ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

君たまふ花

2017-05-20 04:21:08 | 短歌





星だにも 捨てはつる夜の 闇をゆく たよりともせむ 君たまふ花






*今日は古い作品からいきましょう。これはかのじょが旧ブログに発表したものです。確か「ふゑのあかぼし」の中に入っていましたね。あれはボッティチェリの絵とのコラボでやっていた企画でしたが、確かこの歌に添えられていたのは、レンミ荘の壁画ではなかったかと記憶しています。ある婦人が、三美神をつれたヴィーナスから花を贈られているという絵でした。

星さえもが見捨てはてたという闇の夜を生きてく、その頼りともしよう。あなたが下さった花を。

確かに、星さえもなく、何も見えない闇のような夜というのはあるものだ。どこかに行こうにも、暗闇ばかりでどっちに行けばいいのかわからない。何も見えない。何をすればいいのかもわからない。そんな自分が生きていくのに、頼りにできる花とはどんな花でしょう。そしてそれは誰がくれるものでしょう。

かのじょがこの歌を詠んだ発想の元は、かのボッティチェリの絵でしたが、生きることの頼りとしていた花というものは、孔子の言葉でした。論語を初めて読んだとき、あまりに自分の生き方に溶けるように入って来るので、あの人は自然にそれを頼りとして生きていったのです。孔子もまた、昔の聖賢の生き方を見本として生きていたが、親や神のように慕い、信じることができる存在がいるということは、実にうれしいことだ。ひとりではないと感じる。

今の世の中は、何もかもがさかさまになっている。セックスだけを目的に女あさりをしているような男の生き方を肯定する、馬鹿みたいな屁理屈が化け物のように横行している。こんな世界で、自分を信じてただひとりでも正しく生きていくことは本当に難しい。だが、それ以外に生きていくことしかできない自分を生きていくとき、頼りにできる花のように美しいものがあれば、ずっと強く生きていくことができる。

わたしも、そういう花を、この世界に咲かせたいものだ。後の人々が、闇の夜を生きていくために頼りとできる、美しい花々を。あの人はそう思って、この歌を詠んだのです。

きっとそうなるでしょう。

あの人の残してくれたたくさんの言葉は、きっと後の人が生きる頼りとできる花となるでしょう。正しいことをひたすら信じ、まっすぐに生きた人ですから。

激しく汚い愚弄の嵐が吹き荒れる闇の中を、ひたすらに正しいことを信じてまっすぐに生きてきた。女だからと言ってそれをつぶしてしまえば、人間は汚いものに落ちすぎる。

阿呆でなければ、あなたの咲かせた花を見に来ずにはいられまい。




白玉の わが子のすゑを おもひては 花の香りを 東風に流せり     夢詩香




「東風」は、「こち」でなく、「あゆ」と読んでください。上代の北陸方言だそうですが、「あい」に通じて、よい。風にもいろいろな名前があります。「白玉の」は「わが子」にかかる枕詞です。







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