いつも申し上げているように、私は「馬鹿では笑えない話」を大切にしています。
その観点で調べていくと、江戸時代の人たちは現代の私たちと同じか、それ以上にユーモアのセンスに長けていたと考えられます。
たとえば江戸時代の川柳で、
入り口で 医者と親子が 待っている
というものがあります。
みなさん、意味はおわかりでしょうか?
ごく普通の家の入り口の前で、医者と親子が誰か(何か)を待っている、そんな光景しか思い浮かばない人は江戸の人たちに負けています。
この川柳には隠れた本当の意味があります。
「親子」を「親指と小指」と読み替えてみましょう。
「医者」は薬箱を持っているから「薬指」。
親指、薬指、小指は入り口の前、人差し指と中指は中に入っている。
と、いうことは……
そう、この川柳は、江戸時代のポルノなのです。
現代はコンビニでヘアヌード雑誌を立ち読みでき、インターネットを使えば無修正ポルノを観られる時代です。
逆にいえば想像力、つまり昔の人が着物の裾からのぞく踝(くるぶし)に色気を感じたようなイマジネーションが、貧弱になってしまったのです。
さらにすごいのは、このような川柳や小咄のほとんどが「詠み人知らず」である点です。
どこにでもいる普通の人が、このように何百年も残るものを作り、自分の名前を主張しようとしない。
広域メディアなどない時代、本や口述で少しずつ広がり、現代に至ったのでしょう。
私のこのブログも、お読みくださっているのはほんの数十人です。
もしも何かいいことを書いて、読者の人が誰かにそれを話してくれれば、いわゆる「隠れ読者」は数百人、数千人に広がっていきます。
それでよいのだと思います。
私が街を歩いていても、これを書いているのが私だとは誰にもわからないのですから。
その観点で調べていくと、江戸時代の人たちは現代の私たちと同じか、それ以上にユーモアのセンスに長けていたと考えられます。
たとえば江戸時代の川柳で、
入り口で 医者と親子が 待っている
というものがあります。
みなさん、意味はおわかりでしょうか?
ごく普通の家の入り口の前で、医者と親子が誰か(何か)を待っている、そんな光景しか思い浮かばない人は江戸の人たちに負けています。
この川柳には隠れた本当の意味があります。
「親子」を「親指と小指」と読み替えてみましょう。
「医者」は薬箱を持っているから「薬指」。
親指、薬指、小指は入り口の前、人差し指と中指は中に入っている。
と、いうことは……
そう、この川柳は、江戸時代のポルノなのです。
現代はコンビニでヘアヌード雑誌を立ち読みでき、インターネットを使えば無修正ポルノを観られる時代です。
逆にいえば想像力、つまり昔の人が着物の裾からのぞく踝(くるぶし)に色気を感じたようなイマジネーションが、貧弱になってしまったのです。
さらにすごいのは、このような川柳や小咄のほとんどが「詠み人知らず」である点です。
どこにでもいる普通の人が、このように何百年も残るものを作り、自分の名前を主張しようとしない。
広域メディアなどない時代、本や口述で少しずつ広がり、現代に至ったのでしょう。
私のこのブログも、お読みくださっているのはほんの数十人です。
もしも何かいいことを書いて、読者の人が誰かにそれを話してくれれば、いわゆる「隠れ読者」は数百人、数千人に広がっていきます。
それでよいのだと思います。
私が街を歩いていても、これを書いているのが私だとは誰にもわからないのですから。