ぬばたまの はかなき夢と われを見て 何もせぬ世ぞ うたてなりける
*「ぞ」~連体形の係り結びですね。連体形で終わると意が強くなるのは、繰り返しやっているとなんとなく刷り込まれてきます。何事も練習は大事だ。何度もやっていくうちに自分が深くなってきます。
「ぬばたまの」は「夢」にかかりますね。枕詞もやわらかく使いましょう。
ぬばたまの夜に見る夢のように、はかなきものだと、自分のことを見て、何もしないという人生ほど、馬鹿なものはない。
人間、自分は弱いもの、何もできないものと思い込んでいる節がある。難に飛び込むのが嫌で、痛いことを言うことすらしない。ちょっとの勇気もない。何気なく言っていることに、逃げたいという気持ちが見えている。
そしてやっていることと言えば、裏から人を覗いて、くだらないことを言っているくらいなのだ。
人間は今、生きているが、まるで総勢で死んでいるようだ。何もしようとしない。
まさにゾンビの世界です。
この世界と人類を、何とかしようとして、わたしたちは死ぬほど努力しているんですがね、わかってくれる人間はほとんどいないようだ。いや、ほとんどという言葉さえ怪しい。もしかしたら全くいないのかもしれない。
全部を救おうとして絶望に倒れたかのじょのことが、激しく憐れに思えます。
だが、やらねばならないことは、やらねばなりません。神は人類のすべてを見捨てることはなさいません。だが、大幅に削るつもりではいらっしゃる。
そうなって仕方のないことを、人間はしたからです。
焦ってすがりつかねばならないのに、人間はいまだに何もしようとしないのだ。幻想の中に逃げて、そういう自分を許す何かを探そうとしているかのようだ。
そうしたいのならもう、そういう世界で生きるがいい。永遠に自分を許してくれる、何かとともに生きればいい。
そんなものがあればの話ですが。
本当に自分を救いたいのなら、死ぬ覚悟でやるべきなのですよ。