人の世は、滞在期間の定め無き、今日一日の旅の宿

 時 人を待たず、光陰 惜しむべし
 古より有道の人、国城 男女 七宝 百物を 惜しまず
 唯 光陰のみ、之を惜しむ

答えと無我

2017-01-07 | 日記


事実は認識する以前の只今ゆえ、我は未だ不生。

只今は、認識する主体と客体が分別される以前。

法を伝えるのは法であり、事実を見るのは事実。

目や耳は分別せずに、因果一如の法を伝えてる。

我が見る聞くと言う処は、認識後の過去の残影。

我が立たぬ処には疑問も、問の対象も認めない。

問が立つ処は我の懐ゆえ、既に自他の間の事柄。

自他の狭間で、自他不二の問答は埒が明かない。

酒席で、断酒論議に花を咲かせるが如きである。

言葉の肯定や否定は我を養うが、法に届かない。

問いの立つ処は既に過去ゆえ、問うに過ぎたり。

自他不二の法ならば、倶胝和尚の一指で足りる。

見る処は只今ゆえ、未だ善悪の付く以前の事実。

事実を見る処に、我の属性の思量や分別は未在。

問は問う者に等しく、問いを滅す処に我を滅す。

問に対する答えの選択肢は、分別と我を離れず。

記憶に依存する我は、概念と同化した過去の影。

答えを残し座す処は、我の住す処に他ならない。

自らの答えが我執を招くなら、本末転倒である。

法は事実と不二の応無処住、我の座す処に非ず。

問を解く処に答え無く、留まる処なき故に無我。

問の消滅する処は、問う者が滅する処に等しい。

法は我を忘じる処ゆえ、問の消滅が答えとなる。

習学と異なり、法を得る処に答えの残滓は無い。

法は答えに依拠せず、正しく問う処に導かれる。

自由へ導く問があり、自縄自縛を招く問もある。

答えを求める以前に、問の真偽を問う事が肝要。

「公案現成 羅籠未だ到らず
若し此の意を得ば 龍の水を得るが如く
虎の山に靠るに似たり 當に知るべし
正法自ら現前し 昏散先ず撲落する事を」道元

時間の旅

2017-01-07 | 日記
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今日の縁: 共依存の連鎖・・権威と依存の根底
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