現在の日本では地方分権が善で中央集権が悪という風潮だが、本当にそうだろうか。なぜ地方分権が善で中央集権が悪なのか。そもそも国民が地方分権を望んでいるのか。それが疑問なのだ。
明治維新では欧米に負けて植民地ならないために、幕藩体制で分散している力を集中する中央集権国家を目指して中央集権国家を造った。
大東亜戦争に負けたため、自治体の首長は内務省からの派遣でなく選挙で選ぶことになったが、中央集権国家ということは変わらなかった。
だがここ30年くらい(それ以前からか?)の流行として中央集権は悪で地方分権が善ということになり地方分権を進めようというのが日本の道になった。地域のことは地域で決めようということらしい。
もっともらしいがそもそも誰が地方分権を望んでいるのか。国民が地方分権を望んでいるとは思えないのだ。
それは地方選挙の投票率に如実に現れているではないか。都市部の首長を決める選挙や地方議員を決める選挙の投票率は30%さえ割ることが珍しくない。国民は自治体が何をしているか興味がないのだ。
マスコミもそうだ。都道府県や市区町村がどんな政策をやっているか報道することはあまりない。國がやっていることやろうとしていることは詳細に報道するのだが。
一時期神奈川新聞を購読していたことがあった。全国紙に嫌気が指し、少しは地域に貢献することになるだろうと神奈川新聞を購読したのだが、神奈川県の政策さえよくわからなかった。市町村は尚更だ。地方紙でさえこれなのだ。全国紙はろくに地方の政策を報道しない。それで地方分権を訴えて何がしたいのだ。
余談だが3か月か6か月神奈川新聞を購読したのだが、あまり読むところがなくつまらないので止めた。神奈川新聞はページが少ないのだ。購読していた時期は今ほど酷く左傾化してはいなかったのだが。
自分が住んでいる自治体の首長が誰なのかは知っているだろう。しかし都道府県議会の議長が誰なのか知っている人は少ないのではないか。その程度の関心しかないのだ。
都道府県議会の議長は1年で交代する慣例なので覚えていても仕方ないのだが。しかもそれが議長を経験すると勲章のランクが上がるというあまりにも莫迦莫迦しい理由なのだ。
小泉純一郎は地方分権に悪乗りして構造改革を進めた。地方交付税交付金と地方への公共事業予算を減らした。地方自治体の権限も確かに増えたのだが、地方分権というより地方切り捨てだった。自治体の合併も促し、地方は歴史と伝統と多様性も失った。
私もそうだが、国民が関心のある政治というと国政だけではないか。地方自治にはあまり関心がない。それで地方分権を進めても仕方ない。大阪府市のように維新が跳梁跋扈したり、宮城県のように水道を民営化するだけだ。水道民営化は國が可能にする法律を制定したのだが。
自民党が地方で支持されているのは地方に國の予算を分配してきた実績があるからだ。中曽根康弘内閣辺りから怪しくなっていくのだが。
地方振興には金を地方に費やすしかないのだ。地方も「努力」しろという風潮だがそれは無理で國の予算を地方に投じる以外にない。それをやって来たから地方では未だに自民党が絶大に支持されているのだ。しかし自民党も地方予算を減らしている。もう自民党が腐りきっているからだ。
しかし民主党はコンクリートから人へのスローガンで地方予算をさらに減らしてしまった。そのため国民はまだ自民党の方がマシだと考えるようにになってしまった。
地方分権も多文化共生のように国民が望んでもいない押し付け政策ではないか。小泉純一郎以前の地方振興のために予算を出す中央集権が日本には向いているように思える。国民もマスコミも国政には関心を向けても自治体の政策には興味がないのだから。
明治維新では欧米に負けて植民地ならないために、幕藩体制で分散している力を集中する中央集権国家を目指して中央集権国家を造った。
大東亜戦争に負けたため、自治体の首長は内務省からの派遣でなく選挙で選ぶことになったが、中央集権国家ということは変わらなかった。
だがここ30年くらい(それ以前からか?)の流行として中央集権は悪で地方分権が善ということになり地方分権を進めようというのが日本の道になった。地域のことは地域で決めようということらしい。
もっともらしいがそもそも誰が地方分権を望んでいるのか。国民が地方分権を望んでいるとは思えないのだ。
それは地方選挙の投票率に如実に現れているではないか。都市部の首長を決める選挙や地方議員を決める選挙の投票率は30%さえ割ることが珍しくない。国民は自治体が何をしているか興味がないのだ。
マスコミもそうだ。都道府県や市区町村がどんな政策をやっているか報道することはあまりない。國がやっていることやろうとしていることは詳細に報道するのだが。
一時期神奈川新聞を購読していたことがあった。全国紙に嫌気が指し、少しは地域に貢献することになるだろうと神奈川新聞を購読したのだが、神奈川県の政策さえよくわからなかった。市町村は尚更だ。地方紙でさえこれなのだ。全国紙はろくに地方の政策を報道しない。それで地方分権を訴えて何がしたいのだ。
余談だが3か月か6か月神奈川新聞を購読したのだが、あまり読むところがなくつまらないので止めた。神奈川新聞はページが少ないのだ。購読していた時期は今ほど酷く左傾化してはいなかったのだが。
自分が住んでいる自治体の首長が誰なのかは知っているだろう。しかし都道府県議会の議長が誰なのか知っている人は少ないのではないか。その程度の関心しかないのだ。
都道府県議会の議長は1年で交代する慣例なので覚えていても仕方ないのだが。しかもそれが議長を経験すると勲章のランクが上がるというあまりにも莫迦莫迦しい理由なのだ。
小泉純一郎は地方分権に悪乗りして構造改革を進めた。地方交付税交付金と地方への公共事業予算を減らした。地方自治体の権限も確かに増えたのだが、地方分権というより地方切り捨てだった。自治体の合併も促し、地方は歴史と伝統と多様性も失った。
私もそうだが、国民が関心のある政治というと国政だけではないか。地方自治にはあまり関心がない。それで地方分権を進めても仕方ない。大阪府市のように維新が跳梁跋扈したり、宮城県のように水道を民営化するだけだ。水道民営化は國が可能にする法律を制定したのだが。
自民党が地方で支持されているのは地方に國の予算を分配してきた実績があるからだ。中曽根康弘内閣辺りから怪しくなっていくのだが。
地方振興には金を地方に費やすしかないのだ。地方も「努力」しろという風潮だがそれは無理で國の予算を地方に投じる以外にない。それをやって来たから地方では未だに自民党が絶大に支持されているのだ。しかし自民党も地方予算を減らしている。もう自民党が腐りきっているからだ。
しかし民主党はコンクリートから人へのスローガンで地方予算をさらに減らしてしまった。そのため国民はまだ自民党の方がマシだと考えるようにになってしまった。
地方分権も多文化共生のように国民が望んでもいない押し付け政策ではないか。小泉純一郎以前の地方振興のために予算を出す中央集権が日本には向いているように思える。国民もマスコミも国政には関心を向けても自治体の政策には興味がないのだから。
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