塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

高橋陽一先生、マルセイユを表敬訪問

2025-02-27 22:13:17 | 日記

 高橋陽一先生が、オランピック・ドウ・マルセイユを表敬訪問し、クラブの英雄であるジャン・ピエール・パパンと対面しました。

 

 1993年のUEFAチャンピオンズ・カップ優勝は結果取り消しになるも、フランスでは唯一優勝経験を持つクラブ

 当時はパパンだけでなく、アベディ・ペレ、ドラガン・ストイコビッチ、クリス・ワドルと各国代表がそろう

 まさに「世界選抜」を先取りしたような陣容

 

 の象徴がパパン、相性のJPPで知られるフランス代表のエースでした。

 

 彼は1991年欧州最優秀選手に輝き、ACミランに移籍します。

 

 初年度は13得点を記録し、欧州最優秀選手として結果を出すも、皮肉なことにACミランは古巣を超える世界選抜クラブであり、パパンですら先発の機会はそう多くありませんでした。

 

 そしてFCバイエルン・ミュンヘンに移籍するわけですが、バイエルンでもそう目立つ形とはいきません。

 

 それ以上にJPPが絶望したのは、やはり1994年のワールドカップを逃したことでしょうか。

 

 1998年の自国開催に向け、1990年と94年の2大会を連続予選落ちで無駄にした形となったフランス代表は

 

 1・指揮官にエメ・ジャッケを指名

 2・彼は欧州選手権92に参戦するJPPとエリック・カントナに頼る展開をやめることを決断

 3・ジネディーヌ・ジダンという稀代の名手を見つけ、彼を我慢して起用し96年欧州選手権を経て、見事優勝

 

 という形を迎えます。

 

 JPPじゃ1986年のワールドカップにエントリーしていますが、まさに七転び八起きの選手生活だった気がします。

 

 それでも映像で高橋先生を迎えるその姿は、慈愛に満ちていたものですが。

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