一如
2017-09-11 | 日記
因果一如の門開けと口上の後、
禅師が湯呑みを、トンと置く。
事実を見る処に、自他は無く、
法を聞く処は、未だ彼此なし。
例え瞬時の事も、認識は事後。
分別は常に認識後の、我の懐。
公案現成、羅籠いまだ到らず。
今日の縁: 不思量底
" 未だ是れ思量分別の能く解する所に非ず "
http://www4.tokai.or.jp/kyuenji/hukan.html
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提唱: 阿蔵葺心(玖延寺住職)
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