あさぢふの 野のかたすみに 日を浴びて なづななづなを 生きむとぞする
*最近歌が詠めません。馬鹿の妨害があって、感性も表現力も封じ込められていて、詠もうにも詠めないのです。
だからツイッターの方の歌は休んでいるのですが、わたしも歌人の端くれと思っているので、歌が詠めないのは苦しいですね。なんだか手足をもぎとられたようだ。美しいことを美しく詠みたいのに、それができないのはもどかしい。
というわけで、表題の歌は一年前に詠んだものです。この時も相当に邪魔があったので、歌としてはぎこちないですが、何もできない今よりはましだ。今はとにかく、馬鹿の妨害が止むのを待つしかありません。
「あさぢふの(浅茅生の)」は「野」を呼ぶまくらことばですね。だからこの場合は訳しません。野原の片隅で、日の光を浴びて、ナズナはナズナを生きようとしている。小さな何気ない花ですが、しっかりと自分を持っていて、ナズナである自分を生きている。
道端や、野原の片隅に咲いている目立たない花だが、花はそんな自分を卑下したりしない。自分なりの美しさ、強さを信じて、しっかりと自分をやっているのです。
野のかたすみで、花は何をしているのだろう。ただ咲いているだけではない。通り過ぎてゆく人間に、何かを語り掛けている。
自分を生きなさい。どんなに自分が小さく思えようとも、その自分を馬鹿にしてはいけない。
花は人間に、すばらしいことを教えようとしているのです。人間が感性を開き、耳を傾ければ、それはいいことを教えてくれる。こんな小さな花の中に、すばらしく高貴な魂がいる。
小さな野原のかたすみに、清らかな魂の世界がある。
人間もそろそろ、そんな世界のすばらしい豊かさに、気づくべきです。