立春の初めての牛の日が初午なのだが
この日の行事は子ども達の為に一番それに近い日曜日が選ばれた
田舎の事だから 昔からの家と家の繋がりが大事にされる
むしろそうした濃さの差こそあれ様々な人間関係の
繋がりの中に互いに守りあって生きてきたのである
其の同姓者の集団を「牧」と呼んだ
牧は5つあった
ただ同姓であっても土着でなく やや後世になって移住してきた人たちは血筋とは言えない
この牧の仲間には加えられなかったようで 簡単にいえば 血筋の集団と言うことだ
我が家の牧は 六軒の家だった
毎年の祭りの順番は決まっていて
朝 担当の家に集まり 女達は台所に入って御馳走の準備をし
男たちは祭りの準備にかかり お神酒やお供物を持って
子ども達を連れて 先祖をまつる祠にお詣りに行く
我先祖の神は裏の天狗山の登り口の森にある
大きな橡の木が一本 その傍らにあららぎの古木があって
その根本に石の祠がある
又 天狗山へ登る径から石段があり その上に小さな鳥居もある
総本家の神官である当主が祝詞を挙げて皆で礼拝し
一番重要であろう 祭の行事が終わる
帰ると餅つきが始まる
あんころ餅・大根おろしに醤油をかけた辛味餅になった
これと オノッペとかオヌッペと称する のっぺ汁が慣わしだったように思う
そして午後三時から酒肴の用意がされ 大人たちの酒盛りが夕飯迄続き散会になる
子ども達も楽しく遊ぶのだが
必ず造られた甘酒の事が今でも記憶に残っている
☆牧には名前がついているが 今回は隠しました
何時か機会が来れば書き出したいと思います
その一端は ウィキペディアに載ってたり・・・
牧については 僕の記憶はありませんが
牧に使った食器や漆器、御重類はお蔵に沢山ありました
酒盛りに使った 徳利やおちょこなんて山のようでした
漆器は 僕の家に 2箱持ってきています
やはり 親父と向き合うべきでした