人のあら ばかりさがして 何もない 自分の馬鹿を なぐさめる馬鹿
*これは大火の作です。読めばなんとなく、わたしのとの違いがわかると思います。大火の作は直截でそのまんまという感じがしますが、わたしのにはなんとなく含みがある。似たような作を作っても、そこはそれ、それぞれの個性が出ますね。
これは家庭でのある日のひとこまから生まれました。アルドラが亭主の酒の肴のためにと、気を効かせて買ってきてくれたチリメンジャコのパックを、亭主は虫眼鏡で見ながら、日付の新しいのを買って来いと小言を言ったのです。その様子があまりに馬鹿らしかったものですから、大火が上のようなのを詠んでくれました。
亭主の小言と言ったら細かいことばかりです。ラップの切り方をもっとちゃんとしろとか、食器を洗うときはしっかり洗剤をつけろとか、いかにも自分だけが配慮の足りない家族に苦労しているかのような口ぶりです。そんなことばかり言うのでね、実際亭主は子供にも相手にされていません。小さいことばかりついて人を馬鹿にするからなのです。
今この存在の主体をやってくれているのはアルドラですが、彼は実に大きな男です。そんな彼が苦い思いを抱きつつも、亭主のためにチリメンジャコを買ってきてくれる。それをありがたがりもせず、わざわざ虫眼鏡で見ながら、実に細かいことを指摘する。買ってきたのがチリメンジャコだというのがまた痛いですね。亭主の小さい根性を言い当てているかのようだ。
だがなんで毎日そんなことばかり気にしているかというと、そんなことくらいでしか人を馬鹿にできないからです。実際彼は、人生でやるべき勉強をほとんどしていない。努力もしていない。自分のプライドをかけなくていい楽な方にばかり逃げてきたのです。だから年をとってきた今、人に誇るべきことがなにもないのです。
かのじょは、亭主がスポーツ番組を見ながら酒を飲んでいる間も、ゆっくり昼寝している間も、いろいろと本を読んで勉強したり著作に励んだりしていました。同人誌の運営やPTAの会長など、社会のためにできることはやっていた。家事育児をしながら人類の救済のために奮闘努力し、大きな功を残してくれた。そして年をとってきた今、神の前に恥じない自分がいる。誇ることなどしませんが、誇りとできるものならたくさんある。
そういうものがあれば、別に人の小さなあらをついて馬鹿にせずともいいのです。そんなことで人の上に立とうとするのは、何にもしたことのない馬鹿だけだ。
けんかをして家庭に波風を立てることは嫌ですからね、亭主が馬鹿馬鹿しい小さいところをついてきても、何も言い返したりはしませんが、痛いところでは仕返しをしますよ。
チリメンジャコの賞味期限を虫眼鏡で探っている暇があったら、もっとでかいことをしろとね。
アルドラは痛い男ですから、こんなこと、しっかり覚えていますよ。