自分には2つ違いの兄がいる。自分と異なり「人生を本当に計画的にうまく生きている」気がする。
昔から自分より「成績が良く、2つ違いで幼稚園小学校、中学、高校」と同じ学校に在籍するため兄が3年、
自分が1年、すると兄を知っている先生方に自分が「あの兄」の弟だと知れると「あの兄にしては弟の出来は???」
という感じを特に「進学校であった高校では強く感じた」大学も無論、兄の方が良い大学を出た。
そして社会人になり、兄はアメリカへ家族で渡り、帰国後は「アメリカの大手総合一流企業」へ就職し
定年まで勤めあげ、それからは「持ち前の能力を活かし、早期に退職、不動産業、太陽光発電事業」で
日々経済的に何の心配もない生活を築いている。ブログでも自分のよりも4倍近くのアクセス数を誇る。
この年になっても「何をやってもかなわない」存在だ。
その兄の昨日の「ブログ」で「実家の整理状況」を知った。
もちろん自分も高校卒業までお世話になった実家である。学生時代、青春時代を過ごした場所だ。
父は阪神大震災の年に亡くなっている、その時
兄家族はアメリカに住んでいた、父の死に目には会えなかった。現在は立場が逆になっている。
母は施設に入り現在97歳、誰もいなくなった実家を維持管理し、母の面倒も「兄家族任せになっている」
申し訳ない事だ、確かに父の終期には兄たちがアメリカ在住だったため、自分の家族も大変だったが
兄たち家族の事は「現実」として受け止め何の感情も正直持たなかった。仕方が無い事だと。
しかし今、逆の立場になってみると、大変申し訳なく感じる。幸い兄が経済的に自分よりはるかに恵まれているので
全ておんぶにだっこしている。加えて兄夫婦もすでにそこそこの年齢にかかわらず「莫大な廃棄しなくてはならない
実家の荷物整理や清掃まで行ってもらっている」思っている以上に大変なことだと思う。
ただただ「頭が下がる」感謝しかない。
今回の兄のブログで「仏壇以外ほとんどなくなった実家」と言う一文があった。想像もつかないが?
「大変だったろうな?」という感情と「何か、少し一抹の寂しさを感じた」 もう何年も行っていない実家だが
確かに「4人家族として楽しかった時期を過ごした場所」なのだ。まさしく「故郷は遠くに有りて思うもの」
そのものなのだ。
つい最近兄からは 「お墓の処遇」「実家の処遇」について「意思確認の連絡をもらった」
この点も全てこちらの「わがままを承認してもらった」感謝である。
もう自分にとって「実家は思い出の中でしか会えないところなのかもしれない」
いつか、できるうちに実家の周りを1度歩いて回ってみたいと思った。
ベトナムハノイで「会社の窓から、37℃の外を見ながら」・・・
中学校の夏休み、部活後疲れた体で、クーラーも不要だった実家の廊下で昼寝し、起き際、冷えたスイカを
池のあった庭に面した縁側に座って、日暮の声を聴きながら食べたことをふと思い出した。
あの頃、自分が50年後「遠いベトナムのハノイで暮らそうなどとは・・・」思いもしなかった。
人生とは不思議なものである。