京セラ名誉会長・稲盛 和夫さんの記事が新聞に書かれていました。
ご参考になさってください。
いい時も、悪いときも、ウソでもいいから「ありがとう」と言ってみる。
まず自分が心地よい。
明るくなって、周囲も嬉しくなり、生活にうるおいが満ちてくる。
この快感は、欲望を満たした時とは違ってさわやか。
これが心を磨くことなんです。
人生とは、一生かけて心を磨くこと。
努力は「負けないため」ではなく、「生きるため」。
先日、道ばたの石垣で咲く、小さな花を見つけ、わずかなすき間に、
根を生やした命のたくましさに、胸を打たれました。
自然界は、必死でないと生き残れない。
私は必死の努力で、不可能が可能になる瞬間を味わってきた。
「強者に負けた」ようでも、「生きる努力が足りない」、から敗者になる。
敗れても人生が終わるわけじゃない。
そこで気づくことがあれば、
次は必死になり、生きていること実感できます。
*** 朝日新聞より・抜粋にて ***
共感を得たことは、私も最近は同居人に「ありがとう」、の言葉を
多く言うようになっているからです。(ウソでも・・・ではなく・・・)
何もしてくれないとか、不満に思うより、洗濯物を入れてくれたときに、
(珍しいとか思わず・・・に)
「ありがとう」のひとことを使うようになったのです。
そのうちに、タオル類をたたんでくれるようになりました。
この「ありがとう」、のひとことを使うようになってから、お互いの心の中に、
心優しさを、もたらしていると、感じています。
霞ヶ浦公園の花菖蒲です
一緒にいますと、感謝の気持を忘れて、不満ばかり
大きくなりで、私も反省でした。
他の人には、「ありがとうございます」の言葉が
自然に出ていますのに、同居人には・・と気づいた次第です。
あややさんのほうが、早く気づいて実行されていたのですね・・・。
このサボテンは、母が育てていたものを、引き継いだものです。
サボテンも、翌朝には萎んでしまう短い命ですので
自分の美しさを、精いっぱい見せているのでしょうね。
手がかからずで、8月頃までに、また咲いてくれると思います。
私も何年か前ふと気づきました。
同居人へのありがとうを・・・
いつも当たり前のようになっていることに対して
ありがとうの一言で気持ちが伝わります。
自分にかかわったすべての人たちにも
ちょっとした事に対してもありがとうの一言
とても大切なことですね。
花菖蒲とてもきれいです。
サボテンもこんなに沢山咲くのですね。
我が家ではひとつ咲いて喜んでいました。
「ありがとう」のひとことで、人間って変わってくれる、ということ、身近に感じています。(笑い
「ありがとう」から、いろいろなつながりが出来る場合も、あるかもしれませんね。
私のほうこそ、あやのすけさんのコメント嬉しく、
「ありがとうございます」、と言わせてくださいね。
そう言えばmotokoさんはいっつもブログのコメントにありがとうと書いて下さってますよね♪
こちらこそ、「いっつもステキなコメントありがとうございます」ですのに(笑)