テト休みも「本日1日になった」明日から仕事が再開される。
この休み中、やはり「コロナがらみ」で2-3名の「在宅延長願い」が来たが
それ以外は「明日から通常業務だ」
4歳友人家族も本日の午後「一時的だがハノイに戻ったようだ」
その2週間の間、「植木の水やり、熱帯魚の世話、湿度管理(空気清浄機運転)」
もひと段落だ。しかし来週末、故郷で「友人の結婚式があり、また帰省するらしい」。大変なことだ。
自分もこの2週間、もちろん在宅で仕事はしたが、コロナもあり「おこもりの年末年始」だった。
YOUTUBE や NETFLIXに大変お世話になった。そして本日「チョモランマ遙か」と言う古いYOUTUBEを見た。
チョモランマ 北東稜 登頂の記録だ。(日大隊が世界初登頂したルートの記録映画だ)
自分は群馬の一番北に位置する「市」の出身で、周りがみんな「山」だった、したがって小中学校の遠足などは全て
街を取り囲んでいる山の「登山」だったのである。
そして進学した地元の唯一の進学校だった高校は「山岳部があり、全国でも強豪校」だった
そしてこの高校の時「山関連」で一つの出会いがあった。
「体験入部のような形で、山岳部の上級生と早春の谷川岳に上る機会があった」
もちろん登山靴などなく、先輩の靴を借りての「山行き」だった。靴を貸してくれたこの先輩は身長も小さく
寡黙な先輩だったが「後輩には優しく」そして「何よりもタフ」だった。早春と言っても積雪は3-5メートル
夜はマイナスの中での「テント泊」だった。「滑落停止の訓練」までもS氏に教えて頂いた。そんなことを想いながら
YOUTUBEを見ていた。そしてハノイには無い「山だらけの故郷を思い出した」もう何年も帰っていない故郷だ。
この「優しくタフな先輩」に関しては後に「衝撃的な事実を知ることになる」
この先輩S氏はその後「エベレスト頂上から世界初のテレビ中継」のカメラマンとして登頂を果たし
驚かされた、エベレスト登頂2回、その他にも輝かしい「登山歴」があった。しかし1989年 同じ高校の有名登山家「山田昇」氏
と共に「マッキンリーで遭難」し、死亡した。あの優しく「S氏の登山靴を借りて一緒に谷川を上ったことは」今となっては
遠い思い出になってしまった。
YOUTUBEを見ながらそんなことを考えた。そして今、
あの頃は「思いもしなかったベトナムの地で、一人「山のYOUTUBE」をみて、「あの頃」、そして「故郷の山々」そして
「思い出の人」を考えた。
久しぶりに「新田次郎」の山岳小説が読みたくなった。