものだが「自殺するつもりで荷物もすべて捨ててしまったが、死に切れなかった」という相談もあった。

 もし、自分だったら、と考える。コロナで収入が途絶え、周りの友人や家族も似たような状況なので頼ることもできず、家賃を滞納し、連日のように「出ていくか、滞納分をすぐ払うか」迫られ、携帯も止まり、日雇いの仕事に何度入ろうとしても一向にシフトに入れず、所持金も1000円を切っていたら。

 私たちが支援の現場で出会うことが多いのは、この状態から「最低限持てるだけのものを持って家を出た」という人たちだ。そうしてフリーWi-Fiのある場所からなんとか見つけ出した支援団体にメールをくれる。しかし、中には住まいを失う前、もしくは失って路上生活をする中で命を絶ってしまう人もいるのだと思う。それほどに、彼ら彼女らと「自殺」は近いと日々感じる。SOSをくれた人を公的支援に繋げた後、必ずと言っていいほど、「これでダメだったら今日自殺しようと思ってました」という言葉を聞くからだ。

 さて、自殺と同時に増えているのが「望まぬ性産業」だ。

 12月8日のHUFFPOSTの記事「新型コロナで、女性たちが望まぬセックスワークに追い込まれている 【イギリス・調査】」では、イギリスの実態に触れられている。慈善支援団体「チェンジング・ライブス」の調査によると、新型コロナウイルスによる生活苦でセックスワークに従事せざるを得なくなっている女性は増え、ロックダウン開始からの4カ月で、売春や性的搾取で「チェンジング・ライブス」に支援を求めてきた女性は83%も増加したという。

 コロナ禍での望まぬセックスワーク従事者について、日本では正確なデータはない。しかし、これだけ多くの非正規女性が職を失う中、増加しているだろうことは容易に想像がつく。店につとめるという形でなく、「パパ活」などの形でやっているとさらに表には出にくいだろう。実際、そのような女性から相談があったこともある。

 生活費のため、学費のため、家族のため、人知れずセックスワークに足を踏み入れる女性たち。コロナがなければ、おそらく性産業と無縁だったろう女性たち。一方、コロナで仕事がなくなり困窮して役所に相談に行った女性の中には、「身体を売れば」と言われたという人もいた。役所はいまだにこんなことを言っているのかと驚愕した。

 そこで思い出すのは昨年4月、お笑い芸人の岡村隆史氏の発言が炎上した件だ。ラジオ番組にて、「コロナの影響で風俗に行けない」というリスナーの声に答える形で「コロナが収束したら、ものすごく面白いことある」「美人さんがお嬢やります」などと発言。当然、大きな批判を浴びた。

 が、それから半年以上。岡村発言は、ある意味で当たってしまっている。

「でも、それで本人が食べられるならいいじゃん」と言う人もいるだろう。しかしそれは、「飢饉が来たら娘を売らねば」みたいな時代の言い分ではないだろうか。天保の大飢饉に襲われた江戸時代の村人が言うならまだわかるが、少なくとも21世紀であるならば、望まぬ性産業以前に手厚いセーフティーネットがあるべきなのである。

 先進国とはそういうことなのである。が、この国にはなぜか「江戸時代の村人」みたいな人がわんさかいる。ちなみにそんな「自己責任論」を「最先端っぽい」と思っている人は多いが、江戸時代が今以上の自己責任社会だったことはあまり知られていない。自己責任を強調する人は、江戸時代のメンタリティーの持ち主であり、時代錯誤もいいところなのである。このあたり、もっと知りたい方は木下光生『貧困と自己責任の近世日本史』(人文書院、2017年)を読もう。

 さて、コロナ禍の貧困は多くの女性を苦しめていることを書いてきた。そんな中、私は渋谷で殺害された女性の報道について、一つ看過しがたいものがある。それは『週刊文春』(2020年12月3日号)に掲載された報道。女性の殺害と加害者について報じた記事の一番最後にその言葉はある。

 それは〈流浪生活の果てに命を失ったOさん(引用者注・名前は仮名にしています)の痩せ細った遺体には、豊胸手術の跡が残っていたという〉という一文だ。引用したくなかったが、引用しないとなんのことなのかわからないので忸怩(じくじ)たる思いで引用した。

 これを読んだ瞬間、私は彼女が死後、侮辱されたような、2度殺されたような気持ちになった。撲殺された被害者でありながらも、こうした身体的特徴が描かれることに心底怒りを覚えた。そこからは、事件の被害者だろうとホームレスだろうと高齢だろうとなんだろうと「すべての女体は俺たちのエンタメ」という男社会のメンタリティーが匂い立つからだ。

 そもそも、この遺体の特徴について、なぜ情報が漏れたのだろう。想像するに、男性警察官が男性記者に言ったのではないか。その時、どんなふうに、どんな口調でその情報は漏れ伝わったのだろう。そしてあの記事が出るまで、どれほどの男性がその情報についてどんな顔で口にしたのだろう。

 女性というだけで、ここまで晒し者になる。女性とホームレスという、二重の差別がそこにある。なぜなら、私たちは今まで一度も「殺された男性の遺体には、包茎手術の跡がありました」なんて情報、聞いたことがないからだ。「頭部に植毛手術の跡がありました」だって聞いたことがない。そのほか、入れ歯とか盲腸の手術跡とかいろんなものがあるだろうけど、「男の肉体」について、そんな情報一度も聞いたことがない。

 デモの日、渋谷の街をキャンドルを持って葬列のように歩きながら、殺された女性のことを考えた。ある女性が掲げていたプラカードには、「彼女は私だ」とあった。「他人事じゃない」。この日、多くの女性が口にした。非正規で働いてきた女性、コロナで仕事を切られた女性たちも多く参加していた。

 このデモを主催した団体の一つは、渋谷・新宿周辺に住む女性ホームレス団体「ノラ 」。多くの人は、女性たちのホームレス団体があることすら知らないだろう。苦しい中だけど、女性たちは助け合って生きている。決して「弱い」だけの存在ではない。

 渋谷の街をキャンドルを持ったデモ隊が歩く光景は、クリスマスイルミネーションとマッチして綺麗だった。だけど、そんなキラキラしたイルミネーション瞬く渋谷の街は野宿者を排除し続けてきた歴史があって、Oさんもそんな渋谷で「排除」された一人だったという事実を思うと、綺麗なイルミネーションが、まったく違ったものに見えてきた。


斎藤幸平「私たちはコロナ後、元の生活に戻ってはならない」 ”人新世”とは何か?

2021年01月05日 | 生活

〈前篇〉(後編)が逆になってしまいました。こちらは対談ではないので別記事かと思っていました。本日アップしたのが〈前篇〉のようです。

AERAdot 2021.1.3 09:02週刊朝日

 「人新世(ひとしんせい)」という言葉が注目されている。地球が新たな時代に入ったことを意味するもので、環境危機と人類の文明をとらえ直すなかで広く議論が起きている。関連の著書もある気鋭のマルクス研究者、斎藤幸平・大阪市立大学大学院経済学研究科准教授は、新型コロナウイルスと「人新世」には深い関係があると分析している。その斎藤氏に、「人新世」について解説してもらった。

* * *

「人新世」とは、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンが提唱した時代区分で、人類の経済活動が世界全体に広がり、その痕跡が地球上のいたるところまで及んだ年代という意味です。

 地質学的にみて、現在の地球は約1万1700年続いた「完新世」の時代。それが新たな年代に突入したのではないかと議論されています。現在の経済活動、すなわち際限なく利潤を追求する資本主義が、それほど地球に大きな影響を与え、環境を破壊しているということです。

 なかでも、「人新世」の時代で地球に大きな影響を与えているのが、人類が大気中に排出している二酸化炭素で、気候変動という人類の存亡にも関わる大きな問題を引き起こしています。

 一方、2020年は、新型コロナウイルスが世界を襲いましたが、これも人新世と無縁ではありません。経済のために森林破壊を続け、人とウイルスの距離が近くなり、人やモノが移動することでパンデミック(世界的な大流行)が起きやすくなった。ただ新型コロナに関しては、ワクチンがパンデミックに終止符を打ち、私たちの生活は、まもなく以前の姿に戻れるのと期待されています。

 けれども、私は、元の生活に戻ってはならないと考えています。気候変動の観点から考えると、大量生産・大量消費・大量廃棄で、二酸化炭素を排出し続ける資本主義への逆戻りは、人類滅亡への道でしかないからです。

 すでに、世界の主要国は50年までに温室効果ガスの排出量をゼロにすると宣言し、日本政府もようやく同じ目標を掲げました。そうしないと、もはや人類文明が存続できないからです。けれども、気候変動の原因である資本主義そのものに挑まなければ、目標達成はできないでしょう。

 こういった話をすると、気候変動問題は科学技術で解決すべきで、そのためには資本主義をもっと発展させるべきだと主張する人がいます。この「緑の資本主義」の考え方は経済成長を加速させるわけですが、経済の規模が拡張を続ければ、二酸化炭素排出量は増加し、気候危機は止まりません。 

 日本はこれまで、先進国として大量に二酸化炭素を排出する生活を続けてきました。だからこそ、日本は世界に先駆けて“脱炭素・脱資本主義社会”を実現しなければなりません。新年となる21年は、地球規模の危機に立ち向かうことが求められています。

>>後編:内田樹×斎藤幸平「『人新世』の人類滅亡危機にマルクス経済学が必要になる理由」に続く

(構成/本誌・西岡千史)

※週刊朝日 2021年1月1・8日号掲載記事に加筆


今日の江部乙。

 


内田樹×斎藤幸平「『人新世』の人類滅亡危機にマルクス経済学が必要になる理由」

2021年01月04日 | 生活

AERAdot. 2021.1.3

「人新世(ひとしんせい)」という言葉が注目されている。地球が新たな時代に入ったことを意味するもので、環境危機と人類の文明をとらえ直すなかで広く議論が起きている。関連の著書もある気鋭のマルクス研究者、斎藤幸平氏は「新型コロナウイルスも人新世時代の問題のひとつにすぎない」と指摘する。思想家の内田樹氏とともに、人新世時代の日本と世界を語り合った。

>>前編:斎藤幸平「私たちはコロナ後、元の生活に戻ってはならない」“人新世”とは何か?

* * *

内田樹氏:『人新世の「資本論」』(集英社新書)をはじめ、斎藤さんの著書で「そうそう」と膝を打って同意したところに全部付箋を貼ったら、マーカーとして無意味になるくらいにたくさん貼ってしまいました。この1年、パンデミックによって今の文明社会の脆弱性は誰の眼にも明らかになったなかで非常にタイムリーな警鐘の書だと思います。

斎藤幸平氏:先進国は資本主義の負の部分を途上国に押しつけてきましたが、いよいよ「気候変動」や「パンデミック」という形のしっぺ返しが来るようになったのです。地球上のどこにいても気候変動やパンデミックの影響から逃れられない。それが人新世です。

内田:ええ、新型コロナも文明と自然の関係の歪みの現れです。人間と野生動物を隔てる距離が失われたことから生まれたわけですから。

斎藤:そうさせたのが、利潤を第一に考える資本主義です。

内田:感染症防止の原理だけ考えれば、それはシンプルなんですけどね。感染経路を遮断すること、それだけです。マスクも、ソーシャル・ディスタンシングも、ロックダウンも、すべて「距離をとる」こと。適切な距離をとることの大切さを今回のコロナ禍は教えてくれたと思います。

斎藤:その一方で、これまで日本人が「見ようとしなかったもの」について、もっと距離を近づけて考える必要も明らかになっています。私たちの資本主義の犠牲になっている「グローバルサウス(南半球の発展途上国)」に住む人は、日本に商品を輸出するためにどんな“ゆがみ”を引き受けているのか。国内でも、医療従事者や流通関係者など「エッセンシャルワーカー」に負担を押しつけていることが再認識されました。

生活を支えてくれている人たちと、私たちはもっと心の距離を縮める必要がある。それが、資本主義が持っている負の部分を可視化していくことにつながると思うんです。

内田:気になるのは、世界の若者たちが気候変動問題や格差の解消を求めて積極的に声を上げているのに、日本の若者には動きが見えないことです。11月の世論調査では内閣支持率が一番高かったのは18歳~29歳の年齢層で、支持率80%でした。日本では若いほど現状肯定的という例外的な現象が起きています。

斎藤:気候変動の影響を受けるのは、今後さらに進む地球温暖化の地球を生きなければならない若い世代なのですが……。気候変動の問題では、スウェーデンのグレタ・トゥンベリさん(17)が注目され、彼女たちの活動の影響で欧州では気候変動問題の議論が大きく前進しました。

内田:日本の若い人たちも菅政権を熱狂的に支持しているわけではないと思います。ただ、自分一人が行動することで社会が変わるはずもないという無力感に蝕まれていて、現状肯定以外の選択肢がなくなっている。

斎藤:人新世の時代になっても、いまだに日本人は、自分は勝ち組に残れると思っている。もっとも、こう考えるのは若い人だけではありませんが……。

内田:行動のきっかけになるのは「自分がやらなければ、誰がやる」というおのれの現実変成力についてのいささか妄想的な評価です。自分の運命と世界の運命はリンクしているという現実感覚がないと人はなかなか動き始めることができない。

 気候変動に対する運動も、先人から受け継いだ地球環境を汚し、傷つけたかたちで後続世代に手渡すことは許されないという責任感にドライブされている。でも、そういう使命感や責任巻は「個人の行動から世界が変わることがある」という期待がないと生まれてこない。

 かつては、血縁共同体や地縁共同体のような中間共同体が個人と社会を「つなぐ」装置として機能していました。だから、個人の働きが中間共同体を通じて社会的な広がりを持つということがあり得た。でも、中間共同体が解体し、市民が原子化したことで個人の無力感が深まり、それが社会的な行動を始める意欲を殺いでいるのだと思います。

斎藤:個人は、グローバル資本主義のもとで経済活動を担う“歯車”になってしまった。

内田:中間共同体の解体は私たち自身が選んだことです。地縁や血縁に縛られたくない、自分の思い通り自由に生きたいという人びとの要請に従って、親族共同体も地域社会も終身雇用の企業もなくなった。でも、そういうものを全部壊してしまったら、今度は守ってくれるものが何もない裸の個人が国家権力や大企業と向き合うことになった。

斎藤:それはまさに、カール・マルクスが言っていたことです。資本主義が発展し、人びとが共同管理していた「コモン(共有財)」や「アソシエーション(共同)」が解体され、多くの人の暮らしはむしろ悪化しました。

 「コモン」とは、あらゆる人々が必要としているもの、たとえば水や電力や教育・医療などのことですが、それをみんなで民主的に管理することで、かえって人々は豊かになる。格差や生きづらさを生む資本主義から脱出して、豊かな人間らしい生活が可能になるはずです。

内田:もう一度身近なところから中間共同体を再構築してゆかなければ生きづらさは解消しないと思います。「コモンの再生」という言葉に託しているのはそういうことです。

斎藤:地縁や血縁がなぜつらいかといえば、それは「選べない」からなんですよね。どうしても共同体が閉鎖的になり、抑圧性や排他性を持つ。だからこそ、排他的・抑圧的ではない中間共同体が必要。コモンを21世紀版にアップデートしなければなりません。

内田:世界の成り立ちについての情報も公共財でなければならないと思います。世界について教えるほんとうに重要なアイディアはアクセスフリーでなければならない。私自身はネット上で公開しているテクストはすべてコピーフリーです。私のアイディアを誰かが自分のものとして発表してもらっても全然構わない。大事なのは情報が共有されることなんですから。

斎藤:知識以外にも、公園や図書館、市民電力、共同農地やカー・シェアリングなどいろいろなものをシェアする文化を取り戻す必要があると思います。

内田:先ほど「距離をとる」ことのたいせつさを指摘しましたけれど、危険なものと適切な距離をとることを漢字では「敬」と書きます。「鬼神は敬してこれを遠ざく」という言葉が『論語』にある通り、よくわからないものにはうかつに近かづかず、ていねいに観察し、適切な手順で応接することが身を護るためには必要です。ソーシャル・ディスタンシングのように他者と適切な距離をとることも「敬」ですが、その一方、親族でもなく隣人でもない人たちと中間共同体を構成して、公共的な活動をしようと思うなら、そこにも「敬意」や「慎み」が必要になります。「適切な距離をとること」が人新世の基本的なマナーになるのかなと私は考えています。

斎藤:今は、ネットでつながっているけど、結局みんなバラバラで、孤立していますもんね。人新世の危機が深まるなか、資本主義から地球というコモンを守り、再生するための野心的な試みがますます重要になってきているのです。

(構成/本誌・西岡千史)

※この記事は、2020年11月28日に内田氏が主宰する道場「凱風館」で行われた対談を再構成したものです。

内田樹(うちだ・たつる)

1950年生まれ。神戸女学院大学名誉教授。思想家、武道家。凱風館館長。専門はフランス現代思想、教育論など。近著に『コモンの再生』(文藝春秋)。2021年1月7日に『日本戦後史論』(朝日文庫、白井聡氏と共著)を発売

斎藤幸平(さいとう・こうへい)

1987年生まれ。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。現在は大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。専門は経済思想、社会思想。近著に『人新世の「資本論」』(集英社新書)

※週刊朝日 2021年1月1・8日号掲載記事に加筆


今日の江部乙。

 午前中は少し陽も差したたが、昼頃からまた雪。高速道も美唄-滝川間、吹雪のため通行止め。視界がなくなる前に、おにぎりを食べて帰ってきた。


音楽家 坂本龍一さん       資本主義を問うとき

2021年01月03日 | 生活

「しんぶん赤旗」発言2021 2021年1月3日

 平和から環境、人権、災害復興と多彩な発言・行動を続ける音楽家の坂本龍一さん。コロナ感染が世界的に広がり、社会のあり方が問われるなか、「資本主義のあり方を根本的に見直さなければ人類の未来はない」と訴えます。思いを聞きました。(加來恵子)

 コロナ感染拡大で、貧困と格差、地球温暖化、差別などさまざまな問題が明るみに出ました。

 資本主義が行き着いた「ニューリベラリズム(新自由主義)」の政策は、効率を何よりも優先して福祉や教育を切り縮め、医療体制を脆弱(ぜいじゃく)なものにしてきました。

 日本政府は、コロナ感染の第2波・3波を予測できたにもかかわらず、医療体制を強化したり、PCR検査を拡大することもせず、ただ「自粛」を呼びかけただけでした。

 教育や福祉が無料のドイツ、フランスでは深刻な医療崩壊は起きていません。感染が拡大しても部屋やベッド、人員も余裕があったからです。医療や教育、命の安全保障をきちんとやっている国では、パンデミックが起きたとしても、乗り越えられるのです。

 これに対し、日本の菅政権が掲げるのはまず「自助」、そして「共助」、最後が「公助」です。要は、国は何もしないという宣言です。

 自己責任論が強烈に振りまかれたのは、2004年のイラクでの日本人人質事件だと思います。アメリカでさえ自国のジャーナリストが捕まれば救出に行きますよ。日本は危険なところに行った人が悪いと言わんばかりに突き放しました。

 2001年、小泉「構造改革」路線で竹中平蔵氏を起用し、労働者派遣法を緩和したり、「医療制度改革」などを行い、「派遣切り」や働いても生活できないワーキングプアの人たちが広がり、貧困と格差を広げてきました。

 貧困問題も、コロナに感染しても自己責任。コロナに感染したら、まず、感染した人に手を差し伸べるのが普通の社会ですよ。歴代の自民党政権が、経済合理主義を推進し、自己責任を押し付けてきた。コロナがその問題をあぶりだしたのです。

 PCR検査ができない先進国なんておかしい―と全国民が政府に対して問うべき大問題です。他の国だったら大規模デモが起きていてもおかしくない。

 大事なことは野党が自民党に対して立ち向かうこと、一大勢力としてまとまって対抗してほしいと思います。

政府の文化・科学軽視 目に余る

原発事故・コロナ禍 いま音楽は

望む社会考え 声あげるべきだ

 安倍政権から振り返ってみて、安保法制や共謀罪法などが強行採決されたことも問題ですが、法の解釈を数人の内閣で変えてしまうことが次々行われていることが、もっと問題だと感じています。

 「国会は国権の最高機関」だと日本国憲法に書いてあるにもかかわらず、その解釈を勝手に変えてしまう―これは憲法違反だと思います。

 アメリカでさえ、何びとといえども法の上に置いてはいけないということを守っていますよ。超保守の最高裁の判事でさえそんなことはさせないのです。

 自民党は世代交代をして、戦争は絶対してはならないという人たちがいなくなってしまった。今や明治憲法に戻れという日本会議に席巻されています。

 また、政府は文化芸術に対する評価が低く、教育や科学軽視は、目に余るものがあります。

 学術文化にお金を出したくない。軍事研究にはお金を出すが、他には出さないと言いだす始末です。

 これに対して、国民にとって常識的なことを言っているのは、日本共産党ぐらいしかないと思っています。

 選挙の時、webで自分の考えと近い政党はどこかというアンケートをやると、必ず日本共産党になるわけですよ。96%くらいは、日本共産党の政策と一致するのです。

 僕は共産党が党名を変えたら支持率が格段に上がるのではと思っています。僕自身にアレルギーはないけど、党名にアレルギーがある人はとても多いと思うので。党員のみなさんは誇りがあるので手放したくないというのも分かりますが。資本主義の在り方を見直すという立場は理解できます。こういう時代だからこそ共産党には頑張ってほしいんですよ。

 福島の原発事故後、岩手、宮城、福島の3県の小・中・高・大学生を集めて「東北ユースオーケストラ」を主宰しています。

 演奏会のたびに、「坂本さんはなぜ東北に固執するんですか」と聞かれますが、結びつきができるとさよならともいえませんし、何より東北の惨事はまだ終わっていません。苦しみや悲しみは10年たとうが20年たとうが、癒えません。復興とは言えないし、失ったものは多いのに簡単には終わらない。僕は寄り添うしかできない。

 しかし、2020年も今年もコロナ感染拡大のためコンサートが開催できません。コロナ禍で、音楽を楽しみ、演奏したり、歌ったりできなくなりました。

 例えば、年末にベートーベンの第九を歌いますよね。100人くらいの合唱団と100人くらいのオーケストラ。大きな声を出し、飛沫(ひまつ)を飛ばして。「世界中の兄弟、姉妹、抱き合おう」と歌う。

 しかしコロナ禍において、もっともふさわしくない音楽の一つになってしまった。

 そもそも音楽は、密集して、寄り添って演奏し、聴く側も寄り添って音楽を浴びるというのが本来の姿だと思いますが、それができないとなると大問題です。音楽のあり方はどうすべきかを模索しています。

 核兵器禁止条約が1月22日に発効します。日本政府に対し、禁止条約に参加を迫る署名の呼びかけ人になりました。核兵器は使ってはいけないし、廃棄しなければいけないと思います。「抑止力」という現実政治としての役割もわかりますが、核兵器に頼って危うい均衡を保っている世界は異常な状態だし、絶対によくない。

 幸福の最も基本的なことは、地球上の全ての人が、安全に平和に毎日を送れることであり、それには、誰も異存はないと思います。

 そのためには、安全な水、食料、衣食住、環境が必要です。

 病気になれば、医療も必要です。核兵器はその対極にあります。早く終わらせなければいけません。誰もが安心して暮らせる世界に移行するために、核兵器はなくさなければいけませんよ。

 これまではニューヨークの自宅の庭から街の喧騒(けんそう)が聞こえていましたが、ロックダウン(都市封鎖)で人間の活動が制限されたことで、街が静かになり、鳥の鳴き声がよく聞こえてきました。

 アメリカの温暖化ガスの排出量もこの30年間で最も少なくなりました。

 コロナ禍により、経済活動が制限され、困窮された方も多いとは思いますが、一人ひとりに余裕のある生き方は、自分の体にも自然環境にも優しくなります。

 何十年も突っ走ってきた暮らし方、社会のあり方を変えても、暮らせるとわかった人は多いはずです。

どんな暮らし方をしたいか、どんな社会を望むのかをこの機に考え、声をあげていくべきだと思います。

 さかもと・りゅういち 1952年生まれ。東京芸大大学院修士課程修了。78年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMО)に参加。83年に散開。映画「戦場のメリークリスマス」で英国アカデミー賞作曲賞受賞。映画「ラストエンペラー」でアカデミー作曲賞、ゴールデングローブ賞受賞。環境問題や脱原発などさまざまな社会的問題にも取り組み、東日本大震災の被災地支援として「東北ユースオーケストラ」などの活動も続けています。


 今日は天候も悪く、風も出るような予報でしたので江部乙にも行かず、籠っています。


もう、服は買わない! おしゃれより大切なこと

2021年01月02日 | 生活

コートニー・カーヴァー:作家、ミニマリスト 栗木 さつき:翻訳家

DIAMONDonline 2021.1.2 4:20

    たくさん服はあるのに、今日着る服がないのは、あなたが服を持ちすぎているからかも?

    新しい服を買うのをやめて、手持ちの服だけで過ごしてみると、意外と定期的に買い続けなくてもおしゃれはできるということが分かってきます。NYで話題の必要最小限の、確実に着る服だけのワードローブのつくり方「プロジェクト333」を紹介した書籍『もう、服は買わない』が2020年12月16日に発売。今回はその中から、新しい服を買っても満足できない理由の一つをご紹介します。

服は、何も解決してくれない

    かつての私は着ている服で自信を得ようとしていました。われながらイヤになりますが、以前の私は「好印象を与える」ために服を選んでいたのです。自分が本当に着たいと思っている服や、こんなものがふさわしいと思っているアイテムではなく、人から期待されていそうな服、人に感心してもらえそうな服、私の役割にふさわしいと思ってもらえそうな服を優先していました。

    ところが、「3ヵ月33アイテムで過ごす」ようになってから、真の自信は外見からくるものではないことに気づいたのです。デキる女に見せるためのハイヒール、セクシーだと思われるための新しいワンピース、自信を持ってプレゼンに臨むための新しいジャケット……。そういったものに自信を持ってはなりません。ありのままの自分に自信を持つのです。

    「より少ない」服で過ごすようになれば、自然と自信が持てるようになります。今すぐ「服を買うのをやめる」ことも、「服を減らす」こともまだできそうにないという方も、とにかく「より少ない」ワードローブの実現に向かって小さな一歩を踏み出してみましょう。少しずつ積み重ねていくからこそ、自信が生じてくるのですから。

    『もう、服は買わない』では、「3ヵ月33アイテムで過ごす」ための服の減らし方、必要最低限のワードローブのつくり方、無駄買いや衝動買いを防ぐ方法などたくさんご紹介しています。「服はたくさんあるけど、着る服がない!」「着ない服を手放して、身軽になりたい!」という方はぜひ参考にしてみてくださいね。

欲しいのは、本当に新しい服ですか? ――訳者より

    「3ヵ月間、33のアイテム(小物、靴、アクセサリーも含める)だけで過ごすファッションチャレンジ」。そう聞いたら誰もが「無理……」と思ってしまうのではないでしょうか?

    著者のコートニー・カーヴァー自身も、最初はそんなストイックなことができるとは思っていませんでした。だって彼女は、広告代理店の幹部として働きながら、いいことがあったと言っては買い、仕事で必要だからと言っては買い、なんだかパッとしないから買い……と、服を買い続け(しかもローンで!)、クローゼットに服を押し込み(値札がついたままのものもたくさん!)、ついに服が家中にあふれ出すほどになっていたのです。私たちと同じように、服は、彼女にとって楽しみであると同時に悩みの種であり、解決すべき課題でした。

    そんな彼女がいかにして「プロジェクト333」というメソッドを編み出し、服の問題を解決したのか。そして服だけにとどまらず、健康や借金、住居の問題までをも解決し、さらに新しい仕事を始め、ライフスタイルまでも変えるに至ったのか―その興味深い過程が、この本には書かれています。

 服って、改めて考えてみると不思議です。なぜ、少しでも細く見せたいの? なぜ、「仕事ができる」風に見せたいの? なぜ、トレンド感を出したいの? なぜあなたは、「この服を着れば自信が持てる」と思うの? 私たちは、服を着ることでさまざまな自分を演出しています。でもそれは、もしかしたら「本当の自分」を置き去りにすることになっていない?と、著者は問いかけます。「素敵な自分」になるために必要な気がする新しい服、新しいコスメ、新しいアクセサリーに新しい靴。でも、「これだわ!」と思ったそのアイテムを手に入れて、あなたは思い通り素敵になれたでしょうか。もしかしたら素敵になれたのは一瞬で、しばらくしたらまた新しい「何か」を探し続けていないでしょうか?

    「プロジェクト333」は、そんな気づきを私たちに与えてくれます。そして、実は、新しい服を買うことでは人生も現実も変わらない。それよりも、自分に向き合って、ものごとを選び直していくことで変われるんだということがわかってくるのです。もしもあなたが、「服はたくさんあるのに着るものがない!」というおなじみの悩みをお持ちでしたら、まずは「ワードローブを減らす」ことから始めてください。減らし方は本書にばっちり書かれています。そして3ヵ月後、あなたはきっと大切なことに集中できるようになり、創造性を発揮しながら毎日を送れるようにもなっているはず。

 

コートニー・カーヴァー(Courtney Carver)

作家、ミニマリスト

    2006年に多発性硬化症の診断を下されたことをきっかけに、自分の生き方を見直す。2010年、シンプルな生活を提案するブログ“Be More with Less”を開設。ミニマリスト関連のブログで世界屈指の人気になる。その後、厳選したアイテムで自分らしいおしゃれを楽しむファッション・チャレンジ〈プロジェクト333〉を発案。ファッションをきっかけにシンプルで豊かな生き方を見つけるこのメソッドは、多くの人に影響を与え、世界中のファンが #project333 というハッシュタグをつけて自分のワードローブをインスタグラムに投稿し続けている。著書に“Soulful Simplicity: How Living with Less Can Lead to So Much More”(未邦訳)などがある。

栗木さつき 翻訳家

    慶應義塾大学経済学部卒業。訳書に『100万人が信頼した脳科学者の絶対に賢い子になる子育てバイブル』『バレットジャーナル 人生を変えるノート術』『SINGLE TASK 一点集中術――「シングルタスクの原則」ですべての成果が最大になる』『超一流の諜報員が教えるCIA式極秘心理術』(ともにダイヤモンド社)などがある。


「福袋」が話題になる時期です。それでも今年は「三密」を避けるために?どうでしょう?そして忘れてほしくないのは、ほとんどが石油からできているということです。


今年もよろしくお願いいたします。「農」を始めよう。

2021年01月01日 | 自然・農業・環境問題

「半農半X」が日本の農業強化の“切り札”に コロナ下の地方志向も追い風

  澤田晃宏2020.12.29 08:02AERA

 高齢化で細る農業の生産現場を強化しようと、政府が政策を転換した。新たな担い手に、別の仕事を持ちつつ農業もやる若い世代を期待する。コロナ下の地方志向も追い風になっている。AERA 2020年12月28日-2021年1月4日合併号の記事を紹介する。

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 島根県西部の中山間地域に位置する人口約1万人の邑南(おおなん)町。面積は約420平方キロメートルと県内で最も広く、86%を山林が占める。そんな自然豊かな村でとれた酒米と天然の湧き水で醸造した地酒を造る池月酒造(邑南町阿須那)で、2013年から沼田高志さん(31)は働いている。

 ただ、酒蔵で働くのは毎年11月頃から3月まで。その他の期間は、農家として働く。昨年は売り上げから経費を差し引いた農業所得が約230万円、酒蔵で蔵人(酒造りに携わる職人)として働く収入が約120万円あった。

 沼田さんは兵庫県出身。農家になりたいと、支援制度の整った島根県に移住したIターン者だ。今では邑南町で知り合った妻との間に子どもを授かり、農業の規模を拡大しながら、邑南町で自立就農する予定と話す。

「冬場は雪が多く、露地野菜の栽培は困難です。逆に冬場に繁忙期を迎える酒蔵で働くことで、安定した収入を確保することができ、家庭を支えるだけの収入を得ることができます」

■専業重視の農政を転換 多様な人材農業に呼び込む

 今、農業は大きな転換期を迎えようとしている。政府は3月、農政の中長期ビジョン「食料・農業・農村基本計画」を閣議決定し、30年までに食料自給率をカロリーベースで37%(18年)から45%に、生産額ベースで66%(18年)から75%に高め、農林水産物・食品の輸出額を5兆円まで伸ばすなどの数値目標を掲げた。

 ただ、生産現場の状況は脆弱極まりない。農林水産省の「農林業センサス」(20年)によれば、主な仕事が農業である農業従事者は5年間で約40万人減少し、約7割が65歳以上。耕作放棄地は滋賀県の面積とほぼ同じ約40万ヘクタールに拡大するなど、農業者の減少と高齢化に歯止めがかからない。

国内農業の生産基盤の強化が不可欠な中、新たな農業の担い手として期待されるのが、沼田さんのように農業を営みながら他の仕事にも携わり、合わせて生活に必要な所得を確保する「半農半X」などの多様な人材だ。

 農水省は今年4月、「新しい農村政策の在り方に関する検討会」を設置し、半農半Xの本格調査を開始。同検討会座長で、『農山村は消滅しない』などの著書がある明治大学の小田切徳美教授(農政学・農村政策論)は言う。

日本の農政は戦後一貫して専業農家の育成が中心で、兼業農家を減らす方針でした。それが、農水省が自ら指揮をとり、半農半Xの本格調査を始めるなど、大きな転換点と言えます

 折しも、新型コロナ感染拡大の影響で「低密」な地方に注目が高まり、農業への関心も高い。在宅勤務の普及で働き方も変わるなか、農業大国・北海道も動き出した。JAグループ北海道は「農業をするから、農業もする時代へ」をキャッチコピーに、別の仕事をしながら農業をする人を「パラレルノーカー」と位置づけ、7月には公式サイトを開設するなど、その普及に努めている。JA北海道中央会JA総合支援部の林亮年(あきとし)課長はこう話す。

「コロナの影響で外国人技能実習生の入国にも制限がかかり、人手不足が深刻化しています。観光産業や飲食業が大打撃を受ける中、副業の一つとして農業に関心を持ってほしい」

■最大のハードルは所得確保 資金と就職の両面で支援

 半農半Xの広がりが国内農業の生産基盤の強化につながるのか。その答えを探るべく、全国に先駆け半農半Xを農家の担い手として位置づけ、手厚い支援を準備する島根県に向かった。

 島根県では10年から、半農半X支援事業を開始。県外からのU・Iターン者で、就農時の年齢が65歳未満、販売金額50万円以上の営農を目指す人などを対象に、就農前、就農後のそれぞれ最長1年間、月額12万円を助成し、営農に必要な設備費用も上限100万円を助成している。島根県農業経営課の田中千之課長はこう話す。

「U・Iターンでの移住者が新規で農業を始めるにあたり、栽培技術の習得や、農地、販路、住宅の確保等の様々なハードルがありますが、最も大変なのが所得の確保です」

 島根県は今年3月末時点で、74人を「半農半X実践者」に認定、うち68人が現在も県内各地で半農半Xに取り組む。実践者の家族を含めると、これまでに119人が島根県に移住、定住している。田中課長は言う。

「これまでは農業の担い手を育成する産業振興的視点と、半農半Xなどの移住定住に重きを置く地域振興的視点の両輪を支援してきたが、その両輪の間にある、すぐには担い手になれないが、将来的に担い手になるような定年帰農者などの育成支援もしていきたい」

 ただ、課題もある。県による実践者へのアンケートによれば、移住前に比べ生活の幸福感は格段に上がっている半面、所得面の満足度は低い。半農半X実践者68人のうち、X部分の最多は新聞配達やホームセンターなどで働く「半農半サービス」で、農業法人などに勤務する「半農半農雇用」が続く。

「X部分は本人のやりたいことが中心になりますが、地域の実情に合わせた支援も行っています」(田中課長)

 その一つが「半農半蔵人」だ。酒造りを支える蔵人は、冬場に仕事の少ない農業者にとっては最適で、酒蔵も繁忙期の季節雇用者が確保できる。島根県では、県内の酒造会社に声をかけ、季節労働者の求人を集約。半農半蔵人を募集している。冒頭の沼田さんも、それに応募した一人だ。

「例えばお米を作るために必要な農機具を揃えようとすれば、2千万円近くの設備投資が必要になります。栽培技術もなく、農業収入が見込めないなかでの新規就農は難しい。所得を補填する仕組みがあれば、農家として独立を目指すこともできます」

 沼田さんは半農半Xの実践者として2年間、助成金をもらいながら生計を立て、その後は農家としての独立を目指し、国の「農業次世代人材投資資金」(以下、人材資金)を受給している。

 次世代を担う農業者となることを志向する49歳以下の人を対象とした交付金で、就農前の「準備型」と、就農後の「経営開始型」の2種類がある。準備型は最長2年、経営開始型は最長5年間、年間150万円の給付が受けられる。すでに半農半蔵人として農業経験を積んだ沼田さんは経営開始型を受給した。受給には、5年目までに農業で生計が成り立つ実現可能な計画を立て、市町村から認定を受けるなどの交付条件がいくつかある。

「半農半蔵人として月額12万円助成を受け、家賃7200円の町営住宅に住み、就農に向けた経験を積み重ねることができたことで、人材資金の対象となり、今では自営就農で独立できるまでになりました」(沼田さん)

■「地方で起業」志した夫妻 農地継承+民宿などで自立

 農業の担い手確保に対する支援には都道府県差はあるが、人材資金は国の制度だ。農業未経験から人材資金を活用しながら、半農半Xでの自立にたどり着いた夫婦を訪ねた。

 徳島県勝浦町のみかん農家、石川翔さん(32)、美緒さん(33)夫妻は、東京からの移住者だ。ともに会社員として働いていたが、いつかは独立して、夫婦一緒に働きたいと考えていた。翔さんはこう振り返る。

「東京での起業は家賃などの固定費も高く、常に流行り廃りに左右されてしまいます。視野を広げ、地方での起業を考えました」

 移住先は寒さが苦手だったことから、温暖な地域を候補とした。とはいえ移住先でどう生計をたてるのか、具体的なイメージはない。半年程度、働かずとも暮らしていけるだけの蓄えはあったが、起業のための十分な資金はない。

 そんななか、15年8月に四国の移住相談イベントに参加し、勝浦町の移住相談員と出会った。そこで提案されたのが、高齢で事業が継続できないみかん農家の後継者探しだった。

「正直、農業はまったく考えていませんでしたが、すでに収穫できる畑を引き継ぎ、販路もある。最初から夫婦で収入を得ていけることに魅力を感じました」(翔さん)

 翌月には実際に後継者を探す農家を訪問。年間400万~500万円の売り上げが見込め、経費は100万円程度と聞いた。住む場所も準備され、家賃は農地の賃借料を含め年間数万円。これならやっていけそうだと、夫妻はそれぞれ会社に辞職届を出し、16年4月に勝浦町に引っ越した。役場のサポートも受けながら経営計画を立て、人材資金(経営開始型)の交付も決まった。夫婦の場合は年間225万円だ。

「畑をそのまま引き継げると言っても、車を買ったり、借りた古民家の改修をしたりで貯金はほぼなくなりました。人材資金がなければ、早くに生活に困っていたかもしれません」(翔さん)

 夫妻が栽培するのは収穫時期の遅い晩生みかん。収穫は11~12月ごろで、初めて現金収入を得たのは17年に入ってからだ。当初は出費ばかりだが、人材資金が夫婦の生活を支えた。

 ただ、人材資金の受給は20年で最後。19年は青果販売で420万円を売り上げたが、半分以上は経費で消える。夫妻は人材資金に頼らず生計を立てる準備を進めており、自宅1階を農業民宿に改装し、古本屋も始めた。そのほか、お祭りのときに屋台を出したり、自ら習得した床張りのワークショップを開いたり、昨年は「X」部分で約100万円を売り上げた。翔さんは話す。

「いろんな仕事もしながら、耕作面積を増やして所得を上げ、家計を安定させていきたい。地方なら手取りで400万円も稼げば、贅沢な暮らしができます」

 全国農業会議所による「新規就農者の就農実態に関する調査」によれば、就農1年目に要した費用の平均は569万円。一方、新規就農からおおむね10年以内の平均農業所得は年109万円で、「おおむね農業所得で生計が成り立っている」新規就農者は全体の24.5%に過ぎない。農水省の庄司裕宇(ひろたか)・農村計画課長は言う。

「コロナの影響で田園回帰の流れが加速している。400万円程度の所得が確保できるような支援策やモデルを提示できれば、新たな担い手としての半農半Xが増えていくのではないか」

 コロナ禍も追い風に、半農半Xが農業強化の切り札になろうとしている。(フリーランス記者・澤田晃宏)

※AERA 2020年12月28日-2021年1月4日合併号


 わたしが就農したときも多様性を認めない「専業農家」一辺倒の時代だった。「X」をはじめれば、やめよと圧力がかかった。ようやく、の感がある。今、コロナ禍の時代「業」としての「農」ではなく、「家庭菜園」、「自給自足」、「安全性」、「地球を守る」等、多様性のある「農」の確立が必要だと思う。「農」に年齢はあまり重要ではありません。何歳からでも始められるのが「農」です。