しづやしづ しづのをだまき くりかへし しづみし月の 浮くよしもがな
*今日はちょっと懐かしいのをあげてみました。なつかしいと言っても今年の歌ですがね。何せツイッターでは毎日あふれるほど歌を詠むものですから、半年前の歌がすごく昔の歌のように感じるのです。
これはたしか銀香炉が詠ってくれたものです。ツイッターの歌人では、彼がいちばんの詠み手ですよ。技巧的にも一番優れている。最近はあまり来てくれませんが。
これは伊勢物語の歌を、静御前が本歌取りした歌を、また本歌取りしたものですね。なかなかです。どちらも有名な歌ですから、あげるまでもないと思いますので、ここではあげません。
いや、そうはいきませんか。では二つとも一応ここに並べておきましょうか。
いにしへの しづのをだまき 繰りかへし 昔を今に なすよしもがな 伊勢物語
これを後に、静御前が、源義経を偲びつつこう詠いかえて舞ったという。
しづやしづ しづのをだまき くりかへし 昔を今に なすよしもがな
人間は失敗をする生き物ですから、どうしようもなくつまずくことがある。そんなとき、もう一度やり直したいと思う心が起こり、こんな歌を詠うものです。時は戻りはしない。だが失ってしまったものの大きさ、大切さに泣くとき、帰りたい、返して欲しいと、強く思うものなのだ。
本歌取りというのは、そういう人間の情感を、微妙に歌い変えることによって共有するものでしょう。
なかなかにいい技法です。
で、表題の作ですが。「しづ」が四度重なるのが、銀香炉の技巧の巧みなところです。こういうところで読ませる。なかなかにうまい。
昔、静御前が死んでしまった愛しい人を思い、詠った歌のように、もう一度繰り返し、あの沈んでしまった月を浮かせるすべがないものだろうか。
そんなことなど、本当は考えてもせんないことなのだ。終わってしまったものは帰らない。アニメの最終回を、ビデオで何度見ても、何にもなりはしないように。
それでも人間はまた、思ってしまう。もう一度あれを取り戻すすべはないのだろうかと。
ありませんよ。冷たいが、そのほうが本当なのです。いつまでも情感に酔っていてはいけません。失くしたものを取り戻すことはできない。人間にはほかにやらねばならないことがある。
それは一体何なのか。そろそろそれを考え始めましょう。