
落合恵子さん(作家)が、朝日新聞の「積極的その日暮らし」、
のエッセーに、下記のことが、書かれていました。
蕾は丸いまま、日に日に太っていく。
のエッセーに、下記のことが、書かれていました。
ベランダの片隅。
枯れたと思って、放っておいた鉢の表土から、緑色のモヤモヤが
芽生え始め、気がつくと、しっかりと葉を広げ、数本の茎が、
すっと伸び、その先に丸い蕾が一つずつついた。枯れたと思って、放っておいた鉢の表土から、緑色のモヤモヤが
芽生え始め、気がつくと、しっかりと葉を広げ、数本の茎が、
蕾は丸いまま、日に日に太っていく。
こういうことがあるから、ひとは暮らしを持続できるのだ、と思う。
仕事、家庭、人間関係・・・・・。
すべては一過性で終わるのではなく、持続する力を要するものだ。
その持続の弾みとなるような何かが、
ひとにはたぶん必要なのだろう。
池波正太郎さんのエッセーに、次のような一節があった。
・・・・・人間という生きものは、苦悩、悲観、絶望の最中にあっても、
そこへ、熱い味噌汁が出て来て、一口すすりこみ、
( あ、うまい )、と感じるとき、
われ知らず微笑が浮び、生き甲斐をおぼえるようにできている。
大事なのは、人間の躰(からだ)にそなわった、その感覚を
持続させて行くことだと、私は思う。
「私の正月」より
そこへ、熱い味噌汁が出て来て、一口すすりこみ、
( あ、うまい )、と感じるとき、
われ知らず微笑が浮び、生き甲斐をおぼえるようにできている。
大事なのは、人間の躰(からだ)にそなわった、その感覚を
持続させて行くことだと、私は思う。
「私の正月」より
この〝 味噌汁〝にあたるものは、、ひとそれぞれだ。が、
こころの深呼吸の瞬間を持っているかどうか、持続させているか
否かで、人生の景色は大きく違ってくるのではないだろうか。
こころの深呼吸の瞬間を持っているかどうか、持続させているか
否かで、人生の景色は大きく違ってくるのではないだろうか。
*** 文中・抜粋にて ***
社会生活(人間関係も含めて)にかかわって、
さまざまな感情は、誰でも経験すること・・・・・。
それに打ち勝って持続できている私の味噌汁は、
なんであったろうか、
考えてみたいと思います。
さまざまな感情は、誰でも経験すること・・・・・。
それに打ち勝って持続できている私の味噌汁は、
なんであったろうか、
考えてみたいと思います。

庭のシャクナゲが、開花しました。
人生だったように思います。
子どもの時に、大切な母と別れ住む人生を
スタートして以来、「もうこれまで」と
投げかけたことが数多くありました。
そのたびに「持続の弾みとなるような何か」
「こころの深呼吸の瞬間」が
いつもあったように思うのです。
こうして、ここまで歩んできました。
そして、こうして皆さんとのブログ交換が、
今は、「こころの深呼吸」になっているように
思うのです。
する時たとえば1日の始まりにおいしいコーヒーを
自分でいれて一口“ああ美味しい!!”
1日の終りにバスタブに浸かった時
単純ですが、これが私の味噌汁
心の深呼吸だと思います。
気づかなかったことに、目を向けさせてくれる作家とは、やはり、スゴイと思ってしまいます。
いろいろあっても、こころの深呼吸、味噌汁があって
絶えず、新陳代謝しているわけですね。
持続の弾みとなるなにかが、人間には大切なのでしょうね。
ブログによって、お互いに顔を知らなくても、このように語り合えて、こころの深呼吸を、沢山いただいているように思えます・・・。
考えてみますと、味噌汁とこころの深呼吸があって、
また明日に・・の気持ちになれるのかもしれません。
いろいろな感情を、いつまでも持ち続けることは
出来ませんが、良い方向へ持続しようと、味噌汁と
こころの深呼吸で、切りかえているわけですね。
美味しいと感じるコーヒー、バスタブに浸かっての
安らぎの気持を得られること、全て、心の中の感謝
する気持も、私にはこころの深呼吸にも、思えます。