★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「社内クラスターその後」

2022-02-18 11:43:00 | ベトナム・ハノイ

 本日朝、いつもの「社内感染及び回復状況」についての連絡があった。

前日から感染者は2名増えて合計10名。そのうち回復者が4名。(幸い重症者は出ていない)

 弊社は21歳から上でも32歳(40歳代が1名)の社員構成だ、つまり若い人が多い。

そのせいかわからないが、コロナ感染後の状況も「比較的軽症」が多い。最も重い症状は

発熱で39℃以上になった人数が3名いただけだ。その3名も「発熱は半日がせいぜい」で「市販解熱薬」で

熱が下がり、その後「再発しない」ケースが多い。 最も軽い症状は「微熱と、のどの違和感」のみである。

感染者は出ているが「症状が軽く、仕事復帰までの時間は短いのが幸いだ」

 先ほども全体管理者と話をしたが、昨日急に発熱があり20時頃には39.4度になったが「市販薬で2時間後には熱が下がり」

「11時頃には体調回復し、朝から仕事を再開させたとの事」これは極端な例だが、幸いにも仕事復帰に

業務に影響の出るような「技術者戦線離脱」は起きていない。ありがたいことだ。

 現在会社は「在宅が家庭事情や、住居の関係でできない2名だけが出社して作業をしている」

その他は全員在宅勤務。「業務離脱者は6名」回復者は4名、軽い症状が出ているが「未確定者が4名」(作業は実施)

こんな状況で「幸いにも感染者が各セクションにまたがり出たため、1つのセクションの負荷は軽減され

業務に大きな影響は出ていない」(各セクションにまたがって、マルチ作業者が補助しているため、大きな影響は

の出ていない) この日に合わせたわけではないが、「各セクションの仕事が可能なマルチ技術者」を長期戦略で

ある程度の人数育てておいたおかげで「危機回避」ができたのである。

やはりいざというときに頼りになるのは「自社技術者の体質強化」である。

くしくも「コロナ騒ぎ」で自社の弱いところや「もちろん良いところ」も確認xできた。

 今後、危機管理の観点で「見直すべきところを見直そう」と考えた。

一日も早い収束を願う。そして自分は「感染時の重症化リスクが高い故」注意しようと思う。

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ベトナムハノイの「危機的な社内クラスター」

2022-02-17 23:24:44 | ベトナム・ハノイ

 まいった。・・・とほほな状態だ。

「社内で感染者が出たが、その周辺の社員は隔離し様子を見ていた」

そして本日3日目。在宅者の健康状態を逐次情報取得した結果、本日の昼報告が上がってきた。

*感染確定人数:4名+1名=5名

*発熱やのどの痛みなどの症状が出ている人数:6名

(その後夕方になって、在宅ではなく社内にいる1名が高熱が出ていることが判明、おそらく感染だと思われる)

これですでに以前の在宅者で感染した2名を加えると「社内感染者は8名になる」

 この結果をもって「政府機関への報告」を行い、「各自医療機関で感染確定したら、基本は自宅で様子を見る。

体調の変化が著しい時は、指定の医療機関に連絡せよ」との指示だった。会社閉鎖などは特別不要との事だ。

★ この状況を考慮し、会社としては、まず2月末まで「すべての社員を本日午後より在宅勤務」にすることを決定した。

後はどこまで「今後の感染者を抑え、就業に影響の無い体制を維持できるか?」に尽きる。

 こうなってしまったことはもう仕方がない。あとは社員感染者が「重症化しない事を願うばかりだ」

(社内には重症化した時の「酸素濃縮器」を準備してあるが、使わない事を願うばかりだ。)

会社運営とは「いろんなことがある」 こういった「イレギュラーな問題にも耐えられない会社は本来の

管理方法や危機管理方法に問題があるのだろう?」打たれ強く、逆境に強い会社にしなければならない。

今回のことで、改めて「そんなこと事」を強く思った。

 

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ベトナムハノイの「いよいよ来た社内感染」

2022-02-16 19:46:15 | ベトナム・ハノイ

先週末、「悪い知らせが飛び込んできた」

出社している社員のうち1名が「午後から発熱したのである」急遽帰宅命令を出し

医療機関へ行くように指示した。その結果「コロナが陽性であった」

 今まで「F1:感染者と接触していた社員は出ており、在宅にしていた社員が自宅で感染者となったケースはあったが」

出社している社員が「感染者となったのは初めてだ」

既に「妊娠者、就学前の子供のいる社員は在宅を実施している」しかし社内には40人近くの社員がいるのである。

 この「報告」を受けて「会社としての判断をしなければならなくなった」まずはオフィスビル側との相談である。

ベトナムではここのところ3万人以上が感染し、ハノイでは3000人以上、死者は85人程度だ。

そしてベトナム政府方針では「F1レベルはとりあえず1Wほどの自宅待機で感染の有無を確認するよう勧められている」

これらを参考に「感染者の前後の席の社員は即日帰宅させ1W感染の有無を確認」

その他の社員は「通常勤務と決めたが、社内には10数名ほどしか残らなかった」

 これで社内の75%が在宅勤務になった。自分も「年齢的にも基礎疾患、病歴」などから判断し

感染した場合には一番危険な人物として、今週いっぱいの「在宅を自分で判断した」

 すでに2年以上「コロナ対応をしてきて慣れてはいるが、やはり通常勤務とは大きく効率や、教育の面で

通常勤務には劣る」しかし仕方がない。 

 ベトナムでも「WITHコロナに確実に舵を切っている」その中で未だオミクロンの比率が極端に低い。

恐らく日本などから見ると、だいぶ遅れて「オミクロンの爆発的感染」が起きると予想している。

それでも「会社は仕事しなければならない」状況が変わるたび、自分は「おおきな舵取りの責任を

負わなければならないのだ」

 正直、目の前の問題を処理するだけで精一杯である。考えている暇はないのだ。

会社経営とは難しい。

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ベトナムハノイの「初めてのお助けツーリング」

2022-02-16 19:18:34 | ベトナム・ハノイ

 先週、4歳友人の母上が故郷に「急遽バイクを取りに行くことになった」

(行くときは4歳友人はタクシーで帰郷し、故郷ではバイクが必要なので、母上は同居の妹さんと

帰った。荷物は自分が並走し持って行ったのである。)

 朝連絡があり、急遽「母上は4歳友人を家において、グラブで故郷に帰り、数時間後バイクでハノイに戻る」

この母上、あまり長距離の運転は慣れていない。しかもその日は「降水確率90%」だった。

しかも「手がかじかむほど寒い日だ」

大きな荷物もあり、故郷からの帰り道は「慣れていないと少し危険な場所がある」

 強がってはいたが、「帰り運転しましょうか?」と申し出ると「本当にいいですか?」ということで

「ほっとしたようだった」何しろ自分はすでにこの道は「6-7回往復しており」どこが危険か?

道は熟知している。とはいってもそれが決まったのが母上が故郷の家を出る1時間ほど前だった。

 故郷からハノイへ全行程の1/3ぐらいまでは「交通量の少ない田舎道である」、そこで

その周辺の「橋」で待ち合わせをした。どのように自分がそこまで行くか?ということだ。

そこは慣れたベトナムでのこと急遽「GRABを呼び事情を話し、この橋の近くまで、車で急いだ。自分のヘルメットをもって」

 日本人が「ベトナム人のバイクのサポート運転」のために。こんなことをするのは

いかに10年住んでいても「この経験」は初めてだった。

 結局少々ハノイ寄りで「落ち合うことができ、小雨降る悪天候、見通しの悪い夕刻のトラックが行き来する

危険な街道をタンデムでハノイのアパートに向かった」霧雨が降り眼鏡にワイパーが欲しいほどだ、そして「寒い」。

しかも夕刻の一番「見通しの悪い時間帯」、幹線道路のため大型トラックがたくさん通行する道をハノイに急いだ。

そして、ハノイに着いた。何よりも「無事でよかった」

 こんな「レアな経験」をしている日本人は少ないだろうと思う。ベトナムの道で「日本人がベトナム人を差し置いて

バイクでお助け」しているのである。10年以上在住し、今はベトナムハノイでこんな風になっている。不思議な事である。

帰宅し、暑いシャワーを浴びて「びしょびしょになったウルトラライトダウンを洗濯しながら」

そんなことを考えた。

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ベトナムハノイの「映画事情」

2022-02-09 18:04:12 | ベトナム・ハノイ

 久しく「映画館で映画を見ていない」コロナ禍でハノイでも一時期映画館は閉鎖されていた。

いかにアマゾンプライムやNETFLIXでそれなりの映画が見られても「やはり映画館での映画鑑賞にはかなわない」

ハノイ在住の間、1年に2-3回は映画館で見ていると思う。

 しかしこのご時世、やはり仕方なく「ネットで見ることが断然多い、現在も同じである」

以前から「映画は好きだ」 子供の頃は「近くの東宝」で1回30円で「怪獣映画」をよく兄と見に行ったものだ。

出身地の小さな市にはそのころ2-3件の映画館があったが、今はもう1軒も残っていないようだ。

 そして自分の2度目のブームは社会人になってから「レンタルビデオの普及」に合わせて、たくさんの映画を見た。

そして3回目のブームが「ベトナム在住時、コロナ禍の期間である」 

偶然この前、パソコンの資料を整理していたら「自分の見た映画の評価資料」を見つけた。

こんなことまでしていたんだと思うと、映画にそれなりに思い入れがあったのだろう。懐かしく思ってみた。

ちなみに自分の「高評価」の映画は

*ニューシネマ・パラダイス        番外編  ベトナム映画で好きな物

*ドライビング・ミスデイジー            *夏至

*ワンスアポンアタイムアメリカ           *Ba Mua(スリーシーズンズ)

*レイジングブル                  *青いパパイヤの香り

*レナードの朝                   *シクロ   (上記 Ba Mua、インドシナ以外は同じ監督の作品)

*グッドウイルハンティング             *インドシナ

*ショーシャンクの空に

などだった、ほとんどの映画のストーリーは「あいまいだが覚えている」好きな映画はなおさらだ。

自分の好きな「ロバート・デニーロ」の映画が多いようだ、すでに相当の年齢だが「最近はその渋さを

活かした「インターン」なども良い映画だと思う。自分のリストの高評価映画はもう一度見たいものばかりだ。

 今は、インターネットと少額のお金で、全てとはいかないがもう一度見れるようである。

*番外編で紹介した映画は全て「ベトナムが舞台の映画である」(ベトナムに行こうと決めた時、ベトナム語に慣れるように

自宅で「環境音楽のようにずっと流してた映画である。」特にお気に入りなのは「夏至」地味な映画だが

ベトナムの雰囲気を実にうまくあらわしている。

レンタルビデオ店でもあまり見かけない。(自分はDVDをすでに購入し10回以上見ている)

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