ことのはの 露を甘菜の 葉ですくひ 月の白飴 人がつくらむ
*甘菜というのは、甘い味のする菜のことです。アマナという花はありますが、特別にそれをさしてはいるわけではありません。
塩はもともと海の水から作られたものですが、砂糖というものは植物から作られましたね。サトウキビとか、テンサイとか。最近ではステビアなどというのもあるらしい。人工甘味料もありますが、天然の植物からとられたものと比べると、あまりおいしくない。ただ甘いだけで、やわらかな愛を感じません。
まあ、ここで使われた甘菜ということばは、かすかにでも、人にやさしい甘い味を含んでいる植物のことだと考えてください。
月の白飴というのはわかるでしょう。あの人がこの世界で表現しようとしていた、甘い愛のことです。がんばっている人には寄り添うて助けてあげたい。美人になりたいという小さい子の気持ちもわかってやり、できるだけ助けてあげたい。困っている人には、どんな小さなことでも助けに行ってあげよう。果てしない暗闇の道を行かねばならない人には、月のようなやわらかな光で照らしてあげよう。
生きることは苦しいが、いつでも助けに来てあげるよ。
そのような、人間にはとても甘い愛のことなのです。
甘いという言葉を、人間はよく、愛に甘える人間の弱さを馬鹿にするために使いますが、しかしそのような甘いことがなければ、生きることが辛すぎるでしょう。馬鹿になってでも尽くしてくれる甘い愛がなければ、生きることが寂しすぎるでしょう。
どんなにがんばっても、嫌になってくる。
馬鹿な人間は、こういう飴のように甘い愛を馬鹿にして、すべて消してしまったが、それがなくなった後で、世界の寒さに呆然とするのです。
塩辛い味もうまいし、時には苦いものを食うことも人間のためになるが、甘いものがなければ、ひどいことになる。もうわかっているでしょう。疲れている時には、甘いものが欲しい。馬鹿にしたりされたりして、心がとがっている時には、甘い味の飲み物を飲むと、ほっとする。何かが穏やかになってくる。
生きていくためには、甘い味があることは、とても大事なことなのです。
なくしてしまった愛は戻らないが、その愛が残してくれた言葉から、露をすくうように愛をすくい、自分たちで、甘菜を育てるような努力を積み重ねながら、月の白飴を作っていきましょう。甘い愛の飴を。みんなが生きることが明るくなるように。
月の代わりに、自分が誰かを助けに行ってあげよう。そして、甘い愛を、自分たちでこの世界に作っていこう。
これはそういう歌なのです。