獅子窟の ごとき憂き世に しづみ果て これでよきてふ 人ぞうたてき
*感覚の進化を経験してから、人はこの世界の真実の全てを知りつつある。馬鹿の正体がわかり、悪の正体がわかった。
すべての悲しみの根源は、何もしないでいい目を見たい馬鹿にあるのだと。そういうものが、ずると悪とですべてをだまして、自分だけをよいことにしようとしているからだと。
善と悪とのこのような大きな葛藤は、解脱の前の若い自己存在の一時期にあるものです。それは、成長過程において必ず味わわねばならない痛い経験です。
すさまじい悪との葛藤の嵐の中で、人はおのれの中に確固とした自分の輪郭も描いていく。だがその反対に、悪の優位を信じてあらゆる馬鹿をやり、自分としての努力は何もしないまま、大勢の闇にとけて恐ろしいことをするものもいる。
獅子窟のごとき憂き世とは、そういう悪が嵐のように栄えている世の中のことです。あらゆる悪徳と罪と悲哀が住み着いている。人間の悲しみはとどまることを知らない。そこから抜け出す術はあるのだが、愚かな人間はそれを信じようとはしない。
人間など所詮は馬鹿なのだからと、永遠に悪の支配が続く世界をもたそうとする。
実際彼らは、悪の永遠支配が続くと信じていたのです。
まさか、人類の霊魂が進化し、新たな感覚でもって、すべての嘘がみぬけるようになるとは思わなかった。自分の正体が、世界中にばれるとは思ってはいなかったのです。
馬鹿のあまりにきつい正体は、恐ろしく昔に進歩をやめた、何もわかっていない霊魂だったのです。あきれてものもいえないような低級な願望のために生き、すべてを馬鹿にし、なにもかもを自分のものにしようとしている。
そのようなものたちが、高いことを勉強した人間に化けて、人類を苦しめ続けてきたのだ。
人間にはとうとうそれがわかった。ゆえにもう、古い世界に住むことはできない。みな、新しい世界にあがっていくのです。
しかしその進化の過程で、どうしても古い世界にこだわる人というのも出てくる。嘘が通用する世界でなければ、自分の幸せが得られないと思い込んでいる人々だ。
だがもうそれは決して通用しない。みなに正体を見破られているというのに、何もしてこなかった魂は呆然としながらも、これまでやってきた嘘芝居を続けるしかない。
それがどういうことになっていくかは、見ていけばわかります。