そういうわけで、今日は母校で三線を演奏してきました。
こちらの予想では小さな教室で少人数を前に演奏するつもりだったのですが、合併教室という、普通の教室の3倍ほどの教室で、結構な人数を前に演奏することになってしまいました。
社会科の先生によると、三年生の日本史の授業で、一学期に沖縄戦についての話をしたので、二学期へのつなぎで、沖縄らしい曲を演奏してほしいとのこと。本当は沖縄戦がらみで島唄を演奏してほしかったそうですが、私まだ島唄はマスターできていないので(高音のところが歌いにくい)、十八番の安里屋ユンタを弾きました。弾き始めたときはざわついていた三年生たちも、最後の方になると、聞き入ってくれて、演奏が終わると、拍手してくれました。実は、今の三年生には知り合いが多く、若干親しみが強すぎる面があるので、少々演奏は恥ずかしかったのですが、なんとか間違わずに演奏でき、ほっとしました。
先生から、「君たちの1年先輩で、現在琉球大学理学部で学んでおられる、堤先輩です」と紹介された時には、「えっ、理学部・・!」「国立じゃん・・」と妙な驚愕の声が聞こえてきました。そんなにできない先輩だと思われていたのだろうか・・・?
ともかく、来年の春に沖縄に来てくれる後輩はいるのかいないのか・・ちょっと楽しみです。
写真は母校の本校舎の廊下です。昭和初期の建築で、当時の重厚な建築の雰囲気がよく感じられます。地下には防空壕があったり、第一体育館は戦時中、戦闘機の整備に使われていた建物だったり・・・私の母校には結構興味深い秘密が隠されています。
こちらの予想では小さな教室で少人数を前に演奏するつもりだったのですが、合併教室という、普通の教室の3倍ほどの教室で、結構な人数を前に演奏することになってしまいました。
社会科の先生によると、三年生の日本史の授業で、一学期に沖縄戦についての話をしたので、二学期へのつなぎで、沖縄らしい曲を演奏してほしいとのこと。本当は沖縄戦がらみで島唄を演奏してほしかったそうですが、私まだ島唄はマスターできていないので(高音のところが歌いにくい)、十八番の安里屋ユンタを弾きました。弾き始めたときはざわついていた三年生たちも、最後の方になると、聞き入ってくれて、演奏が終わると、拍手してくれました。実は、今の三年生には知り合いが多く、若干親しみが強すぎる面があるので、少々演奏は恥ずかしかったのですが、なんとか間違わずに演奏でき、ほっとしました。
先生から、「君たちの1年先輩で、現在琉球大学理学部で学んでおられる、堤先輩です」と紹介された時には、「えっ、理学部・・!」「国立じゃん・・」と妙な驚愕の声が聞こえてきました。そんなにできない先輩だと思われていたのだろうか・・・?
ともかく、来年の春に沖縄に来てくれる後輩はいるのかいないのか・・ちょっと楽しみです。
写真は母校の本校舎の廊下です。昭和初期の建築で、当時の重厚な建築の雰囲気がよく感じられます。地下には防空壕があったり、第一体育館は戦時中、戦闘機の整備に使われていた建物だったり・・・私の母校には結構興味深い秘密が隠されています。
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