★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「故郷回顧」

2022-02-06 19:07:53 | ベトナム・ハノイ

 テト休みも「本日1日になった」明日から仕事が再開される。

この休み中、やはり「コロナがらみ」で2-3名の「在宅延長願い」が来たが

それ以外は「明日から通常業務だ」

 4歳友人家族も本日の午後「一時的だがハノイに戻ったようだ」

その2週間の間、「植木の水やり、熱帯魚の世話、湿度管理(空気清浄機運転)」

もひと段落だ。しかし来週末、故郷で「友人の結婚式があり、また帰省するらしい」。大変なことだ。

 自分もこの2週間、もちろん在宅で仕事はしたが、コロナもあり「おこもりの年末年始」だった。

YOUTUBE や NETFLIXに大変お世話になった。そして本日「チョモランマ遙か」と言う古いYOUTUBEを見た。

チョモランマ 北東稜 登頂の記録だ。(日大隊が世界初登頂したルートの記録映画だ)

 自分は群馬の一番北に位置する「市」の出身で、周りがみんな「山」だった、したがって小中学校の遠足などは全て

街を取り囲んでいる山の「登山」だったのである。

そして進学した地元の唯一の進学校だった高校は「山岳部があり、全国でも強豪校」だった

そしてこの高校の時「山関連」で一つの出会いがあった。

 「体験入部のような形で、山岳部の上級生と早春の谷川岳に上る機会があった」

もちろん登山靴などなく、先輩の靴を借りての「山行き」だった。靴を貸してくれたこの先輩は身長も小さく

寡黙な先輩だったが「後輩には優しく」そして「何よりもタフ」だった。早春と言っても積雪は3-5メートル

夜はマイナスの中での「テント泊」だった。「滑落停止の訓練」までもS氏に教えて頂いた。そんなことを想いながら

YOUTUBEを見ていた。そしてハノイには無い「山だらけの故郷を思い出した」もう何年も帰っていない故郷だ。

 この「優しくタフな先輩」に関しては後に「衝撃的な事実を知ることになる」

この先輩S氏はその後「エベレスト頂上から世界初のテレビ中継」のカメラマンとして登頂を果たし

驚かされた、エベレスト登頂2回、その他にも輝かしい「登山歴」があった。しかし1989年 同じ高校の有名登山家「山田昇」氏

と共に「マッキンリーで遭難」し、死亡した。あの優しく「S氏の登山靴を借りて一緒に谷川を上ったことは」今となっては

遠い思い出になってしまった。

 YOUTUBEを見ながらそんなことを考えた。そして今、

あの頃は「思いもしなかったベトナムの地で、一人「山のYOUTUBE」をみて、「あの頃」、そして「故郷の山々」そして

「思い出の人」を考えた。

 久しぶりに「新田次郎」の山岳小説が読みたくなった。

 

 

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