このサイトの題名にもなっている、「大和人(やまとんちゅ)」ですが、これは沖縄の言葉で元々「日本人」を意味します。この日本を意味する「大和」は、元来奈良地方をさす地名であったのはいうまでもないでしょう。今でも時折「大和の国○○郡」と言います。 しかし、さらに時代を遡っていきますと、この「大和」という地名はある地域に収束します。そこは、現在の奈良県天理市の南部、大和神社(おおやまとじんじゃ)」の辺りです。元々はこのあたりをさす言葉であった「ヤマト」が、またたくまに日本を意味するようになったのは、非常に興味深いところですが、古事記や日本書紀に出てくる日本武尊(やまとたける)の東征伝の最後、日本武尊が疲労困憊、息も絶え絶えの状態で現在の三重県鈴鹿市のあたりに至ったときに次のような歌を詠い、故郷を懐かしんだとあります。
「やまとは国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる やまとしうるわし」
ここで出てくる「やまと」がさすのが、先ほどの「大和神社周辺域」を中心とする盆地、つまりは奈良盆地のことなのです。このことは、国語の教科書にも書かれています。(高校の時に使っていた教科書にそうありました)
実は、これには理由がありまして、その時代の古代大和朝廷(ヤマト政権とも)の拠点であったのが、天理市の布留の辺りから、桜井市北部にかけての地域であったからです。この辺りには、同時代の天皇(大王(おおきみ))や、それに極めて近い豪族物部(もののべ)氏などの宮殿や屋敷がありました。実際、この周辺には当時の天皇稜や豪族の墓と言われる巨大な古墳が北は天理市の西山古墳から南は桜井市の箸墓古墳まで無数に点在します。
ちなみに、「ヤマト」という地名の由来は、今のところこの地が東に横たわる山の縁にあるところから、「山の戸」となり「山戸」→「ヤマト」となったという説が有力です。他にも朝鮮語由来だとかアイヌ語由来だとか諸説ありますが、私としてはなにかと外国語に地名の由来を求めるのは如何なものかと思います。(もちろんそのような地名も多くありますが)
ところで、この地域にあるマキムク遺跡は、古代に栄えた邪馬台国の遺跡ではないかと言われています。かの三角縁神獣鏡が大量に出土した黒塚古墳もこの地にあります。古代ロマンを感じたい方にはオススメの地です。なんといっても元祖まほろばの地です。・・それ以前に私の故郷であります。
「やまとは国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる やまとしうるわし」
ここで出てくる「やまと」がさすのが、先ほどの「大和神社周辺域」を中心とする盆地、つまりは奈良盆地のことなのです。このことは、国語の教科書にも書かれています。(高校の時に使っていた教科書にそうありました)
実は、これには理由がありまして、その時代の古代大和朝廷(ヤマト政権とも)の拠点であったのが、天理市の布留の辺りから、桜井市北部にかけての地域であったからです。この辺りには、同時代の天皇(大王(おおきみ))や、それに極めて近い豪族物部(もののべ)氏などの宮殿や屋敷がありました。実際、この周辺には当時の天皇稜や豪族の墓と言われる巨大な古墳が北は天理市の西山古墳から南は桜井市の箸墓古墳まで無数に点在します。
ちなみに、「ヤマト」という地名の由来は、今のところこの地が東に横たわる山の縁にあるところから、「山の戸」となり「山戸」→「ヤマト」となったという説が有力です。他にも朝鮮語由来だとかアイヌ語由来だとか諸説ありますが、私としてはなにかと外国語に地名の由来を求めるのは如何なものかと思います。(もちろんそのような地名も多くありますが)
ところで、この地域にあるマキムク遺跡は、古代に栄えた邪馬台国の遺跡ではないかと言われています。かの三角縁神獣鏡が大量に出土した黒塚古墳もこの地にあります。古代ロマンを感じたい方にはオススメの地です。なんといっても元祖まほろばの地です。・・それ以前に私の故郷であります。
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