NHK大河ドラマ「龍馬伝」で、「岩崎弥太郎」の名前を、初めて知ったのですが、
三菱財閥の創業者ということで、岩崎弥太郎の本を読んでみました。
「龍馬の魂を継ぐ男・岩崎弥太郎」 山村 竜也著
龍馬と弥太郎の関係など、ドラマの龍馬伝も、興味深いものです。
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文中より
土佐の地下浪人という低い身分に生まれながら、持ち前の頭脳と才覚をいかし、
明治の商業界に大輪の花を咲かせた男、日本の近代海運業の先駆けとなると
ともに、鉱山、造船、銀行、保険などの事業を手がけ、「三菱」の基礎を築きあげた。
路傍に困っている貧民がいたときなど、ただちに家に帰って米や麦を持ってきては、
分け与えたことが何度もあったが、岩崎家も暮らしに余裕があったわけではない
から、母は苦笑いしたが、弥太郎が他人を思いやる心を持った子どもに
育ってくれたことが、母としてはうれしかった。
母の美和は医師の次女に生まれ、聡明で才徳を備えた賢婦人として知られ、
のちに岩崎家が成功して豊かになっても、若いころの苦労を決して忘れること
はなく、「富貴になりたりといえども、貧しき時の心を忘るべからず」
と一族のものを戒めた。
幕末の一時期、弥太郎と龍馬が交遊を深め、泣いたり笑ったりしながら、
同じ時期を共有し、夢を語り合ったことは、事実なのである。
清澄庭園と六義園(りくぎえん)は、東京都内の名園として、現在も人々に
親しまれているが、いずれも弥太郎が造ったものだった。
(弥太郎がの代だけでできたわけではなく、弟弥之助、
長男久弥の三代で完成させたもの)
グラバー邸のトーマス・グラバーはスコットランド人。
弥太郎の死後も、相談役として、三菱に尽力している。
龍馬が11月15日に、京都河原町の醤油商、近江屋で暗殺される。
この10月14日に念願の大政奉還を実現させ、人生の絶頂期にあった
はずの龍馬が、それからわずか一か月後に凶刃に襲われた。
*** 文中より・抜粋にて ***
世の中を変えようとした坂本龍馬、明治維新に影響を与えた幕末の志士。
そして、岩崎弥太郎・・・貧しさの中から、幕末屈指の経済人として、
三菱財閥を築いた偉業。
龍馬に憧れ、龍馬を憎み、そして龍馬を愛した時代の風雲児でした。
フジバカマ・・・フラワーパークにて
あの三菱財閥を作った人物なんですね。
彼の人となりを、ドラマを通じて興味深く見ております。
極貧の中から身を立て、このような財を築いた大人物、
良きにつけ、悪しきにつけ、今日、こんな人物の登場が待たれますね。
若い頃、明治維新の若き志士たちに憧れて、司馬遼太郎を読み漁った時期がありましたっけ。
脚本によって、いろいろなヒーロー像が描かれますが、今回の弥太郎像は強烈でしたね!
あの時代に生きた人たちの心意気、今の日本を思うと、とても新鮮に訴えてくるものがありますね。
龍馬暗殺が近づいてくるのが辛いですね・・・。
楽しみな龍馬伝ですが、日曜日と再放送の土曜日、都合のつく限り、2回は見ています。
坂本龍馬、岩崎弥太郎の人物にも、魅かれてしまうものがありますね。
国を思う若者たちでしたが、現代では、少し厳しさが無くなってしまったように思えます。
私は時代物の本は、ほとんど読んでいませんでしたので、弥太郎の名前も知りませんでした。
本当に、強烈な印象ですね。
龍馬伝を毎週見て、坂本龍馬にも興味がありますね。
命を落としてでも、世の中を変えようとした
若者たちの心意気、このような歴史があったから、現在があるわけですが、いまの日本は平和すぎて、心意気が欲しいですね・・・。
龍馬が暗殺されなかったら、またどのような歴史が有ったでしょうか。
龍馬は昔から人気が高いのですが、作られた人物像に惹かれるのでしょう。
しばらく前は、司馬遼太郎の『竜馬が行く』のイメージが強かったです。
だから、初めは、なんとなく違和感があったのですが、少しづつ変わって行ってます。
しろあと歴史館で、「幕末」の特別展を開催していますが、『龍馬伝』の幕末のイメージで質問される方もおられます。
岩崎弥太郎は意外と知られていませんが、今回、強烈な印象を植え付けましたネ。
コメント大変遅くなりまして、お詫び申し上げます。
造られた人物像と、演じている人の人気ゆえでしょうか。
私も興味深く「龍馬伝」は見ています。
見る者にとっては、実際のことはよく分からないものですが、ドラマの印象で、物事をとって
しまうかもしれませんね。
しろあと歴史館では、どんな質問を受けるか分かりませんので、やはり勉強ということでしょうか。
私もこのドラマで、弥太郎に興味を持って、本を買って読んだ次第ですが、名前はあまり知られていないようですね。
亡き父は、緑内障の手術後1ヶ月ほども入院させられました。前の担当医が眼圧が
高い場合は延期すると伝えたのに手術され経過が悪かったのです。
いまでは、失敗した眼科医は名医として慕われているとかで、父にとっては災難
でしたが、役立っていると考えることにしました。
ご心配いただきまして、有難うございます。
一週間たちましたが、ごろごろ感、少しの傷み、目のほてりなどの症状が、少し落ち着いてきたようです。
今日診察を受けてきて、また2週間後診察ですが、目薬も変わって点眼は続きます。
お父様、災難でしたね。
手術を受ける人々の、個人差もありますので、
慎重さが要求されると思います。
医師も失敗を重ねて、名医となっていくわけですが、家族には、悔しさが残りますね。
景色は鮮明になりましたが、小さな字はまだ少し見ずらいです。
眼鏡も三ヶ月過ぎてから、と言われていますので、落ちつくまでは、時間がかかるかもしれませんね。